2.案外、いいもんでしょ?
とまあ……あんな感じで湯築屋を出てきたわけだが。
道後温泉駅の前で、九十九はスマホの時間を確認する。うーん、電車一本分ほど、早く着いた気が……だが、路面電車から特徴的な服装の人物が降りてきて、顔を明るくした。
黒いTシャツに、黒いジーンズ。ダメージ加工が多用され、チェーンが揺れている。スタッズがたくさんついたベルトやブレスレッドがキラキラと光っていた。
「燈火ちゃん!」
九十九に声をかけられて、燈火はビクリと肩を震わせていた。メイクのせいか、顔色が悪く見えるが、燈火は恥ずかしそうに目をそらしながら、「どうも」と頭をさげる。
「早かったね」
「湯築さんもね……」
「うん、デートが嬉しくて早く来ちゃった」
「デートって……女同士だし」
「二人っきりだから、デートでいいんだよー。なにして遊ぶ? どこか行きたいところある?」
テンションにズレがあるが、いつものことだ。そろそろ燈火とのつきあいに慣れてきた九十九である。表情から、なんとなく「嫌がってはいない」と判断できるため、九十九は燈火の手を引いて歩いた。
燈火は松山市近郊に住んでいるが、あまり道後温泉地区には遊びに来ないらしい。テレビなどによく映る道後温泉本館くらいしかわからないと聞いた。
そこで、九十九が「それ、もったいないよ」と、デートを持ちかけたのだ。
「別に、地元だし……そんなに面白くないんじゃないかな」
「そんなことないって。地元だから、楽しく遊べるんだよ」
「だって、温泉だよね……」
「温泉もいいよ。交通費があんまりかからない観光地なんて、お得じゃないかな?」
「そう……だね」
「温泉は美容にもいいんだよ。燈火ちゃん、お化粧とか好きだし興味ない?」
「……肌荒れに効く?」
「道後温泉は美肌の湯だよ。お肌の角質がとれて、つるつるになるの。道後温泉の湯から作られてる化粧水もあるんだからね。女性の一人旅ランキングで、一位になったこともあるんです」
そう説明すると、燈火はやや真剣な面持ちになる。どうやら、刺さったようだ。
「温泉につかると、汗をかくでしょ。デトックス効果もあるんじゃないかな」
「でも……道後の湯は熱いって……ボク、ぬるいお湯で半身浴が好きなんだけど……」
「じゃあ、足湯もいいんじゃないかな? ハシゴも楽しいよ?」
「足湯……でも、ハシゴするお金なんて……」
「無料で入れる足湯がいっぱいあるんです。安く楽しく遊び回れるので、わたしとしてはオススメのコースなんですよ」
九十九は胸を張ってみる。だんだん口調が接客モードに入ってきた。なんだか、スイッチが入ってノッてきた、という感覚。
「観光地遊びは高い。そういう認識だと思いますけど、賢く遊べばコストパフォーマンスがいいのです。デートに誘ったからには、今日はわたしがきっちりエスコートするのでついてきてください」
「う、うん……」
調子にのりすぎかな。しかし、燈火はすっかりその気になっているように見えた。足どりがやや軽い。彼女はあまり自分の主張を口にしないが、慣れてしまえば意思を察することができる。
「今日は地元ならではリーズナブルな観光コースをご案内しますね。お客様、まずはこちらへどうぞ!」
完璧にお客様をご案内する気分だった。けれども、そのほうが九十九もやりやすい。
まずは、道後温泉街のアーケードへ入る。ハイカラ通りには、たくさんの観光客が歩いており、にぎわいを見せていた。
「やあ、稲荷の妻」
声をかけてきたのは、黒い猫――おタマ様だった。この地に長く住む猫又だ。
「こんにちは、おタマ様。今日はお友達とデートなんです」
九十九はカジュアルに笑い、おタマ様へあいさつする。その様子を見て、燈火が目をパシパシ瞬かせていた。
「おや、そちらは……吾輩の言葉がわかる子かね?」
燈火には神気がある。常人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえるのだ。おタマ様の声は、普通の人間には「みゃあ」としか聞こえていない。
「…………」
燈火は口を噤んで、おタマ様の声に答えないようにしていた。彼女の周りには、神気や妖などに対する知識を与えてくれる人間がいない。ずっと独りで、これらの怪異を見えないものとして過ごしてきたのだという。それは、なんの防衛策もない燈火の身につけた知恵であった。
九十九のように、小さいころから神気の使い方を教わり、妖や神様と接してきた人間とは違うのだ。
「燈火ちゃん、おタマ様は悪いことはしないよ」
九十九は安心させようと、燈火に笑いかける。おタマ様もなんとなく事情を理解してくれたようで、チョンと前足をそろえて燈火を見あげた。
