4.そこにあった想い
両手をあわせると、小さな光が生まれる。
自分の神気がそこへ凝縮していくのがわかって、九十九は思わず唇を緩めた。上手くできたという達成感で、心が満たされていく。
「夢の外で術が使えないのは、自分の神気と上手くあわさっていないから」
月子は言いながら、九十九の手に自分の手を重ねた。
「だから、使い方を覚えればいい」
九十九の手の中で、光は輝きを増していく。
今日の夢でも、月子が修練に来てくれた。夢の中で学ぶと言っても、毎日というわけではないのだ。
やはり、この夢は神気を消耗する。睡眠をとっているはずなのに、まったく九十九が休まらないのだ。それでも、毎日、道後の湯によって神気を癒やすので、こうやって夢を見ていられるらしい。
九十九は夢で月子に術を習っているが、現実の世界では使えなかった。その理由は、九十九が未熟だからだと思っていたが、どうやら違うらしい。
九十九の場合、代々の巫女たちと違って、巫女としての修行を積んでいなかった。学業を修めるまでは免除されている。当初は高校卒業までだったが、登季子が「大学出てからでいいんじゃないの?」と提案され、そのようにしたのだ。
ゆえに、九十九は最低限の護衛術しか扱えない。それも、シロの神気を依り代に込めて借りる退魔の盾だ。九十九自身による神気の使い方は登季子から学ぶことになっているが、まだそこに至っていない。
月子が教えるのは、天之御中主神の神気を使った術。まったく性質が異なるものではあるが、似ている部分もある。
九十九が夢以外でも術を使う場合、自身の神気と上手く融合させねばならなかった。
「すみません、月子さん……」
今やっているのは、本来、月子が教える事柄ではない。
従来の巫女であれば、とっくに習得しているものだった。
「いいのよ。そういう時代になったのだから」
九十九の修行が遅れているのは、学業との両立を考えてのことだ。ただでさえ、湯築の巫女は旅館の仕事もある。ダブルワークどころか、トリプルワークであった。
そういう時代になった。
月子は巫女の夢の中に存在する概念のようなものだ。彼女の思念が夢に住みついているに過ぎなかった。生きた人間でもなければ、神様や妖でもない。しかし、時代や九十九の在り方に理解を示してくれる。
不思議な存在だ。
まるで、彼女はまだ生きていて、ここに存在しているような気になる。
「夢に……シロ様は、ここへ会いに来られないんですか?」
シロは、ずっと月子を想っていた。
曲げてはならない摂理まで破り、命を救ってしまうほどに。湯築の巫女に月子の面影を求め、焦がれるほどに。
九十九が生まれるまで、ずっとだ。
夢でだって会えるなら、そうしたいはずである。
そう考えながら、九十九は胸の奥がズキリと痛むような気がした。
シコから、こんなに想ってもらえた月子がうらやましい。どうやったって、月子には勝てないような気がするのだ。
「心配しなくていいよ」
九十九の不安が読まれていたようだ。
月子はさっぱりとした笑みで言った。
「あの子も、ここに私がいないのは理解しているから」
「あ……」
九十九は思わず次の言葉を失った。
ここにいるのは、月子ではない。
神様は万物の本質を見据え、重視する。
九十九は、ここに月子がいるという錯覚をしてしまう。
だが、実際には月子はいない。影のような存在なのだ。
シロのほうが、わかっているからこそ……ここは苦しい場所なのかもしれない。一時の慰めにすらならないのだ。
「月子さん」
聞いてみたいことがあった。
「なに?」
月子は可憐で儚いが、凜として強かな。
そんな表情で首を傾げる。
「月子さんは……シロ様のことを、その……どう思っていますか?」
もっとよい聞き方はなかったのだろうか。九十九は自分の語彙力を恥ずかしく思いながら、月子を見る。
だは、一番素直に聞けたと思う。
「そうだなぁ、むずかしい」
九十九の問いを受け、月子は「うーん」と考え込む。
「あなたの期待するような答えが返せそうにない」
どういう意味だ。九十九は眉を寄せた。
「あの子は好きだよ。小さいときから一緒に過ごしたもの。とても大切な存在……本当はいけないことだったけれど、シロが助けてくれたと知ったときは素直に嬉しかったの」
月子とシロの過去については、九十九も記憶をのぞき見ている。断片的なものであったが、神使であったシロと月子の仲が、よく伝わってきた。
「巫女になったのも、妻になったのも、私が仕える神を間違えないため。私はあの子のために宿を作った。あの子が孤独にならないようにね」
「仕える神……」
「決して、天之御中主神ではない。そこをわからせたかった」
月子の行為はすべて抵抗だった。
身勝手に振る舞った天之御中主神への。
「私は天之御中主神の力を使える存在になってしまった。でも、決してあの神の巫女ではない。あれを受け入れることはできなかった」
月子の口調は強い。
いつもとは少し違う空気に、九十九は縛りつけられるようだった。
「ただ、そのためだけの契約かと言われると、少し微妙。ここがたぶん、あなたの聞きたかった答えなんじゃないかな……私がシロを愛していたかどうか」
月子の声は淀みがなかった。
なんの躊躇いもなく、九十九が直接言えなかった言葉を使う。
「でも、それを知ってどうするのかな?」
「え?」
逆に問われて、九十九は固まってしまった。
「私はあなたの敵には成り得ない。未来永劫、ずっとあの子を束縛する権利もないの。それなのに、知りたいのかな?」
知りたい。
でも、知ってどうする?
たしかにそうだった。
「私は過去の存在。過去にどんな人間が、どんな想いを持っていても、今を生きているあなたにはまったく関係ない話だと思うけれど」
「…………」
「あの子は、ようやく自分に折り合いをつけられたの。あなたを見出したことで、私の影を追うのをやめた。私は、それがとても嬉しいよ。これは素直な気持ち――だから、あなたも私を追うのはやめなさいな」
やっぱり、月子さんには……叶わない気がする。
九十九はそう確信するが、口には出さなかった。どうせ、この夢では月子に九十九の考えは筒抜けだ。
「ああ、そろそろ時間みたい。またね」
月子は軽く手をふって微笑んだ。
これは別れの合図、九十九が目覚める時間が来たということだ。
もう少し話していたいのに。九十九の名残惜しさとは裏腹に、視界が少しずつ霞んでくる。
ぼんやりとするような、はっきりとするような意識の中で、九十九は頭をさげた。
「ありがとうございました」
結局、九十九の聞きたい答えは得られなかった。
それなのに……心は晴れている。




