11.またあとで
「燈火ちゃん!」
ステージ横にひかえる一団を見つけて、九十九はつい叫んでしまう。ステージ上では、今、小学生による伊予万歳が披露されていた。鮮やかな色の扇子を両手で回し、横一列になって踊っている。
機材から大音量で三味線と歌声が響いており、九十九の声はあまり目立たなかった。
だが、名前を呼ばれた本人は違ったようだ。
出番を待っていた演者の一人が顔をあげた。
衣装は派手だがシンプルだった。サテン生地の小袖を襷掛けにしている。鮮やかな赤がと、袴の紫が、遠くからでもよく目立った。額には、松が描かれた扇子を結びつけている。濃いめの化粧のせいか、大学で見るよりも肌が白く感じた。
「…………!」
燈火は九十九に気づき、目をまんまるにしている。だが、やがて恥ずかしそうに、両手に持っていた扇子を広げて顔を隠してしまった。
「や、や、ややややだ。こっち来ないで!」
ずいぶんと動揺しているようで、燈火は九十九から逃げるように背を向けてしまった。
燈火の他は、年配の婦人から中学生くらいの女の子まで。バラエティに富んでいる。地域の同好会なので、統一されていないのだろう。実際、伊予万歳は保存会ごとに、踊りも衣装も異なっており、多くの要素がミックスされている。学校の活動ではない限り、年齢はバラバラになるだろう。
「燈火ちゃん」
やっぱり、迷惑だったのかもしれない。
だが、ここまで来たら言うしかない。だって、九十九はすでに燈火のほうへと、踏み込んでしまったのだから。
「わたし、伝えたいことがあるの」
「ボクはなにも聞きたくないよ!」
燈火の声は少し怒っているようだった。九十九に背を向け、扇子で顔まで隠している。
「かっこ悪いでしょ。わかってるもん」
「そんなことないよ」
「嘘でしょ」
燈火は頑なに首を横にふった。
このままの状態で、上手く踊れないのではないか。九十九も、周囲で聞いている人も、みんな不安な表情になってくる。
「そんなことないよ。だいたい、そんな失礼なこと、わざわざ言いに来たくないよ」
「じゃあ、なに!」
早く帰れと言われている気がした。
どうしよう。話を聞いてもらえない……九十九はどうやって伝えようか戸惑ってしまった。
「はよ、お言いよ」
九十九の頭の上で、カメうながす。
「ほうよ、ほうよ」
ツルも、同調して九十九の周りを飛び回った。
九十九は息を整えて、燈火へ近づく。
「えっとね、燈火ちゃん。燈火ちゃんは、かっこ悪いとか恥ずかしいって言ってるけど……わたしは、そうは思わないよ。燈火ちゃんは、本当にすごいんだって気づいたから伝えにきたの」
燈火は頑なに顔を隠している。
だが、九十九が歩み寄っても、逃げようとはしなかった。
「覚えている人がいなくなっちゃったら――みんなが忘れてしまった伝統は、消えてなくなるしかないんだよ。だから、それを伝える人って本当にすごいと思う。わたしには、いろんなものを見て覚えていることしかできないから。だから、きちんと踊って、形に残していける人は、一番すごいんだよ」
なにが言いたいのか、きちんと伝わっているだろうか。自分の言っていることが纏まっていない気がする。
「そんな大したことじゃない……こんなの、習えば誰だってできるし、踊り方もバラバラで……結構、適当でいい加減だし……日本舞踊とか、そういうのとは全然違う……」
燈火の言わんとすることもわかる。伊予万歳は、決して格式高い厳格な伝統芸能ではないだろう。保存会によって、衣装も振り付けもバラバラである。起源は上流階級の宴席であったが、農村娯楽として定着していた。
しかし、九十九は首を横にふる。
燈火が扇子の骨の間から、こちらを見ていた。
「わたしにはできないことをやってる燈火ちゃんが、うらやましいよ」
「…………」
九十九には役目がある。
湯築屋を継いで、後世へ残していく役目だ。それは初代の巫女である月子から続く湯築屋の伝統であり、シロのため。
月子は湯築屋を天之御中主神への反抗としてはじめた。神への、ささやかな抵抗かもしれない。
だが、九十九は天之御中主神が月子――人間を試しているように感じるのだ。
人が、どれほど長く繋いでいけるか。親から子へ、子から孫へと、脈々と続く受け継いでいけるのか。永遠にも近い神に匹敵するものを築いていけるのか。
だから、絶やしたくない。
そんな九十九だから思うのだ。
次の世代へ繋ぐ役割を持った燈火がうらやましい。
九十九にだって湯築屋がある。だが、燈火とは違うのだ。伝統という形のないものを、自分自身で繋いでいける燈火とは性質が異なった。
九十九には――湯築屋にはできないことだ。
「声かけちゃって、ごめん。そろそろ行くね」
伝えたいことは、伝えた。
ステージでは、前に踊っていた小学生の演技が終わろうとしている。時間だ。
「あのさ……」
立ち去ろうと背を向ける九十九を、燈火が呼び止めた。
扇子で顔は隠していない。
いつもとは違う化粧の顔で、九十九を見ていた。瞳が揺れて、感情がおさえられないようだった。
「なんでもない」
しかし、燈火はそれだけ言って、顔を伏せてしまう。手に持った松の扇子を、おちつきなくいじっている。
「あとで言う……」
あとで。
燈火は九十九に、「帰って」とは言わなかった。
九十九は笑顔を作り、うなずく。
「うん、あとでね」




