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7.それぞれのお仕事。

 

 

 

 隠神刑部は湯築屋に宿泊することになった。満足するまで、期限は延長するそうだ。今は、仲居頭のみどりが対応して、部屋へ案内している。


「おい、その……爺様の宿泊費、俺のバイト代から抜いてくれないか……」


 九十九が将崇から一番最初に受けた相談は、それだった。隠神刑部の宿泊費。考えてもいなかった提案だったので、九十九は目をパチクリ見開いた。


「本当に将崇君は、隠神刑部様が好きなんだね」


 微笑むと、将崇はちょっと照れくさそうに目をそらす。


「俺が宿泊してくれって言ったからな」


 たしかに、そうだ。将崇の提案で、隠神刑部の宿泊は決まった。だが、九十九には彼なりの恩返しのようにも感じたのだ。

 隠神刑部はいきなり九十九に抱きついたり、コマに嫌なことを言ったりしたけれど、それでも、将崇の慕う「爺様」だ。将崇の普段の話しぶりから、彼が隠神刑部を好きなのが嫌と言うほど伝わってくる。九十九はそれを応援したいのだ。


「そういえば、将崇君。嫁って?」

「あ……ああ、あ、あああ、あれは爺様が勝手に言ってるだけで! 俺はまだ嫁なんか……いや、もちろん、里を出たときは変なこと言った気がするけど、それはそれだ! 今は関係ない!」


 将崇が里を出た目的は湯築の巫女を強奪して嫁として連れ帰ることだったらしい。もうすれは解決した事柄だが、今思い出すと懐かしい。あのときと比べると、将崇とずいぶん仲がよくなれた気がして、九十九も嬉しかった。


「だからって、諦めたわけでもないからな!」

「え、そうなの? もう、わたしのことはどうでもいいと思ってたよ」

「!? いや、どうでもいい! どうでもいいぞ!」

「どっちなの?」


 将崇の口調ははっきりしているのに、内容ははっきりしない。でも、いつもどおりだ。おかしくなって、九十九は噴き出した。


「爺様……お見合いしろって。たぶん、断ったから、こんなとこまで乗り込んできたんだ」


 将崇は疲れた息をつきながら、経緯を説明してくれる。

 隠神刑部は将崇のお嫁さんを心配しているのだ。最近、ずっとお見合い相手を紹介しようとするらしい。里の狸や、松山に住む狸など……。

 隠神刑部が心配しているのも、わかる気がする。湯築の巫女を強奪して帰るなんて、とんでもないことを言って里を出たと思ったら、結局、将崇は人間と一緒に暮らしはじめてしまった。彼らの言い方をすれば「芯」がブレて見えるかもしれない。軸ではなく、芯なのかとも思ったが。


「見合い候補と口裏あわせて、結婚しないって言おうと思ってたのに……」


 将崇は項垂れて、頭を掻きはじめた。


「それって、もしかして……放生園で一緒に歩いてた人?」

「!? み、み、みみみ、見てたのかッ」

「うん、偶然。化け狸っぽいなぁって思ってたけど、やっぱり」


 のぞき見していたような気がして、申し訳なくなってくる。将崇はしばらく恥ずかしそうに狼狽していたが、気を取りなおして説明してくれた。


「あ、あれは、見合い候補って言っても、その……変なアレじゃないからな!」

「わかってるよー。どこの狸さん?」

「や、八股榎大明神の……」

「ああ、お袖さん!」


 八股榎大明神と聞いても、どこにあるのかピンと来る人間は、もしかすると松山でも多くないかもしれない。だが、「松山市役所前のお堀にある、小さな鳥居」と言うと、「ああ、あれか!」という反応になる人もいるはずだ。

 お袖狸、通称、お袖さんは松山城に住んでいた狸だ。それが堀端にある大きな榎に住みついたという。一株から八本に幹がわかれた大木で、一度は強風で倒れたが、次に植えた木も大きく育ったらしい。そこに祠が置かれ、お袖さんは神様として祀られた。

 しかし、この八股榎大明神には何度も消滅の危機があったのだ。

 明治になり松山電気軌道が開通する際、この榎が邪魔になってしまう。八股榎大明神は場所を移されたのだが、結局、また堀端の別の榎に祠が建てられることで落ち着いた。それが昭和に入り、伊予鉄道の路面電車複線化に伴い、再びお袖さんの榎が邪魔になってしまったのだ。

