5.いつもこのパターンですね!
九十九は、はたと気がついた。
大学から帰り、洋服を着物に着替えるときだ。
「ない……」
ジャケットのポケットに入れていたはずの肌守りがない。天之御中主神から授けられたものだ。
どうしよう。急に不安が押し寄せる。
九十九は、あの肌守りの使い方も効力もわからない。そんなものを、外に落としてきてしまった。
思い当たるのは、八股榎大明神だ。あのとき、目にゴミが入って、ハンカチを取り出した。それか、大学で手を洗ったとき……。
もしも、八股榎大明神で落としたなら、お袖さんが預かっていてくれるだろう。あそこを訪れる人も、そこまで多くないので、九十九の心配は杞憂かもしれないが……大学に落としていたら、誰かが拾ってしまうかもしれない。
探しに帰ったほうがいいだろうか。
「なにを探しておる?」
迷っていると、シロの声が聞こえた。九十九の様子を見ていたのだろう。
「シロ様……わたし、天之御中主神様からいただいたお守りを、落としてしまったみたいなんです」
九十九の切羽詰まった表情に、シロも神妙な面持ちとなる。だが、やがて首を横にふった。
「そんなもの、捨てておけ」
「え……でも、どんなものか、よくわからないので放置するのは……」
「どうせ、ロクでもないものだ。儂は九十九の手から離れて清々する」
シロは心底嫌そうな態度だった。彼が天之御中主神を嫌うのは今にはじまったことではない。肌守りの効果や意味などより、「九十九が天之御中主神から授けられたものを持っている」という事実が気に入らないのだと思う。
「子供ですか」
率直に罵ると、シロは不機嫌そうに口を曲げる。だが、主張は変えないらしい。
「あれは九十九の髪が入っているだけの品物だ。本人が持っていないのに、なんらかの力を発することはなかろうよ」
「それ、本当ですか? どうして、天之御中主神様はそんなものを、わたしに持たせたんですか?」
「知らぬ。儂は知りたくもないし、九十九に知ってほしくもない。彼奴が九十九に触れたと思うだけで不快だ」
「だから、子供ですか」
まるで、九十九を独り占めしたいだけの言い分ではないか。シロは天之御中主神の話となると、本当になにも聞いてくれなくなる。そもそも、九十九や湯築の巫女にずっと真実の話をしなかったのだって、シロが天之御中主神を嫌っているというのが大きな理由の一つであった。
この二柱、話しあえないのかなぁ……。
シロはシロで頑なだし、天之御中主神は天之御中主神で、自分の都合だけで動く。もっとお互いに話して、認めあう場があってもいいのではないか。それができないから、何年も、何百年も、もっと長い時間をこうやって過ごしているのだろう。
九十九は二柱の真実を知らされた初めての巫女だ。
だったら、彼らのために、なにかするのは九十九の役目のような気がした。
「とにかく、探しに行かないと……大学に落ちてたら、誰かに持って行かれるかもしれません」
湯築屋の仕事はあるが、仕方がない。とりあえず、大学だけでも探すべきだろう。
「嫌だ。せっかく、九十九が帰ってきてイチャイチャできると思ったのに、また出て行くなどと」
「もう、子供みたいなこと言わないでくださいってば! お仕事するんですから、どうせ、イチャイチャなんてしませんよ!」
九十九は気にせず、部屋を出ようとする。
だが、それを阻止するように、シロがうしろから抱きしめた。
「…………!」
強い力で抱きとめられて、九十九は動きを止めてしまう。
こんなの不意打ちだ。こういう止められ方をすると、九十九には抗えなくなる。それがわかっていて、シロはそうしているのだ。
「わかった。儂が探してくるから、お前は湯築屋におれ」
不服そうだが、シロは耳打ちした。内容はさっきまでの駄々なのに、耳元で囁かれると、背筋にゾクゾクと熱いものが走る。身体が震えて、九十九はうなずくしかなくなってしまう。
「大学へ行かせる」
シロが長い指の先に、ふっと息を吹きかける。すると、白い煙のようなものが生まれて、それが猫や犬、鳥となった。シロと感覚を共有する使い魔たちだ。いつもは、これで九十九を結界の外で見守っている。
「これでいいな?」
「は、はい……ありがとうございます……」
同意を求めているが、口調は有無を言わせぬものであった。九十九を従わせたいが、無理強いはしたくない。そういうシロの気持ちが見え隠れしている気がした。
シロ様、本当に天之御中主神様をお嫌いなんだなぁ……。
和解させたいけれど、九十九にできるのだろうか。そもそも、どちらにも話しあう気がない。
とはいえ、シロの申し出はありがたかった。使い魔が大学へ行ってくれるなら、とりあえず安心だ。
八股榎大明神で落としたのなら、きっとお袖さんが気づいてくれる。こちらは、明日行けばいいだろう。
「正直、儂にもよくわからぬ。九十九の力は未発達だからな」
「そういえば……そのお話、聞くお約束でしたよね」
すっかり聞きそびれていた。隠神刑部の一件があって、燈火に朝から起こされ、九十九にはシロとゆっくり話す機会がなかったのだ。
「わたしの神気、守りの特性があるんじゃないんですか?」
「それは生まれたときより持ちあわせた特性だ。儂の巫女としての。今、顕われかけておるのは……言いたくない。察しろ」
「ほ、本当にお嫌いなんですね……その辺りは、ふわっと天照様から聞きました」
つまり、九十九が天之御中主神の力に触れたことで、新しい特性が芽生えているのだ。いや、目覚めていると言ったほうがいいか。これについては、天照から聞いたとおりだ。シロも否定はしなかった。
「だったら、全部天照から説明すればいいものを」
「シロ様に聞いたほうがいいって、言われていましたよ。天照様に聞いたほうがよかったですか?」
「儂はどちらでも構わぬ。しかし……そうさな。天照が気をつかったのも、理解はできる。九十九を庇護するのは、儂だからな」
そういうものなのか。その辺りの領分については、九十九にはわからない。
「九十九に顕われたのは、引の力だ」
「引? 引く?」
よくわからない。九十九は首を傾げた。
守りは、わかりやすい。退魔の盾を操る力だからだ。しかしながら、「引」と言われても、イメージがわかなかった。
そういえば、月子が夢の中でなにかを伝えようとしていたような。結局、聞けずにスマホの呼び出し音に起こされてしまった。
あれは、九十九に注意をうながそうとしていたのだと思うが――。
「九十九ちゃん!」
小夜子の声がした。九十九を呼んでいるようなので、大きな声で返事をする。
「はーい!」
「ああ、いた。よかったー。入っていい?」
なにやら、慌てた様子だ。九十九を探していたのだろう。声を聞いて、ほっとしているのがわかった。
ほどなくして、小夜子が襖を開ける。
「あ……ごめんね。お邪魔しました」
が、すぐに閉めてしまった。
「え、さ、小夜子ちゃん……あ!」
そこで初めて、九十九はシロから抱きつかれたままだと気がつく。
このあと、九十九を離すまいとするシロの顎に、アッパーが炸裂するのだった。




