12.狸と狐のおねがい。
できあがった御膳を、将崇と九十九は石鎚の間へと運ぶ。
昨日のことがあるので不安になるけれど、九十九が暗い顔をしているのはよくない。
「将崇君」
石鎚の間へ辿り着き、九十九は将崇に呼びかけた。
「大丈夫だよ」
九十九は精一杯、ニッと口角をあげて笑った。接客のときより、大きく大きく笑みを描く。お友達と他愛もない雑談しているような、そういうときの笑みだ。
「あ、ああ……」
九十九の顔を見て、将崇は歯切れ悪く返事をしてうつむく。緊張しているというよりも、いかを誤魔化すような。顔が真っ赤で、やはり恥ずかしそうだと思った。
「失礼します」
ゴクリと唾を呑み込んで、将崇は石鎚の間に声をかけた。
その目は真剣で、意識がしっかりと切り替わっているのがわかる。
「お料理をお持ちしました」
将崇に続いて、お櫃を持った九十九も客室へ入った。隠神刑部のために盛られたお櫃は、ごはんがたくさん入っていて。他のお客様のものより重い。将崇が「爺様はたくさん食べるから」と、ついでいたのを思い出す。
入室して襖を閉めるとき、廊下にコマが立っているのが見えた。こっそりとついてきたらしい。
九十九は、コマにだけわかるように、唇の形で「待っててね」と伝える。コマは不安そうにしていたが、やがて、「はいっ」と言いたげに大きくうなずいた。
「待っとったよ」
隠神刑部は部屋で浴衣を着てくつろいでいた。人間の姿に変化しており、座椅子でテレビを見ている。
「本日のお料理です」
九十九が襖を閉めると、将崇は隠神刑部の前にお料理をお出しする。
昨日と同じ和風御膳だ。
しかし、明らかに昨日とは趣きが違った。
小鉢には、栗の渋皮煮や紅白なます、筑前煮、インゲンの白和えなど、野菜を中心にした料理が並ぶ。栗の渋皮煮は中山町の大きくて立派な栗を使っており、特に目を引いた。けれども、比較的素朴な味わいの小鉢が並んでいる。
お造りはカツオのタタキで、「ぬた」が添えられていた。同じ四国の高知県でよく食べられる郷土料理の一つだ。にんにくの葉、味噌、酢を混ぜており、独特の味わいがする緑色のソースである。見目は奇妙だが、さっぱりとした爽やかさが癖になるため、九十九は好きだった。
そして、メイン。
「メインのお料理は、大洲コロッケです」
将崇がメインの皿を示すと、隠神刑部は丸い顔に不思議そうな表情を作る。隠神刑部が食べたことのない料理らしい。
厨房で将崇が大洲コロッケを見せてくれたとき、九十九は「なるほど!」と両手を叩いてしまった。
大洲市で生まれたご当地グルメで、いもたきとコロッケを融合させた料理だ。使われているのは、里芋やにんじん、こんにゃく、牛蒡など、いもたきの具材だった。里芋のペーストでにんじんなどを包み込み、衣でサクッと揚げている。
お馴染みの郷土料理と、現代が融合した新しいグルメだ。
そして、里でいもたきを作っていた将崇と、隠神刑部との思い出も反映している。
九十九が「いもたきを作ってあげれば?」と言ったとき、将崇は否定した。従来通りではなく、新しい自分を見せたいのだ、と。まさに、大洲コロッケは将崇の思いを映したメニュー選びかもしれない。
隠神刑部との思い出と、これからの決意。
メインの大洲コロッケには、それらの意味がこめられていた。
「なかなか、面白そうやわい」
御膳を見た隠神刑部は、一言笑った。
「まー坊のごはんやけん、ちゃんと食べらいね」
隠神刑部の口調はやわらかかった。昨日はメニューを見た時点で、あまりいい顔をしなかったのに。今日はすんなりと箸をとり、手をあわせた。
まず最初に食べるのは……大洲コロッケである。アツアツのうちに食べるのがいい。しかし、見ているだけの九十九まで緊張してきてしまった。
サクりという音を立てて、コロッケに箸が沈んでいく。半分に割ると、湯気がほわりとあがる。里芋のペーストなので、断面は白くて粘り気があった。
隠神刑部は一口大にわけたコロッケを口に入れる。じっくりと咀嚼する音を聞いていると、時間が無限に過ぎていくようだった。
「んー……」
ごくりとコロッケを呑み込んだあと、隠神刑部は、なにかを考え込むように唸った。またイマイチなのだろうか。一抹の不安が九十九と将崇の頭に過る。
「まー坊の味やわい」
噛みしめるような言葉だった。
隠神刑部は、大洲コロッケをもう一つ口食べる。
「うんうん。まー坊のいもたきの味がすらい。懐かしいわい」
ほわんと、丸い顔を緩めながら隠神刑部が言う。その後も、箸は止まらず、次々と料理を食べてくれる。大洲コロッケだけではなく、他の料理もすべて残さず平らげた。お櫃のごはんも、空っぽだ。
よく食べたあとで、隠神刑部はでっぷりとしたお腹を、ぽんっと叩く。すると、煙がもくもくとあがって大きくて丸い狸の姿に変じる。
「昨日のも美味しかったんやけど、今日のほうが好きな味やわい」
