4.新しい歴史
道後温泉本館の南側。
冠山をおりてすぐの道を進むと、趣がガラリと変わる。
車が二台ぎりぎり離合できるほどの道幅のせいか、先ほどまでより閉塞感を感じた。そこまで狭い道ではないはずなのに……まるで、秘密の小径に迷い込んだ感覚だ。
道沿いには土産物店やカフェ、ホテルなどではなく、駐車場や民家が目立ってくる。古い石垣のうえに建つ家々や、浸食する蔦。一歩踏み込むだけで、ノスタルジックな世界へ誘われた気分になる。
観光地として整備されたハイカラ通りとは、また違った情緒があった。
その空気を燈火も感じてくれているようで、ちょっと嬉しくなってくる。
「ほら、ここ」
「圓満寺……?」
九十九が示した先を、顔をしかめて燈火が見る。
「小さい……」
実に正直な感想を述べられて、九十九は苦笑いした。たしかに、観光スポットのお寺としては、小さいかもしれない。民家などの間に、ひっそりとたたずんでいる。奥に本堂があり、手前にお堂が建っているこぢんまりとした造りであった。
小さいという燈火の評価は、まあ正しい。
だが、その敷地内でも一際目立つ部分がある。
「なにあれ」
「お目が高い」
九十九はパチンと指を鳴らしてみせる。ここまでくると、自分でもかなり得意げになっていると思った。
圓満寺のお堂を飾るのは、色とりどりの飾りだ。近づくと、お手玉のようなものがたくさんぶらさがっていた。
「お結び玉っていうんだよ」
梁から長い紐が数本垂れており、そこに様々な色のちりめん生地で作られたお結び玉が結びつけられている。赤やピンク、黄色、オレンジなど華やかな色が多い。とてもカラフルで美しかった。
「綺麗」
まるで、カーテンのようだ。
面積はさほど多くない。小さなお堂の外側にある壁が二面、お結び玉のカーテンで埋まっている程度だ。それでも、写真を撮るには充分だろう。若い女性が楽しそうに、スマホで写真撮影に興じているところであった。
「フォトジェニックってやつですよ。女性に人気の新しいスポットだね。願いごとを書いて、絵馬みたいに結ぶんだよ」
「新しいの……?」
燈火は不思議そうな顔だった。
圓満寺自体は古いお寺である。ずっと道後を火災から守ってきている歴史があった。だが、このお結び玉がはじまったのは最近の試みなのだ。「道後温泉開運めぐり」というプロジェクトの一環としてはじまった。
お結び玉は、道後温泉のシンボルである「湯の玉」をイメージして地元の人々が作っている。同時に、地元出身の俳人による俳句恋みくじや、俳句の絵馬も設置されていた。
昔ながらのお寺に新しい風を持ち込んだのだ。
観光客向けのプロジェクトだが、圓満寺は火除けの御利益が転じて、浮気封じや夫婦円満、恋愛成就の役割を持つ。信仰の形は変えながらも、守られている。
伝統を守りながら、新しさを取り入れていく。
本館の改修工事を筆頭に、道後の街は少しずつ変わっている。
「あら、いらっしゃい」
急に声をかけられて、燈火がギョッと肩を震わせていた。九十九は多少の慣れがあるので、平生のままだ。と言っても、いきなり現れると結構驚く……燈火があまりにいい反応だったので、逆に冷静になれたのかもしれない。
「こんにちは、火除け地蔵様」
お堂の中は一段高くなっており、ござが引かれている。そこに腰かけて笑っているのは、火除け地蔵であった。白くて滑らかな肌に、鮮やかな紅色の唇がよく映える。目が冴えるような色合いの浴衣が似つかわしい。
「地蔵? え、ええ……地蔵?」
九十九が火除け地蔵と呼んだのを、燈火が聞き返した。混乱しているようだ。
「燈火ちゃん、こちらは火除け地蔵様だよ。湯の大地蔵尊のほうが、たぶんメジャーな呼び方なんだけど、うちでは火除け地蔵様って呼んでるの」
「こちらって……こちら? お地蔵さんって感じがしない……」
