3.見せる工事
「できたばっかりのお店で、美味しいんだよ」
ハイカラ通りに面したお店の看板には、メニューがずらり。木目と煉瓦を意識した店は、とてもレトロでお洒落だ。店の奥には、イートインや購入したプリンを撮影するスポットもある。いわゆる、インスタ映えだ。ツバキさんが好きそうである。
プリンのショーウィンドウを、燈火が真剣に見つめていた。声に出さないが、目がキラキラとしている。
「迷っちゃうよね」
九十九が声をかけると、燈火はうなずいた。同じことを考えていたらしい。
「うーん……」
「…………」
九十九も迷ってしまう。どれも美味しいのは知っているのだが……強いて言えば。
「これください」
「これ……」
燈火と二人同時に、同じプリンを指さしてしまった。
瓶詰めされているのは、滑らかそうなプリンだ。黄色のうえには、丸々としたみかんの断面と爽やかそうなゼリーが見える。上半分がみかんゼリーで、下半分がプリンという趣であった。
見目が可愛く、燈火も惹かれたのだろう。もちろん、味も美味しい。
九十九は燈火と顔を見あわせて笑う。燈火も、ちょっとぎこちなく笑顔を返してくれた。
買ったプリンを、イートインのカウンターに並んで食べる。木製のスプーンが可愛くて、なんとなくプレミアム感があった。
「…………!」
燈火が黙々と食べながら目を瞬かせている。彼女は無口なせいか、あまり感動を口にしない。代わりに、嬉しかったり楽しかったりすると、わかりやすく表情に出た。
九十九もプリンの蓋を開け、中にスプーンを差し入れる。
ゼリーに浸ったみかんをすくいあげた。小振りのみかんの断面は写真映えすると当時に、非常に食欲をそそる。九十九はみかんをパクリと、一口で食べた。
爽やかなゼリーと、みかんの甘み。くちの中が果実のジューシーさで、いっぱいになった。夏らしくて美味しい味がする。
だが、下の層になっているプリンは、まるでカスタードクリームのように濃厚だった。滑らかでとろける甘みである。
そして、一見、相反しているように思えるが、ゼリーとプリンはベストマッチしていた。プリンの濃厚さを、清涼感のあるゼリーが中和している。これは新感覚に美味しい。
「気に入った?」
九十九の問いに、燈火はコクコクとうなずいてくれた。
「道後なんて……古いだけだと思ってた」
「聞き捨てならないなぁ」
「ごめん……」
でも、燈火の言い分もわかるのだ。
九十九には当たり前になっているが、実はこういう反応は珍しくない。小夜子が湯築屋へ来はじめたころも、近いことを言っていた。
昔ながらの観光地、しかも、温泉街。若い女性には、あまりピンと来ないようだ。燈火は直接言及するのは避けているが、「ちょっと古くさそう」とか「行っても楽しくない」というイメージが付随している。
地元の人間だと、なおさら。
燈火以外の友人にも、「道後って、なにが面白いの?」と、聞かれたことがある。
女性の一人旅ランキングに選ばれるほどの観光地なのに。
実際に歩くと、本当にいい町なのだ。観光スポットはこぢんまりとコンパクトにまとまっていて、一日や二日で回りやすい。公共交通機関でのアクセスはいいが、松山市の中心部からはほどよく外れていて静か。
古い伝統が多く受け継がれているが、新しいものもたくさんある。
お店だってそうだが、施設なども様々な試みがされているのだ。
県外や海外の観光客が多い。
だが、県内の人々にも、改めて魅力が伝わってほしいと思うのだ。
「足湯だけでも、いろいろあるんだよ。歩いて足ツボを刺激したり」
「歩く足湯?」
「あと、喫茶メニューが注文できるところもあるよ。自分で作ったゆで卵が食べられたり!」
「足湯しながら食べていいんだ……?」
「基本的にお湯が熱いからね。冷たい道後サイダーとか、みかんジュース飲みながらつかると、長い時間お喋りできるんだよ」
「それは美味しそうかも……」
「あと、そうだなぁ。新しいところだと、空の散歩道とか! 本館を見おろしながら足湯ができるんだよ!」
「見おろすって、なにそれ。どこから……?」
「行く?」
燈火は興味津々な様子で「うん」と、うなずいてくれる。彼女もどんどん興味を示してくれるようになった。
そうと決まれば、話は早い。
九十九たちは再びハイカラ通りを歩き、道後温泉本館のほうへ向かう。
「でも……道後って、改装工事中なんだよね……?」
道すがら、燈火が思い出したように呟いた。
燈火の言うとおりだった。道後温泉本館は長い改装工事期間に入っている。温泉は利用できるが、営業を縮小しており、従来のように休憩室でお茶をいただくことができなくなっている。
老朽化が進んでいるため、この工事は必要なものだ。道後温泉本館は観光地であると同時に、国の重要文化財。保存のためには避けて通れない。
「大丈夫」
燈火は怪訝そうにしていたが、九十九があまりに自信たっぷりだったせいか、文句を言わずについてきてくれる。
ハイカラ通りのアーケードを抜けてすぐの場所に、道後温泉本館が見えた。
道後温泉自体の起源は古代に遡るが、建物は明治時代の大改修によって今の姿になっている。三階建てで近代和風建築の外観はレトロで独特な趣があった。
目の前に見えているのは正面玄関だ。だが、改修工事中なので使用されていない。現在、利用者は北側の入り口から、入ることになっている。
「火の鳥……?」
燈火は本館を見あげて口をポカンと空けていた。
