13.改まった告白。
書籍2巻の内容がweb版と変わっているため……申し訳ありません。
隠神刑部様と将崇君が、上手くいきそうでよかったなぁ……。
夕餉を思い返しながら、九十九は湯船につかっていた。営業が落ち着き、お客様の少ない時間帯に、こうやって入る温泉は格別である。とくに、今日は女性の宿泊客が天照しかいないので、のびのびと時間を使えた。
道後温泉は古くからの大衆浴場だ。道後温泉本館や飛鳥乃湯泉は、その伝統を引き継いだ造りの温泉となっている。
湯築屋では、同じ湯を引いているものの、趣を変えて岩の露天風呂となっていた。非常に開放的で、のんびりと羽を休められるし、半身浴だってできる。湯が熱いので、長湯は禁物だが。
道後温泉地区にある旅館やホテルは、それぞれにコンセプトの違った浴場を備えている。だから、あまり気にしたことがなかったが……今を考えれば、湯築屋の岩風呂を見ていると……。
月子が休み、天之御中主神が訪れていた岩場を思い出すのだ。
空に月はない。それは、ここが結界に閉ざされた、なにもない空間だからである。でも、シロの幻影ならば作り出すのは容易いはずだ。
シロは月を嫌がっていた。
きっと、月子が亡くなった日を思い出すからだ。記憶の旅で見た過去の光景に、とても重なる。
これは九十九の考えすぎなのかもしれない。
しかし、そう思ってしまったのだ。
「はー……出よ出よ」
九十九は、わざと思考を切り替えようと、独り言を言う。あまりにわざとらしくて、自分でも「ないわー」と思ってしまう。
温泉から出て、手早く脱衣場で身体を拭く。高校のときの体操着を、寝間着代わりに使っている。胸のゼッケンに「湯築」と書かれたままなのが、ときどき恥ずかしいけれど、あまり見せる人もいないので気にしない。
「あ、将崇君」
お風呂あがりの牛乳をとりに厨房へ。すると、まだ将崇が残っていた。今日使った食材が並んでいるが、なにをしているのだろう?
「な……なんで、今……!」
けれども、将崇は九十九を見た瞬間に、慌てふためいて跳びあがった。そんなに、わかりやすいリアクションをしなくても……珍しく尻尾まで出てしまっている。
「大丈夫? なにしてるの?」
後片づけではなさそうだ。
「今日の……復習を……」
将崇は恥ずかしそうに顔を赤くしながらつぶやく。なるほど、そういうことか。九十九は納得した。
「あいかわらず、勉強熱心だね」
「そ、そうか……お前ほどでもないけどな」
「いや、わたしのは駄目なやつだと思うから……」
九十九は受験勉強で根を詰めすぎてしまった。小夜子たちを心配させたし、あれは失敗であると、自分でも反省している。
「これから、作るの?」
広げられた食材を示して、九十九は将崇に問う。
作業台には、隠神刑部に作った大洲コロッケがあった。もう成形されてパン粉もついており、あとは揚げるだけとなっている。
「あ、ああ……まあ。初めて作ったからな」
「初めてだったの? すごい!」
「れ、練習はしたけどな! でも、食べてもらうのは、初めてだった」
だから、将崇は忘れないように、もう一回作ろうとしているのだろう。
「た、食べるか?」
将崇はぎこちなく言いながら、九十九に丸椅子を勧めた。
夕食のまかないは食べたが、まだ入る気がする。お言葉に甘えて、九十九は椅子に座った。
将崇は、すぐに調理を再開する。熱した油に、成形されたコロッケを滑り込ませていく。じゅわっと、衣が油をまとう音が、食欲をそそった。しばらくすると、音はカラカラと笑うような音へと変化していく。揚げ物の音色は、聞いているだけで楽しくなる。そして、夕食後なのに、お腹がぐうぐうと鳴りはじめた。
「お前、本当よく食べるよな」
「え! そ、そんなこと……ないんじゃ、ない、かな……!」
そんなことある気がしてしまい、九十九の反論は歯切れが悪かった。自覚はなかったが、九十九は……よく食べる気がする。買い食いも多いし、厨房でごはんをもらう機会も多かった。大学へ行く鞄には、いつもなにかしらのお菓子が入っている。
改めて指摘されると、恥ずかしいなぁ……。
「ん」
将崇は短く言って、九十九の前にコロッケを置いてくれた。狐色の衣がこんがりとしていて、本当に美味しそう。揚げたての熱さが、見ているだけで伝わってくる。
「食べていい?」
「た、食べろ!」
一応、聞いてみたのだが、ぶっきらぼうに返されてしまった。九十九は手をあわせて、早速いただくことにする。
「いただきまーす!」
箸を衣に入れるだけで、サクッと音がする。これだけで堪らない。
