9.トライ&エラー。
厨房の将崇は、実に張り切っていた。
九十九が夕餉の様子を見に行くと、ちょうど盛りつけをしている最中。
「師匠っ、すごいです!」
コマが両手をふって将崇を応援していた。幸一も、あまり口を出さずに将崇を見守っている。
「ローストビーフ?」
あとから来た九十九は、作業台に並んだ料理を見て口にした。
将崇が真剣な表情で盛りつけているのは、美しい赤身の薄切り肉だ。表面にしっかりと焼き目がついており、中はほんのり綺麗なピンク色である。それを、花に見えるよう、大皿に盛りつけていた。
将崇は盛りつけのセンスがいい。料理一つひとつが輝いて、心が躍る。
「あかね和牛だよ」
幸一が優しく九十九に解説してくれた。
あかね和牛は愛媛県のブランド和牛である。アマニ脂と柑橘を飼料に与えて育てており、上質なサシと赤身が魅力だった。脂っこい霜降り肉と違い、ヘルシーでやわらかい。
「はい、つーちゃんの」
九十九が物欲しそうに見えていたのだろうか。それとも、純粋に将崇の料理を食べてごらんという意味か。幸一は九十九に、ローストビーフの切れ端を差し出した。
「お父さん、ありがとう」
小皿にのったローストビーフを、箸でつまみあげる。じっくりと低温で中まで火が通っており、ハーブの香りづけが鼻に流れ込んでくるようだった。口に入れると、やはり先に感じるのはハーブの爽やかさ、次いでしっかりついた塩と胡椒の味だ。肉は噛めば噛むほどにやわらかく、旨味が広がっていく。上質な脂身と、赤身はいつまでも噛んでいたくなった。
「うん、美味しい……!」
九十九はほっぺたに手を当てながら言ってしまう。素材の旨味を活かした逸品だ。
他にも、この時期が旬のシマアジのお造りや、丸々一匹を土鍋で炊いた鯛めしなどなど。まさに、素材を活かしたフルコースの豪華御膳だった。
「将崇君、すごい」
盛りつけが一段落して、九十九は声をかける。将崇は顔をあげて、「そうでもない……」と謙遜していた。
「いいえ、師匠がすごいんですぅ。うち、ずっと見てましたっ!」
けれども、コマはぱたぱたと小さな両手で拍手を送っている。九十九も一緒に拍手した。
「隠神刑部様も気に入ってくれるといいね!」
「お、おう……」
間違いなく、今日の御膳は美味しい。将崇が初めて一人で作った御膳だ。きっと、隠神刑部も気に入ってくれる。
ちょっと偏屈なところもあるが、隠神刑部は悪いお客様ではない。さきほどあいさつして、九十九は確信していた。やはり、将崇が尊敬する「爺様」なのだ。心優しくて、今も純粋に将崇を心配してくれている。
将崇の本気も伝わるはずだ。
「んんー……イマイチじゃわい」
だから、隠神刑部の第一声を聞いて、九十九も将崇も表情が固まってしまう。
将崇特製御膳を石鎚の間へ運び、隠神刑部は嬉しそうに箸をつけてくれた。湯上がりほかほかで、隠神刑部も大変上機嫌だった。
それなのに、料理を何口か食べてしばらく。隠神刑部はがっかりした表情で、そう言ったのである。
「い、イマイチ……ですか? 爺様?」
あまりにショックだったのか、将崇の口調もぎこちなかった。九十九も理由が聞きたいと思って、つい姿勢を前のめりにする。
「美味しくないわけじゃないんよ? 肉も魚も、ええの使っとるん、わかるし……じゃが、ワシにはちょっと、むつこいかもしれん……」
「む、むつこい……」
将崇は愕然としながら聞き返していた。
むつこいは、愛媛の方言だ。標準語に置き換えるのが非常にむずかしい言葉の一つでもある……たいてい、「脂っこい」「濃すぎ」「甘すぎる」などに使う。食べると、胃がむかむかしてしまうというニュアンスに近い。しかし、「むつこいけど美味しい」など、単に濃いめの味にも使えるので、用法が幅広かった。
あかね和牛は脂っこい牛ではない。シマアジは脂がのっているが、「むつこい」と評するほどでもないだろう。鯛めしや、他の料理も同様だ。
