11.今度こそ!
今日もお客様は、隠神刑部と常連の天照しかいない。
特に大きなイベントもないが、将崇の隠神刑部への再チャレンジという大仕事があった。ちなみに、天照は推しピザ宅配にハマっているので、夕餉はキャンセルだ。
大学から帰って、九十九も旅館業務に加わった。今日は麻の葉模様の着物に、市松の帯をあわせている。竹で作った簪が、素朴なデザインでお気に入りだった。
「将崇君、大丈夫?」
廊下で出会った将崇の顔が眠そうだったので、九十九はついこんな声かけをしてしまった。目の下にクマができて、充血している。あまり元気もなさそうだった。
すると、将崇はあくびを噛みしめながら、九十九を見る。声をかけるまで、九十九に気がつかなかったようだ。
「おつかれさま、だね?」
「ああ……大丈夫だ」
将崇も今日は学校だった。この状態で専門学校へ行ったのか。だとすると、同級生もさぞ心配したことだろう。
「あ、昨日は……その……助かった」
「ん?」
将崇のお礼に、九十九は瞬きで答えた。なんのことか、わからない。
「も、毛布……朝は、冷えたからな……」
「え? 毛布?」
ますますわからなかった。将崇のほうも、「え?」と怪訝そうな顔になっている。話がまったく通じていなかった。
「あれ? す、すまない……なら、いい。勘違いだ」
「あ、うん。そう?」
なんだか、よくわからない話だ。九十九は今朝、普通に起きて朝学校へ行った。将崇が朝まで厨房にいたのは知っていたが、九十九が起きた時間にはいなくなっていたのだ。
講義が二限以降のときは、九十九も朝早起きして旅館の手伝いをする。しかし、一限のときは学校に間に合う時間に起きて、そのまま家を出ていた。大学では、みんな「一限ダルい~」と言っているが、九十九はむしろ、一限の日は少し寝坊できるという感覚だ。たぶん、普通ではない。
「とにかく、今日は……いや、今日も頼む!」
将崇は改まった様子で、九十九に向きなおった。そして、深々と頭をさげる。
「ま、将崇君!」
今までにない将崇の態度に、九十九は狼狽してしまう。将崇とのつきあいも長くなってきたが、あまりないパターンだ。どうすればいいのかわからない。
けれども、将崇は顔をあげなかった。
真剣さが伝わってきて、九十九も背筋を伸ばす。
「うん、がんばろう。わたしも、しっかりやるから!」
将崇がこんなにがんばっているのだ。
接客をまかされる九十九が台無しにするわけにはいかない。2人で、いや、湯築屋みんなで隠神刑部に満足してもらおう。
厨房の様子を、みんなが固唾を呑んで見守っている。
今日はお客様が他にいないからと言っても、こんな光景は、あまりない。
調理しているのは、もちろん、将崇だ。幸一が隣で軽いアドバイスをしながら見守っている。
コマは厨房の椅子に座り、将崇をじっと見ていた。九十九は、邪魔にならないよう、入口から中をのぞき込む。すると、いつの間にか、碧も来ていた。さらに、アルバイトの小夜子や、番頭の八雲まで。まさに、湯築屋の面々が総出の状態だ。
「いいですねぇ。揚げ物、私好きですよ」
碧がお淑やかに笑った。厨房からは、油で衣を揚げるカラカラという音が聞こえてきている。
しかし、油の音を聞きながら九十九は不安になった。
隠神刑部は、昨日、「むつこい」と言ったのだ。脂っこい食べ物は、あまり好まないのではないか。そんな懸念がある。
将崇も、あの場にいたので、そんなことは承知のはずだ。なのに、なぜ?
「楽しみですね」
九十九の心配は杞憂だと言いたげに、八雲が肩に手を置いた。八雲は番頭のほかに経理なども担当しており、湯築屋になくてはならない存在だ。長い間、湯築屋に勤務してくれているベテランである。そんな彼に言われると、なんとなく安心してくるから不思議だ。
みんなが、将崇の料理を見守っている。
ここにいる者たちは、みんな知っているのだ。将崇が、今までどれだけがんばってきたのか。そして、どういう人間、いや、狸なのかを。
だから緊張感はあるが、心配はしていない。
将崇なら、乗り越えてくれると信じていた。
「できた……!」
料理を盛りつけ終えた将崇が、顔をあげる。




