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8.いつでもご注文ください!

 

 

 

 残りの二種は、幸一と九十九のカレーであった。

 念のために、幸一はいつものカレーではなく、作り方を変えている。とは言っても、やはり九十九と幸一では、カレーの出来に差があるだろう。九十九も、小夜子と同じくカレー粉の固形ルウを使用していた。

 それでも、お客様からいただいたもともとの要望は、「いろんなカレーが食べたい」である。対決は、あとからついてきたものだ。

 九十九が幸一に勝つ必要はない。


「でも、やっぱり、お父さんのカレーと一緒に出すのは緊張するなぁ……」


 カレーの盛りつけをしながら、九十九はつい漏らしてしまう。


「僕だってお客様に食べてもらうのは緊張するよ」


 嘆息する九十九に、幸一が笑いかける。


「お父さんは、いつもお客様にお出ししてるでしょ……?」

「うん、いつも緊張してるんだ」


 幸一から、こんなことを言われるのは初めて、九十九は目を瞬かせてしまう。


「つーちゃんに食べてもらうのも緊張するよ。誰かに食べてもらうのは、緊張するんだよ。気に入ってもらえるかわからないからね。どうすればいいのか、いつも考えてるよ」


 幸一の料理は、いつも美味しい。

 お皿のうえがキラキラと輝く宝石のようなのだ。食べると、言わずもがな。旅館なので素材の味を生かした和食が多いが、洋食の腕だって一流である。伝統的な郷土料理から、工夫を凝らした創作料理までなんでも作れた。

 料理をしている幸一は、優しくて楽しそうで……彼の料理も、やっぱり、優しい味がして、こちらまで楽しくなるのだ。

 だから、幸一が緊張すると言うのは、九十九には意外だった。


「誰かのために作るんだから、好かれたいって思ったら緊張するよ」


 誰かのために……。

 九十九は自分のカレーを見おろした。

 お客様のために作ったカレーだ。少彦名命の要望に応えるため、九十九は一生懸命、「いろんなカレー」がたべられるようにした。当然、少彦名命に気に入ってほしい。だから、緊張する。

 誰と一緒に出すのかは、関係ない。

 美味しいと思ってもらえるかどうか。


「お父さん、ありがとう……緊張はやっぱりするけど、これでいいんだよね」

「うん、いいんじゃないかな」


 さあ、カレーをお客様たちへお持ちしよう。

 その前に、ふと。


「お父さん」

「なに?」

「お母さんがごはん食べるときに、お父さんの顔が赤いのって……やっぱり緊張してるからなの?」

「――――!」


 気軽に尋ねてみたつもりなのだが、九十九の質問を聞いて、幸一は口をパクパク開閉しながら視線を泳がせた。

 これは昔から、なんとなく気になっていた。登季子が目の前でごはんを食べるとき、幸一は恥ずかしそうにしていることが多い。

 それはきっと……幸一が一番緊張する相手が、登季子だからなのかもしれない。今の反応を見て、九十九の疑問は確信に変わった。





 さてさて。

 広間に並んだお客様たちに、カレーをお出しする。

 九十九の右手には、いわゆるオムカレーがのっていた。半熟のふわとろ卵をオムライスのように盛っている。卵とライスを囲うように、カレーが注がれていた。まるで、カレーの海に浮かんだ島だった。頂上のパセリが島に生えた木にも見える。

 左手には、色の薄い欧風カレーがのっていた。具の少ないカレーを飾るのは、レンコンのバター焼きや、カボチャ、椎茸、にんじんなど秋野菜のグリルである。秋の野菜は色味が地味なのに、飾り切りのおかげでお皿のうえが楽しげであった。添えられた紅葉も、秋らしさをプラスしている。

 どちらが幸一のカレーなのか、一目瞭然だろう。

 それでも、緊張しながら九十九は皿をテーブルに置いた。目の前にいるお客様に、気に入ってもらうために。

 少彦名命の姿は、小さくてわかりにくい。だが、ぴょんぴょん跳ねる姿は、喜んでいるのだと信じたかった。すかさず、隣で大量の福神漬けを投入する大国主命からは目をそらしながら、九十九はテーブルから離れる。