まあ、たしかに……火除け地蔵の派手な見目は、一般的な地蔵のイメージとは違う。しかし、火除け地蔵は九十九にとって馴染み深い存在だ。石の地蔵がトコトコ歩いているのも、なんだか違う気がするのだ。
「ちなみに、火除け地蔵様の本体はそっちね」
「そっちって……これ!? これ、お地蔵さんなの!?」
あまり大きな声を出さない燈火が思わず叫んでしまった。
というのも……やはり、火除け地蔵そのものが一般的な地蔵のイメージと乖離しているのだ。
お堂の中に鎮座するのは、見あげるほど大きい地蔵。ここまで来ると、像などと呼んだほうがいいかもしれない。大仏にしては小さいが、地蔵にしてはずいぶんと大きかった。
色鮮やかな着物や白い肌、真っ赤な唇は、今、手をふってウインクしている火除け地蔵とリンクするものがある。
「これって言い方はないんじゃないかしら……でも、驚いてもらえると、お姉さん嬉しいわ」
火除け地蔵は言いながら、燈火の前に立つ。背が高い火除け地蔵を見あげて、燈火は「いや、おネエさんじゃないかな……」などとつぶやいている。
「結んで行きなさいな」
笑みが優美で、思わず見蕩れてしまいそうだった。火除け地蔵は三方に盛られたお結び玉を一つ、燈火の手にのせてくれる。
「あ、はい……」
手にのったお結び玉をながめて、燈火は少しだけ嬉しそうな表情をしている。いつもの服装がトゲトゲしているので心配したが、可愛いものも好んでくれるようだ。
「あなたも」
火除け地蔵は、九十九の手にもお結び玉をにぎらせてくれた。
「恋のおねがい、聞いてあげるわよ」
サインペンも一緒に渡される。
お結び玉は、ただ紐に結ぶだけではない。ねがいを書いて結ぶのだ。変わった絵馬のようなものである。
「恋……」
九十九はどうしようか考えて止まってしまう。そういえば、圓満寺は浮気封じや夫婦円満、良縁祈願など恋にまつわる御利益がある。他にも、家内安全や延命長寿などがあるので、そちらにしたいのだが……だって、恋って。九十九は自分の顔が赤くなっていくのを感じる。
頭の中で、シロが尻尾をふりながらこちらを見ていた。容易に想像できてしまう自分が悔しい。
「できた」
一方の燈火は、とてもスラスラとお結び玉にサインペンを滑らせていた。見ると、単純明快シンプルに、「彼氏ができますように」だった。実にわかりやすい。
「お兄さ……いや、お姉さん。メイク、なに使ってるの? 洗顔は? お肌が綺麗ですね……」
燈火は珍しく口数多く火除け地蔵に質問していた。お化粧や美容に関する話が好きなのだろう。見目麗しい火除け地蔵のことが、とても気になるようだ。
とはいえ、火除け地蔵は人間ではない。お化粧と言われても困るかもしれないが……だが、火除け地蔵はとても甘い笑みを返した。
「ヒミツよ」
模範解答だった。
燈火は不満そうだが、どこか納得したようだ。
「そ、そうですか……すごく気になって、つい」
「いいのよ、ありがとう。でも、そうね。こういうお化粧はいいのだけど……あなたアイシャドウは、グリーンよりブラウン系のほうが似合うわよ」
「な、なるほど!」
火除け地蔵の助言に、燈火が生き生きしている。
そんな二人を横目に、九十九はこっそりとお結び玉にねがいを書いてしまう。
恋のねがい……思いつかないわけではない。
しかし、なんとなく書く気になれなかったのだ。結局、赤色のお結び玉に、「みんなが元気に暮らせますように」と書く。家内安全、健康長寿のおねがいだ。
九十九はそそくさと、ねがいを書いたお結び玉を結びつけた。
「またあとで書きに来てもいいわよ」
けれども、ふと耳元で声がしたような気がする。
ふり返ると、火除け地蔵は燈火とお化粧トークを続けていた。それなのに……九十九のショルダーバッグの中には、もう一つ、黄色のお結び玉が入っている。
いつの間に。
九十九が眉を寄せていると、火除け地蔵が微笑んだ気がした。
お結び玉に書いたおねがいは、嘘ではない。
だが、火除け地蔵には見透かされていたような気がする――。




