6.選択。
お袖さんと、普通に接した。
九十九は改めて、自分の両手を見おろす。
意識して、「引」の力を使うことはできない。八股榎大明神のできごとは、あくまでも偶然が重なった環境要因が原因の事故だ。九十九が意図して力を使用したわけではない。
けれども、アグニとの火消し対決の際は、この力を使って結晶を作りあげたのだ。ほとんど無意識のうちに、まったく意図せず。
あんな極限状態は、滅多に陥らない。だが、暴発しないとも言い切れなかった。
やっぱり、怖い。
これが自分の力だと思うと。怖かった。
九十九は両手をきゅっとにぎって、目を伏せる。
『返そう』
が、顔の前を白いものが差し出された。突然、視界を遮った物体に、九十九は思わず後ずさりする。
「天之御中主神様……!」
いつの間にか、天之御中主神がいた。本当に気がつかなかった。いや、神様たちは神出鬼没だ。九十九がぼんやりしていたのである。
天之御中主神は特に感情の浮かばぬ顔で、白い肌守りを九十九の前に突きつけた。
「これ……」
『抑制の力も込めた。無意味な暴走は防げるだろうよ。此処まで説明すれば満足かの?』
もしかして、口下手って言われたの気にしてるんですかね……。
天之御中主神は肌守りに改良を加えてくれたようだ。九十九が力を使いやすく、且つ、暴走を抑えて制御できるように。
「ご助力、ありがとうございます……」
九十九は戸惑いながら、白い肌守りを受けとる。なにかが大きく変わった実感はなかった。けれども、最初に授かったときと違い、気持ちが引きしまる。
九十九は、この力と向きあっていかなければならないのだ。
これは、その手助け。
九十九は肌守りをにぎりしめて、天之御中主神へ視線を向けた。
「天之御中主神様、一つおねがいをしてよろしいでしょうか」
『これ以上、なにを望むという』
天之御中主神が怪訝そうに眉をひそめた。
「一度、シロ様と話せませんか?」
九十九には、目の前の神様が邪悪には思えない。認識の違いや、理解のむずかしさはあるが、話せばわかりあえるのではないか。
仲直り、というのは違うかもしれない。
とにかく、シロと話しあってほしかった。
『それは、向こうが拒むと思うのだがの』
「そうだと……思います……でも、このままずっとなんて、駄目だと思うんです」
『何故?』
なにか不都合でも? そんな口調であった。
たしかに、二柱は湯築屋ができた当初から表裏の存在である。それで何十年、何百年、幾年も幾年も、気の遠くなる時間を過ごしているのだ。
いまさら、話しあわなくとも、このままずっと過ごしたっていい。なにも変化しないと思う。
「でも、天之御中主神様は憎まれるべき神様ではないと思います。シロ様にも、わかってほしくて」
『斯様なことぐらい、あちらもわかっていると思うがの。そのうえでの選択であれば、我に異論はない』
「じゃあ、シロ様が望めばいいんですね?」
天之御中主神の立場は、あくまでも受け身だ。選択を他者に委ねている。
だったら、シロを説得すれば話をしてもらえるのではないか。
『……其方は強いのか弱いのか。否、面の皮が厚いのだな』
やっぱり、この神様口が悪いのでは。面の皮が厚いなどと言われて嬉しいわけがないが、九十九は苦笑いを返す。おそらく、他意はない。なんとなく、会話のテンポに慣れてきた気がする。
「それは、まあ。褒め言葉として受けとっておきます」
とにかく、天之御中主神の約束はとりつけた。と、思う。
会話には慣れてきたが、つかみにくい部分も多い。それでも、九十九は天之御中主神は断らないと信じていた。
信頼とは違うと思う。
そう理解している。
「それから、天之御中主神様。一つお返事しておきたいことがあります」
――悠久のときが欲しいか。
九十九は選択の解を出していなかった。
天之御中主神に仕える巫女となれば、永遠の命が手に入る。シロを孤独にせず、ずっとそばにいられる選択だ。
九十九には、答えられなかった。
選択を先送りにして、天之御中主神になにも示していない。
「改めて、巫女の件はお断りします」
『ほう。人の生で充分だと?』
試すように聞かれるが、九十九は臆さずうなずく。
「必要ありません」
迷いなく告げられて、九十九の気持ちも晴れやかだった。
「わたしは、人として神様と接したいんです。それが、わたしの役目なんじゃないかと思います」
『役目とな』
「神様に……ずっと、人を見守っていてほしいんです」
お客様たちは、ときどき嘆く。
近ごろは、人々の信仰が薄れており、堕神の数も増えている。
しかし、諦めないでほしいのだ。人を見放さないでほしい。
九十九は――湯築屋は、訪れるお客様たちと、人々の架橋になれるのではないか。そんな気がしているのだ。
アグニは、九十九が人間だから認めてくれた。お袖さんのように、人間に興味を持つ神様だっている。天照は人々が持つ一瞬の輝きに魅了されているのだ。
このような神様たちと、人を繋ぐ存在になれるのは、湯築屋しかないと思う。
だから、九十九は人間をやめたくない。
人という存在のまま、神様たちに接したかった。
きっと……シロだって、人としての九十九を好きでいるのだから。
『本当に、面の皮が厚い娘よな』
「お、大きなお世話です!」
むくれてみせる九十九に、天之御中主神が表情を緩める。こうしてながめると、シロと似ていた。シロがもともと神使で、姿形は天之御中主神や宇迦之御魂神に似たのだと聞いているので、当然なのだが。
『まあ……永遠を生きぬ其方と、あれがどのような解を出すのか。楽しみができたかの』
天之御中主神はつまらなさそうに、しかし、興味深そうに九十九をながめた。
今の九十九に、回答はない。
シロとの関係をどうすればいいのか、このままでいいのか。なにも未来は見えていなかった。
それでもいいと思っている。
シロにとっては一瞬かもしれないが、九十九にとっては長い猶予があるのだ。
ゆっくりと、考えればいいではないか。
天之御中主神の言うとおり、九十九は面の皮が厚いのかもしれない。なんの解決法もないのに、こんなに背筋を伸ばしていられる。天之御中主神の顔を、しっかりと見ることができた。
自分の能力のせいで、お袖さんを傷つけてしまった。もう取り返しがつかない。完全に自らを責めないのは、やはり無理だろう。しばらく、九十九は痛みを背負ったまま生活するのだ。
でも、立ち止まるのは、「らしくない」。
逆に解釈して、天之御中主神は九十九に「面の皮厚く生きろ」と言っているのだ。関西風に、知らんけど。
「わたし、シロ様が戻ってきたら、ごめんなさい《・・・・・・》じゃなくて、ありがとうございます《・・・・・・・・・》って、言いたいです」
シロは九十九のために、自ら傷ついてくれた。
だから、帰ってきたらお礼を言いたい。
そのほうが、シロは喜んでくれると思うから。
『そうか。では、またつきあえ。羽根も洗わねばならぬからの』
天之御中主神は男湯のほうへ歩きながら九十九をうながす。また湯で身体を洗うのだ。今度は、翼らしい。
「はい。御神酒、用意してきますね!」
九十九は言いながら、シロの部屋へ駆ける。