箸を置き、隠神刑部は将崇に向きなおった。
「こっちのほうが、まー坊らしくて、ええ」
昨日の料理には、なにも悪いところはなかった。隠神刑部も言っているが、美味しいのには間違いなかったのだ。
しかし、「まー坊らしくて、ええ」。この言葉に、隠神刑部の感想が詰まっていると、九十九は感じた。
今日のメインは、いもたきをアレンジした大洲コロッケだ。それだけではない。小鉢の食材は、素朴な味わいの野菜がメイン。里で暮らす隠神刑部の普段の食事にあわせたのだ。
カツオのタタキは旬の魚を使っているが、ぬたを使うことによって、サッパリと食べやすくしている。ぬたは香りが強く、酢のツンとした酸味があるが、生の魚をあまり食べない隠神刑部にはよかった。藁焼きにしたタタキの香りも相まって、あまり魚臭さは感じなかったはずだ。
昨日は「とにかく、美味しいものを食べてもらいたい」という将崇の気持ちが詰まっていた。対して、今日の料理は「隠神刑部の好みにあわせた食事」になっている。
「爺様、俺……もっと、ここで勉強します」
将崇はそう言って、頭を深くさげる。
「本当は、考えたんです。爺様が言うなら、里へ帰ってもいいかもしれないって……」
将崇の告白に九十九は目を丸くする。
一方の隠神刑部は、驚かずに続きを聞いていた。
「でも、俺やっぱり、今……俺の料理を食べてくれる爺様を見て、思ったんです。もっと、たくさん喜んでほしいって」
「それは……里ではできんのかね?」
里でごはんを作れば、きっとみんな喜んでくれる。どこでだって、同じではないのか。隠神刑部は将崇にそう問うていた。
「俺は、ここでやりたいんです。いろんな人間や妖が来るお店を開きたい」
将崇はさげていた頭をあげて、しっかりと隠神刑部を見た。うしろにいる九十九にも、しっかりと彼の覚悟が伝わってくる。
「俺、誤解してました。人間なんて、嫌なヤツらばっかりで、俺らのほうがエライんだって。でも、学校へ行ったり、料理をしたりして……案外、仲よくなれるかもしれないと、思ったんです」
たしかに、将崇は最初、狸や自分が一番すごいという趣旨の発言が多かった。それがいつしか減っていたことに、九十九は最近気がついたのだ。そして、まっすぐに目標へ進む姿がまぶしかった。
「俺は、人間も妖も、もうちょっと仲よくできる店を作りたい!」
だから、人間の調理師免許が必要なのだ。そして、神様が訪れる湯築屋で修行している。
将崇の目標と行動は、まっすぐ一本に繋がっていた。なにもブレてなどいない。彼は、彼が思う道を進んでいる。
「やれるだけやってみたいんです。それができるようになってから、里へ帰ります」
将崇は、これまで隠神刑部に逆らわなかったのだと思う。何度も何度も頭をさげながら、自分の好きにしてみたいと主張する姿は、いつもの彼から想像できない。それでも、九十九には一生懸命な、いつもの将崇だった。
「里しか知らなかったら、こんな目標できませんでした。でも、里の思い出があるから、余計にそうしたいって思うんです」
隠神刑部がなにも言わないせいか、将崇の顔がだんだん青くなっていく。勢いにまかせて言葉を並べているが、沈黙が怖くなったのかもしれない。それでも、姿勢は一歩も退いていなかった。
「あの……うちからも、よろしくおねがいします」
いつの間にか、部屋の襖が少し空いていた。
コマがのぞき見ていたのだ。コマは素早く隙間をくぐり抜けるように、将崇の隣に走り出る。そして、ぺこんと頭をさげた。
「うち、師匠のお店の看板狐になるって、約束したんです。中途半端な狐かもしれませんが……それでも、うちは師匠の弟子なんです。うち、師匠のお料理好きなんですっ」
コマが出てきて、将崇は小声で「お、おま……!」と、さがらせようとする。だが、コマはずいずいと隠神刑部の前に出て行く。
「師匠の弟子として、恥ずかしくないようにがんばりますっ。だから……うちら、見守っててもらえないでしょうか」
こんなに堂々としているコマを、九十九は見たことがなかった。きちんと背筋を伸ばし、声を張りあげている……怖がっているのか、尻尾はさがっているけれど。
「まー坊……」
ようやく、隠神刑部が口を開いた。
なんだか、か細くて寂しい声だ。狸の目元は、少しだけ潤んでいた。
「好きにおし」
その一言で、将崇とコマが表情を明るくする。隠神刑部は二匹から顔をそらしながら、しかし、弱々しく微笑んだ。
「まー坊のごはん、美味しかったけん。また腕磨いて、食べさせてほしいんよ」
「爺様……」
「ほら、わかったら、さっさと御膳片づけんかね。ワシは明日帰るんやけん、忙しいんぞな。見たいテレビもあるんじゃ。里より映りがええから、最高やわい」
隠神刑部はわざとらしく、しっしっと御膳をさげるよう、手で払う仕草をする。将崇とコマは、あわてて下膳をはじめた。