 榎は伐採されることになった――が、伐採作業は難航し、病人や怪我人が続出したという。作業は一向にはかどらず、榎は伐採ではなく根ごと、別の場所へと植えかえられることに。けれども、結局、移植した榎の大木は枯れてしまった。

 しばらく行き場をなくしてしまったお袖さんだが、予讃線の大井駅にて化けて出たという噂話もあり、人々の信仰の根深さを証明した。

 戦後になり、三度堀端に生えた榎の下に祠が建てられる。それが祀られ、現在では小さな赤い鳥居が並ぶ社となっているのだ。

 非常に複雑な経緯を経て、今も人々から信仰されるお袖さん。市役所の目の前ということもあり、まるで、松山を見守ってくれているようだ。実際、行き交える人々を観察するのが好きな神様であると聞いている。


「お袖も、爺様から松山を離れないか誘われてて……でも、嫌みたいだから」

「それで、二人で口裏あわせて、仲のいいふりをしようとしてたの?」

「ま、まあ……そんなところだ」


 隠神刑部も松山城に住んでいた狸だ。お袖さんとも面識があるのだろう。

 たしかに、嫁を薦める隠神刑部を納得させるには、いい作戦かもしれない。長くつづくとは思えないけれど。

 そんな将崇の計画も虚しく、隠神刑部は湯築屋へ乗り込んできた。


「こうなったら、隠神刑部様にご納得いただくしかないね。満足してもらおう! わたし、がんばるから!」


 九十九が笑うと、将崇も顔をあげる。


「あ、ああ。でも、これは本当に俺の問題だから。なるべく、爺様の接客は俺がする」


 将崇は厨房のアルバイトだが、接客もときどき手伝ってくれる。不意のアクシデントには弱いが、目立った問題はなかった。


「ううん、いいよ。今日は忙しくないし、接客はこっちにまかせて。それより、将崇君は将崇君なりのおもてなしに集中したほうがいいと思う」


 将崇の心意気は尊重すべきだが、やはり、最高のパフォーマンスには役割があるのだ。接客は九十九たちにまかせて、将崇は自分の領域でがんばってほしい。


「俺なり……」

「料理屋さん、認めてほしいんでしょ」


 将崇が勝負すべきなのは、料理だと思う。

 自分の店を持ちたいという目標に向けて、がんばっている姿を見せるべきだ。修行中で未熟かもしれないが、今の将崇を見てもらったほうがいい。


「そのほうが、隠神刑部様も安心してくれると思う。勝手な想像だけど」


 九十九がそう笑うと、将崇は無言でうなずいてくれた。そして、真剣な表情でポケットに入れていたノートを見はじめる。将崇がいつも携帯しているため、丸まってぼろぼろのノートだ。ここに、いろんなことがメモしてあるのだろう。


「師匠……」


 あとから、とぼとぼとコマが歩いてくる。耳と尻尾がシュンとさがっており、「気落ちしている」のがよく伝わってきた。さきほど、隠神刑部から冷たく言われたのを気にしているのだろう。

 コマは化け狐だが、変化が苦手だ。それが、将崇の弟子になってから、少しずつ上手になっていった。以前と比べると、見違えるようだ。

 しかし、隠神刑部はコマのがんばりを知らない。コマにとって、隠神刑部の言葉は大変に厳しいものだっただろう。


「がんばってくださいっ。うちも、精一杯やります」


 それでも、コマは顔に笑みを作って、将崇を見あげた。


「コマ……」


 あんまり無理しなくていいんだよ。九十九は思わず口にしてしまいそうになったが、ぐっと黙る。代わりに、九十九はコマの前に屈み、頭をなでてあげた。ふわふわの体毛が気持ちいい。九十九になでられ、コマは嬉しそうに尻尾を左右にふる。


「うちも、師匠の弟子ですから。ちゃんと胸を張りますっ!」


 コマはふんぞり返るように胸を張って、「ふんっ」と気合いを入れた。その様が愛らしくて、九十九はついつい頭をいっぱいなでてしまう。

 コマの宣言を聞いて、将崇は恥ずかしそうに「そ、そうか……」と目を泳がせる。


「コマも一緒にがんばろうね」


 九十九も、改めて口にすると、自分にも言い聞かせている気分になった。

 

 

 

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