1.間がいいのか、悪いのか。
書籍7巻は双葉文庫5月刊の発売です。
書籍版6巻の内容が変わっており、webだけの方には大変読みにくくなっております。
申し訳ありません。
蒼い月が、見おろしていた。
この夢では、いつも空には満月がある。
優しく、やわらかな光だった。
それを見あげて、九十九は「そういえば、もうすぐお月見だったっけ……」と、思う。基本的に、行事ごとは頭に入っているつもりなのだが、どうも、月見だけは抜けやすい。長い間、湯築屋で月見が行われなかったからだ。
その理由はある。
湯築屋の主たるシロが、月をあまり好まないのだ。最初は理解できなかったが、今の九十九は理由を知っている。
今年のお月見……やってもいいのかなぁ……。
「今、集中してなかったね。慣れてきたかな?」
月をながめていた九十九の顔を、女の人がのぞき込む。
しなやかな黒髪が、白い装束をまとった肩から落ちる。黒々とした目は大きくて、少女のようにも、妙齢の女性のようにも感じられた。青白い月明かりのせいなのか、肌が白く透き通っていると錯覚する。
「すみません、月子さん……」
ここは、夢の中。湯築の巫女が術を引き継ぐ場であった。その主である月子は、湯築の初代巫女だ。つまり、九十九のご先祖様である。
九十九は掌に視線を落とす。
透明なガラス細工のような結晶がのっていた。月の光を反射して煌めいている。花弁のような薄い結晶が幾重にも連なり、薔薇の花を思わせた。
どこまでも無色で、光の加減によって色彩が変わる。何色にでも染まる結晶だ。形や大きさの調整はできるが、色だけは変化しない。
九十九の神気を集めた結晶である。
「慣れてきたんなら、課題を増やそうかな」
月子は意地悪に笑って、九十九の手から結晶を持ちあげる。
今日は実が入らない。
気が散る理由は明確だった。シロからの話を、九十九が聞きそびれていたからだ。
九十九の神気について、シロから話してもらえる約束になっている。隠神刑部の来館があり、湯築屋がバタバタしたせいで、二日間、ずっと聞けずにいたのだ。幸い、隠神刑部は今日、いや、正確には昨日、無事お帰りになった。
天之御中主神からもらった肌守りのことも気になる。
いつも、上衣や服のポケットに入れて持ち歩いているのだが、あれはなんのためにあるのだろう。天之御中主神は、なにも説明してくれなかったし、あれっきり九十九の前にも現われない。
朝、起きたらシロに尋ねてみようか。
「今、答えてもいいんだけど?」
九十九が考えていたことは、月子に筒抜けだったらしい。ここは月子の住む夢だ。いろいろな法則が現実とは違うし、月子の都合がいいようにできていた。
「いえ……」
九十九は少し迷ったが、首を横にふる。
「シロ様に聞きますので、大丈夫です」
「そう。そのほうがいいね」
九十九が断っても、月子が気分を害した様子はない。ただ受け入れてくれる。
「でも、これだけは早めに知っていたほうがいいと思う」
だが、ややあって月子は表情を改める。
なんだろう。急に緊張してきた。
「あなたの神気は、守り《・・》の特性を持っている。それは間違いない」
小さいときから言われていたとおりだった。九十九の神気は「守り」の特性が強い。退魔の盾も初期に覚えたままずっと使っている術だった。
「でも、巫女は借りる存在でもある。その力の性質は、神の影響を受けやすい。特に、あなたは二柱の神に仕える巫女。そして、今までの巫女の中で最も天之御中主神の本質に近づいた」
「影響……」
天照も言っていた。
力は不変ではない、と。
だとすると、九十九の神気は天之御中主神の影響で変わりつつある……?
「まだ、その力は使わないほうがいい」
月子の顔が近づく。
九十九は息を呑んだ。
使わないほうがいいと言われても、まだ扱えない。きっと、アグニとの火消し対決のときは、偶然の産物だったと思うし……しかし、その言葉は九十九の未熟さを指摘したものではないような気がした。
月子は九十九の額に、自分の額をあわせる。
吐息のかかる距離だ。時間まで止まってしまったと錯覚する。
「それは、神を――」
「――――ッ!」
急激に、意識が呼び戻された。
九十九は布団の中でうつ伏せのまま、手を伸ばす。しかし、そこにあるのは月子の身体ではない。ひんやりとした空気をつかんで、九十九は顔をあげた。
「んんんぅ……ふ、はああ……」
まだ寝ぼけているので、なにが起こったのか把握できなかった。
が、次第に周囲の状況がわかってくる。
頭元に置いたスマホが鳴っていた。これで起こされたらしい。起床時間にあわせたアラームではなかった。
電話?
九十九はスマホを手に取り、布団に潜り込む。邪魔なので、充電端子は抜いておく。耳に当てるのが面倒なので、スピーカーをタップして通話モードにした。
「もしもし……いらっしゃいませ……」
駄目だ。寝ぼけている。頭がちっとも起きあがらなかった。
画面を見ると、午前三時だ。いくら旅館の業務をしていても、いつもはもっと遅い時間に起きる、というか、まだ深夜ではないか。朝とは呼べない時間だ。
『ご、ごめん……やっぱり、寝てた、よね?』
声には聞き覚えがある。同じ大学の燈火だった。
どうしたのだろう。こんな時間に。なにかあった? 九十九は急に心配になってきて、頭が冴えはじめた。
「燈火ちゃん? どうしたの?」
こんな真夜中だ。深刻な話しに違いない。
『いや、その……旅館って、何時に起きるのか、わからなくて……やっぱり、まだ寝てたよね。ごめん……』
「うーん。たしかに、まだ早いかもだけどぉ……」
受け答えしながら、あくびを噛みしめる。眠い目を擦りながら、燈火の話を聞こうとする。
『ごめん……いつ起きるかわからなくて、ボクのバイトあがりに……』
そういえば、ライブハウスでアルバイトしていると言っていた。それなら、夜中にあがることもあるのか。明日も学校なのに、燈火ちゃんすごいなぁ……。
だが、燈火が電話をくれた理由を聞いて、九十九はちょっと嬉しくなる。
それは、燈火からの初めてのお誘い《・・・》だった。




