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7.小夜子ちゃんって……。

 

 

 

 湯築屋で仕事をするのは、頭の切り替えになる。

 大学で燈火と話したことは気にかかっているが……それはそれだ。夕餉の時間までに帰宅した九十九は、急いで着物を纏う。自分で着付けるのも、ずっとやっているので手慣れたものだ。

 今日は藤模様の着物にした。簪もあわせておく。薄いピンクの生地を埋め尽くす紫と白色の藤がシックだが、可憐でもある。近ごろ、みどりから落ち着いた色の着物も勧められていた。

 しかしながら、着付けは難なくできるが……お化粧は別だ。

 朝の化粧を手直しするだけなのに、とても苦労する。アイライナーは目に刺さりそうだし、アイシャドウはどのくらい塗ればいいのかわからない。派手すぎるのはよくないので、匙加減がむずかしかった。化粧をしているのを忘れて、服の袖で汗を拭ってしまうと大惨事だ。

 とにかく、悪戦苦闘しても、顔が整ったのかわからない。他人の顔なら、素直にわかるのに不思議だ。


「ふむ……我が妻ながら、美しい」

「ひっ!」


 九十九が鏡とにらめっこをしていると、突然、隣に気配が現れる。シロだ。しかも、顔が近い。九十九と一緒に鏡に映ってしまう距離に顔があった。

 頬が触れあって、九十九は飛び跳ねるようにシロから離れる。


「なにを驚く必要があるのか。夫婦めおとだろうに」

「いきなり出てくるからでしょうが!」


 シロと触れあってしまった頬を押さえながら、九十九は後ずさりする。だが、シロのほうも面白がって距離を詰めてきた。うわー、確信犯だ。遊ばれてる! そう感じると、異様に腹が立ってきた。


「儂は九十九と夫婦のふれあいしたい」

「仕事のあとにしてくれませんか!?」

「あとならよいのか?」

「そ、そういう意味じゃ……」


 九十九にシロを拒む理由はなかった。だって、夫婦なのだ。お互いの気持ちだって確認した。ここまで来ると、シロにすれば「なにか問題でも?」という状態だろう。たしかに、問題はない。


「どういう意味だ?」


 シロは戸惑いなく九十九の顔に触れた。あまりにあっさりしていたので、避けることができない。


「いつならいい?」


 九十九が動けないのをいいことに、シロは額に唇をつける。前髪越しにやわらかいものが触れると、雷でも落ちたような気分になった。身体中がびりびりして、筋肉が強ばってしまう。

 だが、次第になんだか既視感に襲われる。

 以前の夢で見た……昔のシロ。神様になる前、神使しんしだったころのシロだ。

 とても寂しがりで、甘えん坊で……月子の顔を舐めていた。子犬のように。


「…………」


 見ると、もふもふと尻尾が左右に揺れていた。ぶんぶん振り回している。とても嬉しそうなのが伝わってきた。

 もしかして……「ふれあい」って、そんなに深い意味はなかったりする?

 そんな疑惑が九十九の頭に過った。

 要するに、ただ構ってほしいだけなのでは?

 いやでも、やっぱり下心もありそう……いや、下心があったところで拒む理由はないのだが――いやいや、ある。仕事前だよ。逃げていいでしょ。駄目夫の相手は、あとでいい。

 そうは思いつつも、身体がすぐに動かない。もしかして、変な術でもかけられているのだろうか。そう錯覚してしまいそうだった。

 実際はなにもされていないのに。

 このまま、流れるまま流されてしまっても、いいような気がしてくる。それはきっとシロの望みで、九十九にとっても幸せなことなのだ――。


「ねえ、九十九ちゃん?」


 自分での意思決定を放棄しかけていた九十九を現実に戻したのは、襖の向こうから聞こえる声だった。

 今日、このパターン多くない!?


「九十九ちゃん、八雲さんが呼んで――お邪魔しました」


 襖を開けたのはアルバイトの小夜子さよこだった。分厚い眼鏡の下で両目をパチクリし、そのまま襖を閉めようとする。


「さ、さ、さささ小夜子ちゃん! 誤解だから! 誤解!」


 九十九はシロを押しのけて、襖が閉まるのを阻止した。


「いいよ、九十九ちゃん。急いでないから、終わったら来てね」

「だから、違う。違うの」

「ごゆっくり」


 小夜子はニコニコと笑いながら、九十九を部屋へ押し戻そうとする。九十九は力づくで、襖を開けて外に出た。


「大丈夫、大丈夫だって。もう終わったから!」

「終わったの? どこまで?」

「小夜子ちゃん、なんか最近怖いよ!?」

「そんなことないよ」


 九十九を助けてくれるどころか、小夜子に追い詰められている気がした。

 だが、せっかくだ。これでようやく、仕事に向かえる!

 九十九は「九十九ぉ。もう終わりなのかぁ?」と情けなく訴えるシロの手をペッと叩き落とす。

 

 

 

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