6.いろんな味がほしい!
小夜子に呼ばれて、九十九は湯築屋の廊下を進む。
本日、宿泊しているお客様は大国主命と少彦名命。国作りの神話で有名な神様たちだ。温泉の神様でもあり、道後にある湯神社の祭神でもある。この時期になると、秋祭りについての準備や話しあいに湯築屋へ宿泊していた。毎年恒例だ。
「大国主命様たち、なにかあったの?」
小夜子は困っているようだった。九十九に対処できるならいいのだが。
「私は直接聞いてないないんだけど……というか、聞こえないんだけど、カレーが気に入らないらしくて?」
「カレー?」
大国主命の好きな食べ物だ。彼が湯築屋へ宿泊する際は、いつも注文する。福神漬けをたっぷりと盛るのが、大国主命のお気に入りの食べ方だった。
今回も、もちろんカレーを用意している。たっぷりの福神漬けも。
「大国主命様、カレーに飽きちゃったの?」
「ううん。そちらじゃなくて……少彦名命様のほうが」
ああ、なるほど。
カレーの注文は大国主命の要望だ。少彦名命はあまり注文が多くないお客様なので、基本的に大国主命にあわせてメニューを用意していた。
「じゃあ、少彦名命様用にメニューを――」
二柱に別々の料理をお出しすればいい。九十九はそう提案しようとしたが、そこへ被さるように、声が聞こえてきた。
「カレーに飽きたなら、福神漬けの量で味を変えればいいのです」
至極真面目に。まるで、格言かなにかのような、威厳のある言い回しだった。しかしながら、内容は割とどうでもいい……いやいや、なかなかのパワーワードだ。ある意味。
大国主命だった。
「お客様、失礼します」
そこは、大国主命と少彦名命が「祭りの作戦会議」として貸し切っている和室の一つだ。普段は小さな宴席に使う小広間である。客室ではなく、彼らはここを「会議室」として使用していた。
九十九が入ると、大国主命が部屋の真ん中で正座している。ピシッと整ったスーツ姿はあいかわらずで、オールバックの髪にも乱れがない。四角い眼鏡の下の表情は、一切の緩みがなく、絵に描いたような「大真面目」である。
室内に、他のお客様の姿は見当たらない――いや、見当たらないだけで、ここにもう一柱いらっしゃると、九十九は知っていた。
正座する大国主命の真正面。畳のうえを、なにかがぴょこぴょこと跳ねていた。
よく見ないと、見落としてしまいそうだ。虫のように小さな……と言っては、失礼だ。こちらが少彦名命。大国主命とともに、国作りを行ったという神話の残る神様だ。
一寸法師のモデルとも言われており、身体がとにかく小さい。詳しい容姿も小さすぎてわかりにくいし、声も大国主命にしか聞き取れなかった。
「あの……カレーにご注文があるとうかがいましたので、お話を聞かせてもらえないでしょうか?」
九十九は少彦名命を踏んでしまわないように気をつけながら、大国主命の前に正座した。大国主命は肩をすくめ、ため息をつく。
「いえ、当方の相方がご迷惑をおかけしております。今、それについて議論していたのですよ」
大国主命ははきはきとした口調で答えてくれる。
「よろしければ、少彦名命様のご注文をお聞かせくださいますか?」
九十九には、少彦名命の声は聞こえないため、大国主命に質問するしかない。大国主命は、「あまり、わがままを聞いてやる必要もないと思いますが」と呆れている。どうやら、彼は少彦名命の主張を、快く思っていないらしい。
「飽きたと言っているのです」
「カレーが、ですか?」
九十九が確認すると、大国主命は首を横にふる。
「いいえ、カレーの味に」
「あ、味ですか……?」
「はい。嗚呼、勘違いはしないでいただきたい。当方も、相方も、湯築屋のカレーが好きです。聞けば、幸一殿は洋食店での修行経験がある。その腕を否定しているわけではないのです」
「わかっています。ありがとうございます」
大国主命の気遣いが伝わり、九十九は心得ているとばかりにうなずいた。
「しかしながら、いつも同じカレーでは飽きると、相方は言っており……当方としては、福神漬けの量を増やし、飽きを回避してはどうかと提案しているのですが……」
「あ、はは……」
