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10.思い出のノートと。

 

 

 

 ――んんー……イマイチじゃわい。


 爺様の顔、残念そうだった……。

 思い出すたびに、将崇は悔しくて奥歯を噛む。

 厨房の椅子に座って、ずっと研究ノートとにらめっこ。将崇が料理を学びはじめてからのメモが、ちゃんと記してある。

 けれども、わかっていた。

 ここに、答えは書いていない。

 隠神刑部が満足するメニューなど、書かれていなかった。いくら読み返しても、糸口はない。それは将崇自身がよく知っている。

 だが、このノートは将崇の軌跡だ。

 これまで、どんな風に料理と向きあった書かれている。最初のほうは拙いし、最近は、妙に批評家めいた格好悪い薄っぺらい辛口なんかも書いてあった。読み返すと恥ずかしい部分も多いが、これが将崇だ。

 だから、将崇を理解してもらおうと思えば、向きあうべき対象だった。


「師匠?」


 厨房の入口から、コマがこちらをのぞき見ていた。もう深夜だ。客どころか、従業員も当直以外は寝静まる時間である。


「どうした?」


 将崇が答えると、コマはぴょこぴょこと厨房へ入ってきた。


「師匠は寝ないんですか? 明日も、学校があるんでしょう?」

「まあ……そうだな」


 神は睡眠も必要としないらしいが、将崇やコマのような妖は寝ていないと身体を壊す。それでも、人間ほどの睡眠時間は必要ない。


「お前は寝ないのか」

「寝てたんですが、明かりが見えたので……師匠は本当にすごいです」


 将崇は、コマに椅子へ座るよううながした。コマはぴょこんと跳ねて、丸椅子に飛びのる。


「うち、みんなにすごいすごいって言ってばっかりなので、言葉が軽いかもしれませんけど……でも、本当にすごいと思ってるんですよ」


 コマはいつも、誰かのがんばりを応援していた。讃えて、褒めて……将崇にはない素直さがある。だが、それを率直に評価するのも気恥ずかしくて、将崇はただ自分の顔を隠した。最近気づいたのだが、将崇はすぐに顔が真っ赤になるらしい。専門学校の友達に指摘されて、初めて知った。


「そ、そうか……そうだな! もっと、心から言うんだな! ……ああ、いや、違う。そのままでいいぞ! いいんだぞ!」


 よく九十九から言われるが、我ながら、どっちなのだろう。将崇は自分で言っていても、矛盾して混乱する瞬間がある。


「そ、そう、そうだ。なにか食べるか。夜食なら、まかせろ!」


 誤魔化したつもりになりながら、将崇は立ちあがった。と言っても、いろいろ試行錯誤した料理の残骸なので、夜食と呼べるのか謎なのだが……・


「本当ですかっ!」


 コマがパァッと笑いながら両手をあげるので、用意することにした。本当に簡単なものを。


「出汁茶漬け……だ」


 将崇はお茶漬け茶碗に盛った白飯をコマの前に置いた。そこへ、味噌漬けにした鯛をのせ、湯築屋で使っているアツアツの出汁をたっぷりかける。飾りに葉山椒をちょんと盛りつければ完成だった。

 コマは目をキラキラとしながら、お匙を持ちあげる。弟子の幸せそうな顔が見られて、将崇も自然と笑顔になれた。


「すごいですっ! すごいですっ!」


 コマは、やはり、すごいすごいと連発し、「いただきますっ」と手をあわせた。食べる姿も、実に幸福感であふれている。


「鯛とお味噌、あいます! 甘くて美味しいです! お出汁にお味噌が溶けて、最高ですっ。あとあと、舌がピリリッと……でも、美味しいです! 美味しいです、師匠っ!」

「わ、わかったから、慌てるな」


 そんなに褒められると、また顔が赤くなるっ!