「全部食べれる気がせんけど……まー坊の料理やけん、がんばってみらい」
隠神刑部はあまり気乗りしない様子で、食事の続きをはじめた。
「…………」
結局、隠神刑部は料理を全部食べてくれた。
しかし、決して満足したとは言い難い。
御膳をさげたとき、将崇は真剣な顔だった。
いったい、なにが駄目だったのだろう。
料理は間違いなく、豪華で美味しかった。それは九十九だって保証する。将崇は精一杯やった。
だが、結果は結果だ。
九十九には、隠神刑部が意地悪でわざと評価をさげているようには見えなかった。きっと、なにか理由があるはずだ。
そう考えているのは将崇も同じだった。厨房で、むずかしい顔をしながら研究ノートを睨んでいる。
「師匠……」
料理の感想を聞いて、コマも心配そうにしていた。
「将崇君、手伝おうか?」
真剣に考え込む将崇に、幸一も申し出た。今回、幸一は軽いアドバイスだけで、基本的に手を出していない。
「いいえ、俺だけでやります」
けれども、将崇は首を横にふって幸一の助力を断った。
「爺様が……俺の料理を褒めてくれなかったのは、初めてだから」
「そうだったの? そういえば、隠神刑部様……将崇君のいもたきが好きって話、さっきしてたかも……」
将崇は、里で一番上手くいもたきを作っていたと、隠神刑部は話していた。九十九が思い出しながら言うと、将崇もうなずく。
いもたきは、愛媛県の郷土料理だ。里芋やにんじん、鶏肉、こんにゃくなどを鍋で煮た料理だ。地域によって、味つけの傾向も違う。河原など、屋外で鍋を囲ってみんなで食べるのは秋の風物詩となっていた。湯築屋でも、毎年みんなで庭に出ていもたき大会を楽しんでいる。
「ああ、よく作ってた。美味しい美味しいって、食べる爺様が好きで……料理作るのも、好きになった。里の連中は味にうるさいからな。餅巾着も入って、豪華だったんだぞ」
「それ、去年も聞いた気がする」
「里のいもたきは最高だからな。俺のが一番だったけどな!」
「すごく楽しそう」
狸たちのいもたきにも、参加してみたい。
将崇は本当にショックなのだろう。言葉に覇気がなく、肩が落ちていた。
「ねえ、将崇君。いもたき作ってあげる?」
里の話を聞いて、九十九はそんな提案をする。みんなで食べる食事は楽しい。旅館の醍醐味は豪華な御膳ばかりではないのだ。お客様を集めていもたきをすれば、隠神刑部も楽しめるかもしれない。
だが、将崇は首を横にふった。
「それじゃあ、俺が成長したって言えない。俺は爺様に安心して帰ってもらいたいからな」
隠神刑部に満足してもらうといっても、最終目標は将崇の成長を見せ、安心してもらうことだ。そこを間違えてはならないのだと、九十九は、はっとさせられた。
将崇は、九十九が考えているよりも、ずっと成長しているのだ……そう実感する。
最初に出会ったころは、自分や里が一番だと主張する場面が多かった。だが、人間の社会で学ぶうちに、将崇はそればかりではいけないと知ったのだ。
「俺がちゃんとしてるって、爺様に見せないと」
将崇の顔は真剣で、九十九と話している間も、一生懸命いい方法を考えているようだった。その様が非常に好ましくて、九十九はどこかで安心してしまう。まだなんの糸口も見えていないのに、「きっと、将崇君なら大丈夫かな」と思えるのだ。
「明日の夕食、もう一回やる!」
将崇は決意を表明して、拳をにぎった。
「そうだ……師匠っ、気合い入れましょう!」
将崇の隣で、コマが跳びあがる。作業時に使う襷で着物の袖をまとめ、フンッと胸を張った。
コマを見て、将崇もその場で跳びあがる。もくもくと白い煙が立ち込め、将崇の姿は狸へと変じた。
二人、いや、二匹で並んで胸を張る。
「俺は気合いなんて入れなくても、大丈夫だけどなっ!」
「本当ですか! すごいです、師匠っ!」
「お、おう……! 俺にまかせとけ!」
狸と狐の師弟が、厨房でぴょんぴょこ駆け回った。




