14.約束やけん。
翌日、隠神刑部は湯築屋を去る。
「まー坊の言ったとおり、満足させてもろたわい。ワシは帰るぞな」
玄関を出るとき、両手にはいっぱいの坊っちゃん団子の紙袋がさがっていた。昨日、人間に化けて買物へ行ったらしい。里の狸たちがあんこを好むのだという。
「隠神刑部様、またのお越しをお待ちしております」
玄関に立った隠神刑部を、湯築屋の従業員が見送る。
もちろん、将崇もその中にいた。
「まー坊の様子、また見に来らい」
隠神刑部は丸みのある顔で、穏やかに笑って手をあげた。坊っちゃん団子の紙袋が重なって、がざがざと音を立てる。
「爺様、今度は事前に言ってくれたら迎えにいきますよ」
「いんや、抜き打ちじゃわい」
将崇の申し出を、隠神刑部は軽く一蹴する。湯築屋としては予約なしで来てもらっても構わない。が、将崇はいろいろと準備がしたいようだ。
隠神刑部は、最後に並んだ従業員と一人ずつ目をあわせていく。けれども、コマにだけは目をあわせようとしなかった。やはり、コマは認めてくれないのだろうか。しゅんとコマがうつむいてしまう。
「ありがとうございました」
それでも、隠神刑部が玄関から出て行くと、コマも一緒に頭をさげた。笑顔でお客様を送り出してくれる。
「爺様、また来るって言ってただろ。次、立派な狐になっていればいいんだぞ!」
隠神刑部が去ったあと、落ち込んでいるコマに将崇が声をかけていた。
「は、はいっ。そうですね……うち、がんばります!」
将崇に励まされ、コマもうなずいている。
この二匹は、放っておいても大丈夫だと思う。
九十九は心配しないことにして、隠神刑部が宿泊していた部屋を片づけようと、玄関をあとにした。
「あ……」
だが、廊下の向こうに、見覚えのある紙袋を見つけた。嫌な予感がして、素早く近づくと……やっぱり。
坊っちゃん団子の紙袋だ!
隠神刑部が落として行ったに違いない。彼は両手にいくつも袋を抱えていた。しまった。気を利かせて、大きな紙袋に入れてあげればよかった……。
九十九は後悔したが、今は隠神刑部に追いついて坊っちゃん団子を渡すのが先だ。着物では走れないが、精一杯急いで、玄関へ向かった。
従業員用の下駄を履き、旅館の外へ。
秋の湯築屋は紅葉の舞う庭が美しい。枯れず、青みを残さず、真っ赤に染まった紅葉の色に、目が覚めそうだった。
その中を進むと紅葉の着物も、ひらひらと揺れる。
「隠神刑部様ー!」
目当ての姿見つけ、九十九は思わず叫んだ。
来たときとは違い、隠神刑部は湯築屋の庭をながめていた。美しく紅葉した木々や、近代和風建築の旅館を見あげ、立ち止まっている。
「おおー。おやおや……すまんねぇ。ワシ、忘れとったんかね」
走ってきた九十九と、坊っちゃん団子から、隠神刑部は状況を察してくれたらしい。
「間に合ってよかったです……!」
隠神刑部に追いついたころには、九十九は息が切れていた。
うーん、高校のときは、もうちょっと余裕だったはずなのに。大学になって、運動減ったからかも……。
「…………」
しかし、隠神刑部の表情は思っていたのと違っていた。
なんか、寂しそう……?
「ああ、気にせんといて。ちょっと我慢しとったんよ」
我慢? 九十九が首を傾げると、隠神刑部は弱々しく笑った。
「まー坊が心配なんじゃが、あんなに大きくなってしもうたら……ワシ、口出せんからのう」
隠神刑部は、満足してくれた。
だが、安心して帰るわけではない。
将崇がまだ心配なのだ。
「ほうやけど、あんな必死なまー坊を無理やり連れて帰るんも、カッコイイ爺様じゃなかろう?」
それでも、隠神刑部は「将崇の爺様」で在りたいのだ。将崇が尊敬する爺様でいるために、湯築屋を去ろうとしている。
「こんなん、まー坊に言うたらいかんよ。これも、ワシとあんたとの約束やけん」
「はい、言いませんよ」
九十九は笑い返しながら、口に人差し指を当てる。
隠神刑部と、また秘密の約束をしてしまった。全部、カッコイイ爺様で在るための約束である。
「あと、あの狐なんやけど」
「コマですか?」
さっきも、隠神刑部はコマと目をあわせてくれなかった。やはり、意識してそうしていたようだ。
「まー坊は、あれを好いとるぞなもし?」
直球ストレートな聞き方に、九十九は苦笑いする。だが、将崇がはっきり肯定していないものを、九十九が「そうです」と言うわけにもいかない。
「だ、だと思います……たぶん、十中八九」
我ながら、とてもあいまいな断定になってしまった。
「あれは……半端やけど、ええ子ぞな」
その言葉は、意外だった。
いや、コマはいい子だ。けれども、隠神刑部の口からそれが出てくるとは思っていなかったのだ。
「まー坊が風邪引かんように、毛布かけよったわい」
そういえば、将崇は九十九に毛布の話をしていた。
まったく覚えがないはずだ。夜中に眠ってしまった将崇に、毛布をかけたのはコマだったのだ。隠神刑部は、それを見ていたのだろう。
「それに、このワシのようなスペシャルな大物狸に向かって、まー坊と一緒に頭をさげる姿勢。悪くないわい」
そう言い切って、隠神刑部はうんうんとうなずいた。
「だったら、どうして……」
コマを認めてくれたなら、本人に言ってあげればいいのに。けれども、隠神刑部は首を横にふった。
「あれは化け狐としては半人前やからのう。しばらく、抜き打ちで来て扱いてやらんといかん! 威厳が大事ぞな」
「じゃあ、やっぱりまた来てくださるんですね」
「当たり前ぞなもし」
コマも、「次こそは!」と意気込んでいた。ここは、隠神刑部の好きにさせたほうがいいのかもしれない。
九十九としては、認めてくれたのなら素直に態度に表してほしいが。
「話してたら、落ち着いてきたわい。ありがとう」
しばらく話しているうちに、隠神刑部の顔は晴れやかになっていた。今度こそ、湯築屋から去ろうとする。
「帰って来うわい」
また来るよと、手をふって、隠神刑部は湯築屋の門をくぐる。
「はい、お待ちしています」
九十九は頭を深くさげ、隠神刑部をお見送りした。
19章は4月から更新予定です。