 将崇は必死に、師匠の威厳を保とうとした。

 コマは美味しい美味しいと言って食べているが、将崇はこの料理を最高だとは思っていない。鯛を味噌漬けにするのは、以前に食べた和食を参考にした。

 山椒の実と一緒につけ込んで、ピリリとしたアクセントと甘辛い味噌の味を堪能するはずだったのだが……もとの料理では八丁味噌に漬け込んでいたものを、勝手に麦味噌でアレンジした。結果、麦味噌の甘さが強くなりすぎてしまったのである。味つけや調味料を変えることでやりようはあると思うのだが、完璧とは言えなかった。

 そのような料理でも、コマは美味しいと言ってくれる。

 納得はいっていないが……それなら、いいかとも思えた。

 目の前で食べる相手が喜んでくれるなら、それ以上のものはない。料理を作りはじめて、将崇はそう考えるようにもなった。

 そういえば、里でいもたきを食べる爺様も……こんな風に、嬉しそうだったな。

 将崇は昔を思い出し、自分の夜食も食べる。やはり、自分が評価したように未完成の味だ。もっと工夫はできるはず。

 なのに、コマと一緒だと美味しかった。


「きっと、師匠なら大丈夫ですよ」


 口の周りに味噌をつけて、コマが笑う。


「もっと、落ち着いて食えよ。俺の弟子なんだからな、お前は!」


 将崇は呆れながら、コマの口を拭いた。コマは「えへへ、すみません」と頭を掻く。反省しているような態度だが、尻尾が揺れているので嬉しそうに見えてしまう。いや、嬉しいのだろう。

 将来は、こんなふうに、たくさんの客を喜ばせる店を開きたい。

 そこの……コマは看板狐と決めていた。弟子なので、当然だ。と、特に意味はないっ!


「うち、師匠の迷惑じゃないですか?」


 出汁茶漬けを食べ終わり、急にコマが聞いてくる。不意の質問だったので、将崇はすぐに返事ができなかった。


「うち、失敗ばっかりですし、変化もまだまだです……今日も……その……」

「爺様のことは、気にするな。もっと胸を張ってればいいんだぞ」


 コマの声があまりに寂しそうだったので、将崇は慌てて言った。


「その、あれは……狸は、あんまり狐が得意じゃないから、だ……俺だって、最初は狐なんかの弟子は嫌だったんだぞ! でも、お前は見込みがあるから弟子にしたんだ! 俺は、誰だって弟子にしてやるほど優しい狸じゃないからな! いいか、お前はそれでいいんだぞ!」


 なにを言っているのか、よくわからない。ただ浮かんできた言葉を並べてみた。すると、なんだか師匠っぽい感じになった気がする。たぶん。俺は師匠だからな。威厳が第一だ!


「本当ですか?」

「信じろ!」


 ぽんっと、腹を叩くが、今は人間の姿であった。こちらのほうが、料理などの都合がいいので、将崇はたいてい人間の姿でいる時間が長い。


「俺はお前が――」


 と、言いかけて……なにを言おうとしているのかわからなくなった。驚くほどスムーズに言葉が出てきたのに、泡沫うたかたのように消えてしまう。


「師匠?」


 なにもわからないコマが首を傾げていた。将崇は勢いよく顔を反らせて隠す。


「なんでもない。も、もう寝ろ! 弟子!」


 コマは不思議そうにしていたが、やがて、「わかりましたっ! おやすみなさいっ」と、椅子から飛び降りた。


「師匠も、あんまり遅くまでがんばりすぎないでくださいね」

「お、おう……大丈夫だ」


 返事をしながら、将崇は再び厨房に向かう。


「おかげで、なにか思いついたかもしれない」


 まだふわふわとした構想だが、将崇は研究ノートに目を落とした。開いていたのは、卒業旅行で乗車した観光列車・伊予灘いよなだものがたりのページだ。ふと、あのときは八幡浜まで行ったが、大洲行きの便もあったなと思い出す。

 明日こそは……。

 将崇は、作業をはじめる。

  

 

 

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