「吾輩は猫又である。名前はタマ……こうあいさつすると、ウケがよいのだが……どうかね?」
おタマ様にしては気さくだった。気まぐれで人間に構わないことも多いが、燈火については気にかけてくれるらしい。
「あ……どうも……」
燈火は迷いながら、小さく頭をさげてくれた。
「種田燈火ちゃんって言います。ちょっと恥ずかしがり屋さんなので、どんどん話しかけてあげてください」
「ふむ……そのようだね。では、よろしくたのむよ。恥ずかしがり屋の君」
おタマ様はそう言いながら、前足を伸ばしてあくびをした。いつもの気まぐれである。急に興味を失ったように、どこかへ歩いて行ってしまった。だが、たぶん燈火のことは覚えてくれただろう。また見かけたら、声をかけるに違いない。
「なんか、普通……だったね」
「妖はみんなそうだよ。本当に悪い妖は、そんなにいないんじゃないかな?」
「そ、そう? よく消しゴム盗まれたり、おやつ食べられたり、したけど……」
「人に見られるのが珍しいからだよ。燈火ちゃんに構ってほしかったんじゃないかな。もちろん、怖い妖もいるから、注意はしなきゃいけないんだけど……おタマ様は、なにもしないよ」
「……湯築さん、本当にいろいろ知ってるんだね……」
「なんの、なんの。これから、もっといろいろ教えてあげるからね」
最初、九十九は燈火に湯築屋で働かないか持ちかけたのだ。
だが、すでにライブハウスでアルバイトをしていたため、呆気なく断られてしまった。九十九としては、いろいろな知識も身につくので妙案だと思ったのだが……でも、燈火がやりたいことをするのが一番だ。
「この辺りには、他にもいるの?」
「妖だと、うーん……おタマ様以外だと、近くの神社の神様とか、うちの旅館のお客様が歩いてることがあるかな。そういう意味では、多いかも」
九十九は神様や妖の密度について気にしたことがなかった。
京都など、たくさん神社やお寺のある土地のほうが、それらの類も多いのかもしれない。そういえば、中学の修学旅行で関西へ行ったときは、向こうでお客様にたくさん会った。旅行をしているはずなのに、まるで家にいる気分だったと思う。
「燈火ちゃん、こっちこっち」
九十九はハイカラ通りをアーケードに沿った道順を燈火と歩く。
さすがに、温泉街の観光地。様々な土産物店や飲食店が並んでいる。燈火は辺りをキョロキョロと見回しながら、九十九について歩いていた。
「…………」
「どうしたの?」
燈火が口を半開きにしたままだったので、九十九は口を傾げる。
「うん……思ったより、お洒落だった」
それは素直な感想のように思う。「こんな風だとは思っていなかった」と、率直に伝わってきた。
道後温泉は日本最古に数えられる温泉だ。観光地であり、全国的にも名前が通っている。
だが、案外……地元の人は行かない。道後温泉地区に、なにがあるのか知らない人も多いだろう。
近ければ近いほど、特別なものだと思わない。
これはもったいないのではないか。九十九はそう思ってしまい、今日、燈火を誘ったというわけだ。
ハイカラ通りのアーケードは綺麗に整備されており、今はちょうど夏の飾りがしてあった。お店も、昔ながらの土産物店だけではなく、今治タオルを扱ったお洒落なお店や、女性が好みそうな喫茶店や菓子店、雑貨も並んでいる。
色とりどりの店や商品が目に入って、それぞれに主張していた。
「気になるのある?」
「ど、どうだろう……なんか、思ってたのと全然違って……湯築さんのオススメは?」
「町家風のお洒落カフェ、昔懐かしいレトロな喫茶店、お手軽に飲めるみかんジュース、アツアツのじゃこ天、新しくできた濃厚プリン……」
「多いよ。そ、そんなに食べられないから……」
「そうだね、たしかに。また来てちょっとずつ制覇すればいいよ」
何気なく笑うと、燈火は目を丸くして口を噤んだ。なにか変なことを言っただろうか。
「また大学以外で会ってくれるの?」
「もちろん! 旅館があるから、あんまり急には出かけられないけど」
「うん、こっちもバイトあるし……プリンが気になるかも……好き」
燈火はやや唇を緩めながら、プリンを希望した。九十九は「まかせて!」と言わんばかりに大きくうなずき、先をスイスイ歩く。この辺りは庭のようなものだ。お客様にも、よく案内して回る。
以前、ゼウス夫妻に足湯とじゃこカツをご案内したのを思い出す。あのときは、放生園の足湯を案内した。今でも、満足そうなお客様の顔を思い出すことができる。
燈火にも、喜んでもらいたい……。