 ぺろり、ぺろり。と、擬音をつけている間に完食。これでも、味わっていただいているので、妙な気分になる。

 少彦名命はぴょこぴょこっと、大国主命の肩に飛びのった。ここが普段の定位置だ。

 大国主命は「ふむ」と、うなずく。口からは、福神漬けをボリボリ咀嚼する音が聞こえるのだが。


「わかりました」


 福神漬け、ではなく、カレーを呑み込んで大国主命が咳払いする。少彦名命の言葉を聞き終えたのだろう。


「相方は、このように言っております」


 大国主命は背筋を正し、改めて発声する。

 九十九はゴクリとつばを呑み込んだ。ああ、緊張する。なに言われるんだろう……。


「まず、こちらの欧風カレーですが、見事です。味わい深く、まろやかなコクが楽しめます。秋野菜のソテーやグリルも見目麗しく、目でも楽しめました。味は均一なのに、食べるたびに、別のスパイスに巡り会ったかのような発見がある。複雑な味を一つにまとめあげた妙がありました」


 幸一のカレーだった。やっぱり、すごい。あとで、九十九も食べたくなるような食レポだった。


「そして、オムカレーですが」

「むむむ!」


 大国主命が評価を述べようとした瞬間、隣でシロが騒ぎはじめた。


「これは!」


 カレーを食べはじめたシロが、いきなり目をカッと見開いたのだ。さっきまでとは、反応が違う。オムカレーと欧風カレーを交互に食べながら、嬉しそうに尻尾をふった。大国主命の発言を邪魔している自覚は、微塵もなさそうだ。


「松山あげが入っておる! これが九十九のカレーに違いない!」


 シロが示したのは、九十九のオムカレーだった。

 カレーに、少しだけ松山あげを入れたのだ。家のカレーには入っているので、ついルーティンで。ないと落ち着かなかった。しかし、ほんの少しだった。しかも、味の濃いカレーである。松山あげの有無がわかるとは、さすがは好物……。

 九十九はシロに呆れてクスリと笑う。

 けれども、松山あげが決め手なんて、シロらしい。さっきまでは、どのカレーを食べても、「これが九十九のカレーに違いない!」と騒いでいたのに。

 シロは嬉しそうに、九十九のカレーを完食してくれる。その様子を見守っていると、緊張がほぐれてきた。

 シロ様が美味しいって言ってくれるなら、いっか……。

 少彦名命のために作ったカレーなのに、そう思えてしまう。


「改めまして。オムカレーの評価を……相方が早く述べろと騒いでおりますので」


 大国主命が気を取りなおして咳払いした。


「は、はいっ!」


 九十九は思わず返事をしてしまう。そのあとに、名前を伏せていたことを思い出す。しかし、もうバレバレのような気がするので、別にいいか。司会をしていた天照も、「時間切れですわ!」と、姿を消してしまった。なんという、ぐだぐだ。


「ふわふわとろとろに、半熟となった卵の焼き加減が絶妙ですね。市販のルウを使うと塩辛さが目立ちますが、卵のまろやかさで中和されていました。中のライスもターメリックになっており、我々を喜ばせてくれようとした工夫がよくわかります。若女……いえ、制作者は、きっと相方のことを一番に考えてくれていたのでしょう。ありがとうございます」


 最後のお礼は、大国主命の個人的な意見のようだ。

 九十九の意図は伝わったみたいである。九十九なりに、「いつもと違う、飽きないカレー」を目指してみた。

 それだけで、充分のような気がする。


「さて、司会をおつとめだった天照様がご退席しましたので……此処は、当方がまとめ役となるべきでしょうか」


 律儀な大国主命は、カレー対決の続きをしようとする。締まりのない終わり方を、あまり好まないのだと思う。


「当方は、すべてのカレーを食しましたが、どれも甲乙つけがたい品だと思いました」


 つい、大国主命がカレーに福神漬けを盛る姿を思い出してしまった。あれで本当にカレーの味に区別がついていたのだろうか……いやいや、お客様が美味しいって言ってくれてるんだから、いいよね!


