1.わたしのせい。
書籍7巻は双葉文庫より5月13日に発売予定です。
書籍版でなおした部分の修正をしていません。
大変申し訳ありません。
湯築屋では、ちょっとした騒ぎになっていた。
まず、気を失ったお袖さんのために、部屋が用意される。かなり神気が疲弊していたので、足湯があり湯治に適した五色の間になった。
九十九は……休まず、一緒にお袖さんの部屋を準備する。湯をすぐに使えるようにして、布団を敷いた。お袖さんの変化は天之御中主神によって解かれていたので、運ぶのも楽だ。
「若女将、もういいですから、お休みになってください」
碧に勧められるが、九十九は首を横にふった。
「いいえ、できることをします」
「でも……」
「いいんです。わたし、やりますから……お袖さんの看病します」
こんなことになってしまったのは、九十九のせいだ。
九十九が肌守りを落としたから。すぐに拾いに行かなかったから。いいや、自らの力を把握していなかった責任もある。
シロから聞ける機会は幾度もあった。そのたびに、後回しにしてきてしまったのだ。シロのせには、できなかった。
九十九の力が天之御中主神によって変質しているのは、天照から聞いていたのだ。だったら、シロがすぐに伝えたくなかった理由も、九十九はわかってあげるべきだった。
シロが天之御中主神をあんなに嫌っているのだと、九十九は知っていたではないか。二柱は仲直りできないのかと考える前に、その裏にあるシロの気持ちを理解するのが先だった。
全部、結果論だろう。
気づけるかもしれないタイミングはいくつもあったが、すべて逃してきた。
今回のことは想定外だったのかもしれない。九十九が、よりにもよって堕神による刺激を受けやすい八股榎大明神で肌守りを落としてしまった。しかも、すぐには取りに行かなかった。
堕神と神が同居していること自体がイレギュラーだ。想定されていない。
でも……。
「わたしのせいなので……わたしが、もっと……」
もっと、なにができただろう。
あとの祭りだ。
後悔しかできない。それなら、せめてお袖さんが元気になるまで、お世話がしたかった。
「若女将、やっぱり休んでください」
碧が九十九の肩に手を置いた。けれども、九十九は休みたくない。
「そんな顔でおもてなしをされると、困ります」
「え?」
碧が九十九に差し出したのは、ハンカチだった。
そのとき、初めて九十九は自分の頬に涙が流れていると気がつく。
「だ、大丈夫です……顔洗ってきます!」
「休みなさい、九十九」
それでも意地を張る九十九に、碧は強めの声をあげた。
びくりと身体が震え、思わず静止してしまう口調だ。有無を言わせない圧力と、厳しさ。お客様たちの威圧感などとは種類が違う。ピリリと肌を刺すような緊張感が心臓を締めあげるようだった。
碧は湯築屋の仲居頭だが、九十九の叔母でもある。結婚していないのに苗字が違うのは、碧が河東へ養子に入っているからだ。湯築は巫女の家なので、神気が使えない者は子供のうちに籍を外される。しかし、それも形式ばかりで、碧はずっと湯築の人間として振る舞ってきた。
碧はいつも従業員として九十九に接してくれる。
だが、今は叔母として九十九を叱っているのだと、はっきりわかった。こんな碧は初めて、九十九は身を小さくしてしまう。
「お袖さんは、私たちにまかせて」
「はい……」
そう返事するしかなかった。
九十九だって、理解している。
今の九十九ができることはあまりない。こんな顔で、お客様のところへは行けないし、まともに接客できる精神状態でもなかった。
それでも、九十九は動かずにはいられないのだ。そうしていないと、頭を嫌な考えばかりが巡ってしまう。
気分を紛らわせたかった。
でも、気を紛らわせるためのおもてなしが、お客様のためになるのだろうか。
碧に従わされたのではなく、自分で納得して、九十九はあたまをさげた。
「あとは、よろしくおねがいします……碧さん……」
碧にまかせておけば、大丈夫だ。
「はい。おまかせください、若女将」
そんな九十九に、碧はちゃんと応えてくれる。