福神漬けをたくさん入れるのは、大国主命だけだ。少彦名命には、大量の福神漬けは必要なかった。この解決法は、大国主命の場合にのみ有効で、少彦名命には意味がないだろう。
「いいですよ。少彦名命様のために、別の料理をご用意しましょう。そうすれば……え?」
九十九が提案している最中に、少彦名命が激しく跳びはねた。なにを言っているのか、まったくわからない。けれども、なんとなく「喜んでいない」のだけは伝わった。
「わがままを言って、若女将を困らせてはなりません」
大国主命は少彦名命をなだめるような声をかけている。九十九には少彦名命の主張が聞こえないので、大国主命の独り言のように感じてしまいそうだった。
「いえ……カレーには飽きたが、カレーが食べたいと、相方は言っているのです」
「飽きたのに、ですか?」
「左様」
大国主命はうなずき、やがて改まって説明をはじめる。
「相方は、いろいろなカレーを食べたいと主張しております。味の違ったカレーを食べ比べたい、と」
「カレーの食べ比べ……」
なるほど、カレーの味に飽きたが、カレーが食べたい。その不満を解消する要求であるように思えた。
「いつも、店のようなカレーばかりだと言っており……此処は、お店なのだから、当たり前だと当方は主張しているのですが」
なるほど……洋食店で働いていた幸一のカレーは、たしかに「お店の味」だろう。しかも、そんじょそこらのカレーには負けないと九十九は思っている。シロの要望で、松山あげが入るけれど。
「いろんなカレー……お店ではない、いろんな……」
九十九は、つい反復してしまう。
「湯築屋には、いつもお世話になっているのです。この期に及んで、相方のわがままにつきあっていただく必要はないかと。こちらは、当方がなんとかしますので、いつもどおりのお料理を用意していただけましたら……」
大国主命がていねいに頭をさげた。律儀だ。神様にもいろいろいらっしゃるのは知っているが、頭をさげられるとこちらが慌ててしまう。
「大丈夫ですよ、大国主命様」
九十九は頭をあげるよう、声をかける。
そして、笑顔を作った。
できるだけ不安など感じさせない、満面の笑みだ。
「なんとかいたします!」
九十九は背筋を伸ばし、明朗に言い放つ。
畳を跳び回る少彦名命が、嬉しそうにしている気がした。
というわけで、カレーだ。
お客様の要望を叶える、カレーだ!
「なるほど」
九十九の意見を聞いて、幸一がうなずいた。厨房で仕事をする将崇も、顎に手を当てて考え込んだ。小夜子も戸惑いながら来てくれた。
「みんなで一つずつカレーを作ったら、いろんな味にならないかな……?」
幸一、将崇、九十九、小夜子がそれぞれカレーを作るのだ。
こうすれば、お店のような味と、家庭のような味、両方楽しめる。九十九の考えは、こうだった。
「面白い試みだと思うよ」
幸一は、やはり優しく言って同意してくれた。最初は、お客様から「飽きた」と言われて傷つけてしまうのではないかと思ったが、そこは心得てくれていた。
「つーちゃんがやりたいように、やってみよう」
「お父さん、ありがとうございます」
将崇や小夜子にも、異論はないようだった。
「九十九ちゃん。私、カレー粉使うカレーしか作れないんだけど、お客様にお出しして大丈夫だよね?」
「大丈夫だよ。わたしも、カレー粉使うし。少彦名命様はお家みたいなカレーも食べたいって言ってるから」
九十九や小夜子に本格派カレーなんて作れない。せいぜい、具材や味つけの好みなどで差別化する程度だ。
「でも、同じカレー粉だと、同じような味になっちゃうよね。私、スープカレーにしようかな……?」
「小夜子ちゃん、それいいね! わたしも、なにか工夫しようかな?」
などと考えていると、途端に楽しくなってくる。
九十九が作った料理をお客様にお出しする機会なんて、そうそうない。
厨房を上手に使いながら、みんなで代わる代わるに調理するのも、あまり見られる風景ではなかった。なんだか、家庭科の時間みたいでわくわくする。みんなで食べるごはんも美味しいが、みんなで作るごはんだって美味しい。そういう気持ちが思い起こされた。