「そのうえで、相方の言葉をお伝えしようと思うのですが……」


 大国主命は勿体つけながら、視線を宙へやった。言いにくそうにしているような気がして、九十九は違和感を覚える。


「相方は、当方と同じく大変満足しております。要望どおり、様々なカレーを食べられてよかったと、述べている。そのうえで、勝敗をつけるなら……」


 言葉が詰まった。大国主命が、言うべきか迷っているようだ。少なくとも、九十九にはそう感じられた。

 しかし、大国主命は四角い眼鏡をクイッと中指で押しあげる。


「やっぱり、いつものカレーが一番美味しい、ということでした」


 言った瞬間に、大国主命が深々と頭をさげた。九十九をはじめとした従業員は、みんな驚いて、おろおろとしてしまう。


「お、大国主命様、頭をあげてくださいッ」

「いいえ! ここまでしていただいたのに、こんな結果では申し訳がありません。あと、当方、福神漬けをからにしてしまいました。おかわりをおねがいします!」

「おかわりは持ってきますから、そんなに頭をさげないでください」


 九十九は、大国主命をなんとかなだめようとする。真面目なお客様だと思っていたが……今回は自責の念が強かったらしい。とにかく平謝りされて、こちらまで申し訳なくなってくる。

 落ち着いてもらおうと、九十九は大国主命の肩に触れた。すると、九十九の腕に小さな粒――少彦名命が飛びのる。

 少彦名命は、ちょんちょんと跳ねて、九十九の肩までやってきた。


『嬢さん、嬢さん』

「!?」


 九十九の耳に、虫の羽音ほどの声が届く。

 これ……少彦名命様?

 少彦名命の声を初めて聞いた。いつも、大国主命が通訳してくれていたので、本当に新鮮だ。と言っても、本当に小さな小さな声なので、声質はよくわからない。なにを言っているのか聞き取るだけで精一杯だった。

 おそらく、大国主命が謝りすぎて通訳できる状態ではなくなってしまったからだろう。緊急措置のようなものかもしれない。


『今回は、いろいろしてくれて助かった。ただのわがままなのに、つきあってもらっちまったな』


 真面目でていねいな大国主命に対して、少彦名命は軽く親しみやすいしゃべり方だった。まずは、要望に応えた九十九たちへの感謝が述べられる。


『本当に、全部美味かったよ。どれも面白かった! 大国主のヤツは、なんでも福神漬けまみれにするから、味わかってんのか、わかってねぇのか、よくわからんけどな』


 たしかに……とは思っていても、口にできない内容だ。とりあえず、九十九は苦笑いした。


『ただ、いろいろ食べて改めて思ったんだが……やっぱり、いつものカレーが一番落ち着くんだわ。今日のが悪いわけじゃない。いろいろ実感したってところかね』


 結局のところ、いつもの味が一番好き。

 この感覚は、九十九にも理解できるものだった。特に、少彦名命は湯築屋へ来る回数も比較的多く、カレーも食べ慣れていると言える。


『いろいろやってくれたのに、気を悪くしないでほしい。飽きたって言っても、そこの料理長殿が存命の間しか食べられねぇ味だと思うと、割と愛着もあってな……』


 大国主命は少彦名命をわがままだと言っていたが、九十九には彼の気持ちが伝わってきた。神様にとって、人間の寿命は短い。好きな味を楽しめるのも、わずかな間という感覚なのだろう。


「わかっていますよ。大丈夫です」


 九十九は笑って、自分の肩に手を添えた。すると、少彦名命は九十九の指にぴょこっと跳び移る。

 九十九は指にのった少彦名命を前に、頭をさげた。


「湯築屋は、お客様のお望みのものをご用意いたします。ちょっと変わったご要望にも、いつものおもてなしにも、全力を尽くします」


 指のうえで、少彦名命が跳ねてくれた。距離が遠くて、声は聞こえないが、たぶん、お礼を言ってくれているのだと思う。

 

 

 

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