里芋のペーストで作られているため、断面は白っぽくて粘り気がある。アツアツの湯気をフーフーと冷ましてから、口の中へ入れた。それでも、口内を熱が刺激して痛い。
噛むとサックサクの衣と、トロトロの里芋の組みあわせが最高に面白かった。そして、ちょっと甘い醤油の風味が素朴で……たしかに、いもたきだ。コロッケなのに、いもたきである。
「すごく美味しい!」
揚げたては、熱いけれど一番美味しい。箸が止まらなくなった。
こんな調子でパクパクと食べていたが、将崇が九十九の顔をのぞき込んでいるのに気がつく。なんだか食べにくくなって、九十九は苦笑いした。こういうところが、「よく食べる」に繋がるのかもしれない。
「ごめん、やっぱりわたし、よく食べるのかも……?」
「いや、それはいいんだぞ。お前のそういうところが、嫌いじゃないからな……ああ、いや、お前なんてどうでも……よくない! いや、いい!」
「ねえ、どっちなの?」
将崇が急に、いつものよくわからない主張をはじめる。これを京は、「無駄ツンデレ」と名づけていた。
「お前は、本当に美味しそうな顔で食べるからな。つい、食べさせたくな……いや、違うぞ。マヌケ面で、物欲しそうにされているから、俺が恵んでやってるんだぞ!」
これは、京から「無駄威張り」と呼ばれている。将崇本人に言うと、きっと無駄に怒るので、九十九は心の中で笑うだけに留めた。
「俺が人間の街で店がしたいと思ったのも、お前のおかげだからな!」
「そうなの?」
それは初耳だった。
九十九は食べ終えた皿の上に、箸を置く。
「そ、そ、そそそ……」
九十九が見あげた将崇の顔は、やっぱり赤かった。九十九の体感で、将崇は一年の半分くらいは、顔を真っ赤にしている気がする。本当に体感なので、そんなことはないと思うけれど。
「そ、そうなんだぞ……威張っていいんだぞ!」
「いや、威張らないけど」
「そうか!」
最初は慣れなかったが、今は将崇と話すテンポもわかってきた。
「あの、さ……俺、お前に言っておきたいことがあるぞ! 勘違いされてたら、困るからな!」
「うん、なに?」
将崇はゴクリと唾を呑み込み、緊張した面持ちだ。
「最初は、その……爺様の無念を晴らすために、お前にいろいろ言った気がするんだけど、あれは、その……まだよくわかっていなくて」
将崇は隠神刑部の無念を晴らすため、里を飛び出して湯築の巫女を強奪しにきた。それは最初に聞いた目的で、九十九もよく覚えている。
「でも、俺自身は、お前が好きじゃない。ああ、いや、好きだ! ん、変だぞ……やっぱり、嫌いだ!」
「うん、だからどっち?」
「わからない!」
威勢よくきっぱり言い放たれてしまったので、九十九は思わず噴き出す。将崇はムッと口を歪めるが、ごほんと咳払いする。
「嫁には欲しくない」
つまり、恋愛対象ではない。そう言いたいのだと、九十九は解釈した。
「うん。わたし、シロ様のお嫁さんだし」
「知ってるし、そういうことじゃないぞ。俺は、やる気になったら、いつだって、里にお前を連れて行けるんだからな! でも、そうしないって言ってるだけなんだぞ!」
「うんうん、わかってるよ。ごめんね、ちょっと意地悪な答え方しちゃって」
将崇の言いっていることは、ずいぶん前から知っていた。改めて宣言されなくとも、九十九は彼の意中にないとわかっている。
わざわざ、こんな話をする将崇は、やっぱり真面目でいい子、いや、狸だと思う。
「将崇君、他に好きな子がいるんだよね?」
「な……!」
これも、意地悪な聞き方だっただろうか。でも、こういう聞き方でもしないと、将崇の口から、ずっとその話は聞けないような気がした。
将崇は口をぱくぱくと開閉しているが、上手く答えられないようだ。目をあちらこちらに泳がせている。目が回らないのだろうか。
「な、な……な、な、な、な、なななな……」
「わたしは、応援してるよ」
「お、おう……って、そうじゃない! 違う! いや、違わな……違う!」
「なにが?」
「あれは、そんなんじゃ……嫁……嫁じゃなくて……ちが……」
このままだと、将崇は無限に慌てふためいていそうだ。それを見ているのも悪くないのだが、九十九はニコリと笑った。
もしかすると、本人にもはっきりしていないのかもしれないが……将崇が、コマを大変気に入っているのは、傍から見ていてもわかることだ。
もしかすると、隠神刑部も。
ううん。気づいていたからこそ、隠神刑部はコマに対して、露骨に冷たい言い方をしたのかもしれない。あの一瞬で、将崇がコマをどう思っているのか、察しただろう。
「本当、将崇君は素直じゃないよね」
わかりにくいようで、非常にわかりやすい狸さんだ。




