表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
189/288

5.お客様は――。

 

 

 

 燈火とのティータイムを終えて湯築屋へ帰ると、いつもと違っていた。


「ただい……どうしたんですか? シロ様?」


 従業員用の出入り口から入る九十九を、待ち構えるようにシロが立っていたのだ。普段は、あまりない。無意味に構って構ってと絡んでくることはあるが、帰りを待っていたのは初めてだ。

 九十九は不審に思いながら、靴を脱ぐ。


「九十九」

「はい、なんでしょう」


 首を傾げる九十九を、シロが真剣に見おろしている。なんだろう。なにか、大事な話でもありそうな雰囲気だ。

 途端、シロの表情がフッと緩む。片目をパチリとウインクさせ、チュッと軽く指を当てた唇を鳴らした。投げキッスだ。え、投げキッスだよね?


「え……本当に、どうしたんですか? シロ様?」


 思わず、本気でもう一度聞いてしまった。いや、シロはこれでもそうとうに顔がいいので、投げキッスはさすがに絵面がいい。しかしながら、「なぜ?」という不思議さのほうが勝ってしまった。


「な! こうすれば、九十九が喜ぶと聞いて」


 九十九が思ったとおりの反応してくれず、シロは慌てた表情を浮かべた。そして、九十九は察する。この場合の「と聞いて」は、天照だ……。

 九十九は大きな大きなため息をついた。


「だから、天照様には、もっとマトモなことを教えてもらってくださいよ……」


 図星だったようで、シロは「な、なんだと……」と驚いている。絶対に、これは天照に遊ばれているのだ。面白がられている。きっと、今もこの様子をどこかから、こっそりと見ているのだろう。

 これぞまさしく、暇を持て余した神々の遊戯だ。


「まったく……これからお仕事なんですから、ふざけないでくださいよ」

「ふざけてなどいない。儂は九十九に喜んでほしくて……!」


 九十九はさっさと中へとあがる。もふもふと揺れるシロの大きな尻尾が邪魔なので、ペッと雑に手で避けた。


「儂は九十九に言いたいことがあるのだ」


 けれども、シロは妙に食い下がった。九十九から相手にされず意地になっているが、ちょっと必死そうにも見える。

 言いたいこと。それを聞いて、なぜだか、今朝の天照との会話を思い出した。本当に、どうしてかはわからないが、頭の中に浮かんでくる。

 九十九の神気の特性について。

 夜にでも、シロに聞くつもりだった。

 もしかして、シロのほうから言ってくれるのだろうか。

 九十九は、いつだって待ってきた。

 今度はシロから打ち明けてくれるかもしれない。そう思うと、なにもしていないのに、じんわりと胸の奥が熱くなってきた。

「聞いてもいいですか?」

 九十九は立ち止まり、シロのほうを向きなおった。

 すると、シロも神妙な面持ちで応えてくれる。


「九十九のことだ」


 どくん、と心臓が高く鳴った。九十九が期待していた言葉だ。

 決して、色気のある話ではないのに、とても嬉しい。なにも聞く前から、先に「ありがとうございます」と言いかけた。

「それ、わたしも聞こうと思っていました」

 なんとか、嬉しいという意図を伝えたかったが、これでいいだろうか。素っ気ない言葉を選んでしまった気がした。

 しかし、シロはやわらかな微笑を浮かべる。


 シャン、シャン。


 と、ここで鈴の音が聞こえた。

 お客様が湯築屋へ来館したのだ。今日のご予約は聞いていないので、飛び込みのご新規様だろう。湯築屋のお客様は、あまり予約しない。突然、ふらりと現われるお客様が多数だった。

 九十九は戸惑いながら、玄関のほうを見る。今までなら、迷わず接客を優先していただろう。だが、せっかく、シロが九十九に話をしてくれようとしている……そう思うと、躊躇してしまった。


「行ってこい」


 珍しく判断できずにいる九十九の背を、シロがポンッと押した。

 身体が少しだけ前傾姿勢になる。すると、着物の裾がふわりと揺れた。今まで、洋服を着ていたはずなのに、九十九はいつの間にか、紅葉柄の着物をまとっている。シロが着させてくれたのだ。

 スッと背筋を伸ばすと、金色の紅葉の髪飾りがしゃらりと鳴った。


「急ぎの用でもない。あとで聞かせてやる」


 ちゃんとあとで続きを話す。そういう約束だった。


「ありがとうございます!」


 九十九は大きくうなずきながら、玄関へと向かった。着物なので歩幅が狭くなるが、そこは慣れている。九十九はずっと、この湯築屋の若女将をしているのだから。

 廊下をまっすぐ進んで、玄関が見えてくる。

 ちょうど、玄関が開き、お客様が入ってくるところだった。いつものペースの感覚なら、門から玄関までのお客様の進む速さは、もう少し遅い。幻影だが、日本庭園や四季の花々が堪能できる庭を見ているからだ。今日のお客様は、ちょっとせっかちらしい。

 九十九のほかに、従業員は辿り着いていない。


「いらっしゃいませ、お客様」


 九十九は元気にあいさつしながら、玄関でお客様を迎えた。

 お客様は大きなお腹を揺らし、老年男性の姿をしている。背が低いため、全体的にまんまるの印象だ。ほっぺたも、ほんのり赤くてツヤツヤしている。口にはしないが、愛嬌があるマスコットキャラクターのような見目だった。


「おお……おお!」


 けれども、どうやら様子がおかしい。

 お客様は、九十九の姿を見るなり、なぜだか大きな声をあげはじめた。目がうるみ、感極まっているように見える。なにが起こっているのかさっぱりわからず、九十九は眉間にしわを寄せてしまった。

 次の瞬間、お客様の身体が跳ねた。跳びあがったというより、文字通り、ボールのようだ。


「巫女じゃわいー!」

「え、え、えええ! お客様ぁ!?」


 突然で、九十九は反応できなかった。

 お客様は、動けない九十九に、覆い被さるように抱きつく。ぎゅーっと、まんまるな身体が九十九を包むようだった。

 ここで初めて気づいたのが、お客様に尻尾があるということだ。

 もふもふで、ふさふさ。シロやコマとは違う。茶色くて、可愛らしい尻尾だった。


「お客様、もしかして……」


 お客様は、狸だった。

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