休みをもらってしまった。
九十九は空振りしてしまったような気持ちを、どこへ持っていくべきかと考える。なにもしていなかったら、悪いことばかりで頭がいっぱいになりそうだった。
「…………」
九十九は自らの両手を見おろした。
知らなかった。
そんな力があるなんて、九十九は知らなかったのだ。周囲に、このような神気の特性を持った人間もいない。偶然も重なった。天之御中主神が「想定外」と評していたが、本当にそうなのだと思う。
それでも、九十九は自分を責める気持ちをおさえられなかった。
怖い。
だって、九十九は神から力を引き寄せる。それがいつ、どのような形で暴発するかわからなかった。こんな力を持っていて、お客様のそばへなど行けないのではないか。
堪らなく胸が苦しくて、押し潰されそうだ。
九十九は一歩も動けず、その場にくずおれる。身体を丸めるように座り込むと、このまま小さくなって消えていけるような気がした。
自分が誰かを傷つけたなんて、考えたくない。
――あのような芸当をしておいて、か? 自覚がないのか。恐ろしい。
アグニの言葉を思い出し、今更意味を理解した。
九十九が、もっと……。
『なにをしておる』
胸が痛くて息苦しい。身体を小さくしながら耐えていた。そんな九十九の頭のうえから、声がふってきた。
九十九は、ハッとして反射的に頭をあげる。
「シロ様」
『否』
思わず呼んだ名を否定されてしまった。
そこで初めて、九十九は自分を見おろす者の顔を認識した。紫水晶の瞳からは、感情が読みとれない。九十九を心配しているというよりは、「そこに落ちていたので気になった」といった雰囲気だ。
「あ……天之御中主神様……? なんで?」
なんで、ここに?
思わず疑問を口にしてしまうと、天之御中主神は短く息をついた。
『此処は我が結界の内だが?』
平然と言われるが、まあ、そうだ。そのとおりだった。シロと同一の存在なのだから、そうだろう。彼はいつも隠れているだけで、常にシロと一緒にいるのだから。
「いえ、そうですよね……すみません……珍しかったので……つい」
天之御中主神は唐突に、シロと入れ替わることがある。それは気まぐれの類と呼ぶものだろう。
しかし、このように、平然と廊下を歩いていることがあるとは思っていなかった。少なくとも、九十九は初めて見たと思う。だから、つい天之御中主神も湯築屋に住んでいるのだという意識が薄かった。
「あの……シロ様は……?」
天之御中主神が表に出たままになっている。
おそらく、八股榎大明神から帰ってからずっとだ。九十九はお袖さんに気をとられていて、シロが戻っていないのを知らなかった。
まさか、ずっと戻らないのではないか――。
そんな不安で、九十九の目に再び涙がたまっていく。
『存外、弱いな。其方は』
九十九の顔をしばらく見据えて、天之御中主神がつぶやいた。
天之御中主神が手を伸ばすので、九十九は反射的に身を強張らせる。
『立て』
手は九十九の頭に触れた。
押さえつけているのではない。なでているとも言えなかったが、どこか温かみのある動作であった。
その瞬間、九十九の身体が羽根のように軽くなる。そして、意識していないのに、すくっと立ちあがってしまった。
きっと、天之御中主神の声に言霊が宿っていたのだろう。命じられ、身体が従った形なのだと思う。
けれども、決して嫌な気分にはならなかった。
『少しつきあえ』
天之御中主神は言いながら、廊下の先を示した。そういえば、九十九は逃げるようにふらふらと歩いていたので、この先になにがあるのか考えていなかった。
「へ?」
だが、天之御中主神が示した先にあったものを見て、九十九は間抜けに口を開けてしまう。対する天之御中主神は、いたって真面目そう。というより、変わらず無表情のままだ。
『つきあえと、言っている』
「え、え、ええ、えええええ……そ、そ、そそそそれは、ちょっと……!」
『何故?』
だって……男湯指さして「つきあえ」って言われたって、困りますよー!
混浴じゃないんですってば!




