5.人と神の情
浅い眠りに堕ちては、まどろみに浮き上がる。
何度も何度も繰り返し、浮いては沈む意識。起きているのか、眠っているのかわからない。全て夢のような気もするし、現実のような気もする。
「九十九」
眠っているのか、起きているのかわからない。
ただ、九十九の額に触れた指が、誰のものかはわかった。
「……シロ様……?」
問うと、相手が頷いた気がした。
確認したかったが、生憎、瞼が重くて持ち上がらない。はっきりとしているときもあるので、波があるのだろう。強い瘴気に当てられた影響だと理解しているが、思考がすぐに結びつかない。
起きているときに来てくれればいいのに。
寝ているときを狙うなんて、卑怯だ。
「シロ様、ごめんなさい」
どうして、そんな言葉が出たのか自分でもわからなかった。しかし、すぐにシロの忠告を無視して自分が五色浜へ行ったからであると思い至った。
自分のことなのに、思考と言葉が結びつかない奇妙な感覚。
ああ、やっぱりこれって、夢なのかなぁ?
シロ様は、あれでも忠告してくれていたのに……それを無視したのは、わたしだ。馬鹿なのは、わたしで……ごめんなさい。
「なにを。九十九は、我が妻ではないか」
優しい指が額から頬を撫で、唇に触れる。
反射的に払いのけてしまいたいと思ったが、身体は動かない。
とにかく眠くて、眠くて。
でも、お腹は空いていて。夢のようなのに、やはり現実のような気がする。なんとも曖昧な感覚で、考えることを辞めた。
「妻を守るのは、夫の役目と決まっておる」
親指で頬を撫でられる。
心地良いような。居心地悪いような。
これやっぱり、夢なんだろうなぁ。
そう信じて疑っていない自分がいる。
シロのスキンシップが少々過剰なのは今にはじまったことではない。しかし、なんとなく、今目の前にいるシロは夢の存在なのだと感じ取っていた。
夢か現実か、区別などつく状態でもないのに。
「でも、シロ様は別に……わたしのこと好きなわけじゃありませんよね?」
夢の中だから。
いつもは言えないようなことを言ってみた。
「なに?」
シロの動きが止まった。
生暖かい肌の温度が、妙にじんわりとしみる。なんだか、リアルな夢だなぁと、九十九はぼんやり考えた。
「だって、シロ様の目当てはわたしの巫女としての神気と、自分の造った宿であって……その……わたしじゃなくても、いいじゃないですか……上手く言えませんけど、ぶっちゃけ。湯築の巫女なら、誰でもいいってことですよね?」
「…………」
「違いますか?」
目も開かないほど疲れている。
夢うつつの狭間なのに、何故か九十九は饒舌であった。
「神様の視点だと当たり前というか、そんなの当然だって思っているかもしれませんけど……わたし、小さい頃からこんなだから、ちゃんと恋愛したこともなくて……自信がないんです。巫女はやれても、シロ様の妻をやる自信がないんです」
シロのことは好きだ。
だが、それが恋愛かどうかはわからないというのが、正直なところ。
きっと、シロがいなくなれば自分は悲しい。日常に大きな穴が空き、耐えられない苦痛に苛まれると思う。
でもね。でも、シロ様。
わたしは、あなたとの関係が……よくわからないんです。あなたにどうやって触れていいのか、全然わからないんですよ。
わかんないんです。
「儂には、九十九がなにを悩んでいるのか理解できぬ。だが、九十九が儂らの在り方に対して戸惑っていることは理解した」
「すみません……」
「否、理解できぬわけではない。九十九の言うことは、人としての在り方だ。儂が湯築の人間に長らく甘えた部分であろうよ。そなたらに、巫女であることを強いてきた」
薄っすら目を開ける。
朦朧とする視界の中で、琥珀色の瞳が寂し気に伏せられていた。
あれ? これって夢じゃ、なかった、のかな?
急に自信がなくなる。
「だが、敢えて言わせてもらおう。九十九……神である儂に、人の在り方を求めることは――酷ではないか?」
「え……」
「人のように情愛を注いだところで、お前たちは未来永劫、儂の傍に在り続けると約束できぬではないか」
シロに言われた瞬間、薄く開いた目尻から熱いものがこぼれた。
涙。
悲しい。ううん、悲しくはない。
悲しくもないのに、胸が締め付けられた。息が詰まって、身体の奥から熱のようなものがわいてくる。
じわりじわりと、侵食していく。
どうしてだろう。
苦しい。いや、苦しくない。
熱い。ううん、熱くない。
痛い。いいえ、痛くはない。
「あ……」
シロは神様だ。
何年も、何百年も、何千年も……人の信仰がある限り、変わらず在り続ける。
人とは違う存在だ。
シロにとって、人の命など一瞬で過ぎ去っていく。
神が死ぬときは、信仰が消えるとき。誰の記憶からも、その名が消える瞬間だ。それまでの長い間、シロは存在し続ける。
人に情愛を注ぐ神もいる。
しかし、それはそもそも、人が人を愛する感情とは違うものなのかもしれない。
マトモな恋愛もしたことがない九十九には、わからない。
人と人の愛も理解しない九十九には、神の情など理解できるはずもなかった。
「シロ様は」
ほんの好奇心。いや、思いつきだった。
シロの寂しげな表情を見ていると、聞かずにはいられなかった。
「シロ様は、人を愛したことがあるんですね」
琥珀色の瞳が見開かれる。
しばらく九十九を凝視していたが、なにも言わない。ただ黙って、九十九の顔を見下ろしていた。
「すみません。出過ぎたことを言いました……でも、夢、だし……」
また目を開けていられないほどの眠気が襲う。
すぅっと、霧がかかったように周りの景色が見えなくなっていくので、九十九は瞼を閉じた。
頭を撫でる大きな手の感覚が、いつまでも残る。
「嗚呼。悪い夢は忘れて眠れ。我が巫女よ」
あれ? いつもみたいに、我が妻って呼んでくれないのかな?
ああ、でも、これって夢だし……細かいことは、どうでもいいかな。
とにかく眠い。
そういえば、学校も休んでいる。
早めに行かないと、京が心配しちゃう……あ、そういえば、宿題……。