改修工事中の道後温泉本館を彩るのは、有名アニメーション作品とのコラボ展示である。玄関には鮮やかな色の暖簾がかかっていた。これは季節ごとに色が変わる。さらに、建物を大きなラッピングアートが覆っていた。
「本館の改修工事はね……見せる工事なんだよ」
工事は避けられない。
では、「見せる工事」をしよう。
これが本館工事の基本方針だった。
案外、地元の人間でも知らなかったりする。
九十九は得意げに燈火を導いていく。この段になると、燈火は黙ってついてきてくれた。すっかり九十九の案内を信用してくれている。そのまま、本館の南側にそびえる冠山を歩いてのぼっていく。小高い丘のような山だ。このうえには、本館に一番近い駐車場がある。そして、道後温泉を見守るように、湯神社と、中嶋神社が並んでいるのだ。
「こんなところ、知らなかった」
冠山をのぼる坂道は、少々傾斜がきつい。燈火は息を切らしていた。
上までのぼると、湯神社の境内と広い駐車場が見える。そして、空の散歩道と書かれた案内板に沿って歩くと――道後温泉本館、そして、道後温泉地区を見おろすことができた。
「なるほど……」
文字通り、本館を見おろす景色に燈火が笑顔を作ってくれた。
ここからなら、本館を覆ったラッピングアートの全容が見えるのだ。歴史絵巻をテーマにしており、再生の象徴である火の鳥が上部を飾っている。
空の散歩道には、休憩用のベンチのほかに、新しく足湯施設が設置されていた。もちろん、これも「見せる工事」の一環である。
足湯を楽しみながら、変わりゆく道後温泉の歴史を見守ることができるのだ。
歴史と、ともに歩んで新しくなろうとする温泉街の象徴的な施設かもしれない。九十九と燈火は、並んで足湯につかる。
「何回目かわからないけど……思ってたのと違う」
本当に、何度目だろう。燈火の言葉に九十九も笑った。
足湯の温かさがじんわりと身体に行き渡る。血行がよくなって、身体全体がぽかぽかしてきた。しかし、夏は暑いのでショルダーバッグに入れていた炭酸水を飲む。
「あのさ」
と、燈火。
ぽつりと呼びかけられる。
「湯築さんは……怖くなかったの?」
「なにが?」
「変なものいっぱい見えて……」
そう、燈火はうつむいてしまった。
「変なものではないからね」
「ごめん、言い方間違えた……」
「しょうがないよ」
「ボクは怖かった」
つぶやきながら、燈火は湯につけた足を揺らす。湯船を滑るように波紋が広がった。
「見えるものが、じゃなくて……みんなには見えないものが見えるボクが」
「燈火ちゃん」
「誰からも理解されなくて、怖くなったんだ……でも、平気なふりをしなきゃいけない。本当は平気じゃないのに」
燈火はずっと「普通であろう」とした。
「そのうち、誰からも理解されなくていいって考えるようになった」
本心では、そう思っていないのに。
「他人と関わらなきゃ、ボクが変だと思われることはない。ボクだって、自分を怖がらなくて済む」
本当はすごく怖くて寂しい。
燈火の境遇は九十九とはリンクしなかった。九十九と燈火は明らかに違う環境で育ち、違う人生を歩んできている。
しかし……理解しようとすることはできた。
「わたしは最初から、燈火ちゃんの言う普通じゃないから」
九十九はずっと神様や妖に囲まれて育った。
生まれたときから、神様との婚姻を結んでいる。巫女として、妻として。そして、湯築屋の若女将として生活してきたのだ。
どう考えたって普通ではない。自分でも、よくここまで盛ったと思う。イレギュラーの特盛りである。
「わかるって言っちゃうと、なんか薄っぺらい気がするんだよね」
九十九の気持ちを燈火に理解しろと言っても無理だろう。
だから、こう聞き返してみることにした。
「わたしは燈火ちゃん怖くないよ。燈火ちゃんは、わたしのこと怖い?」
燈火は九十九の顔を見たまま口を噤んでしまった。
そのまま沈黙が続く。
足湯の流れる音と、ときどき聞こえる車の音。
ただそれだけだった。
「……怖くない」
やがて、重い口を開いた燈火が声をしぼり出す。答えを合図に、九十九はとびっきり明るく笑い返した。
「じゃあ、大丈夫だね」
なんでもないことのように、言ってみる。
燈火はしばらく固まったまま動かなかったが、やがて眉を寄せながらうなずいた。どういう顔をすればいいのか、わからないようだ。
九十九は湯から足を引き抜いた。水滴の落ちる足を、持参したタオルで拭う。
「燈火ちゃん、次行こう」
「え、次……?」
「道後の新しいところ、いっぱい見せてあげるから。次々回らないと、時間足りないよ」
「そ、そんなに回るの?」
「もちろん!」
九十九は燈火にもタオルを渡す。靴を履きながら、「カフェ休憩はレトロがいい? 優雅にお茶会がいい?」とも、聞いてみる。
町家風でレトロな可愛いカフェがいいだろうか。それとも、イングリッシュガーデンをながめながら、三段のトラジショナルアフタヌーンティーと洒落込もうか。どちらも、大学生のお財布に優しい値段帯だ。
「あ、その前にインスタ映えスポットに行こうっか!」
「湯築さん、オススメ多過ぎ……」
「いいところがたくさんあるんだから、しょうがないね!」
九十九がカラリと言ってのけるので、燈火は困った表情になる。だが、あきらめたのか、足を拭いて靴を履く。
「しょうがないな……おねがいするよ」
燈火はようやく、今日一番の笑顔を見せてくれた。




