11.結局、いつも通り
「シロ様、やっぱりここにいた……!」
薄紅色の花の間から見える藤色の着流しに声をかけた。すると、太い枝から見おろすようにシロが顔を出す。
逃げる様子はないようだ。
「そっちへあがりますね!」
九十九は慣れた口調で桜の幹に飛びついた。けれども、すぐに大きな枝が腕のようにグニャグニャと曲がって、九十九の身体を捕捉した。そして、ストンとシロの目の前におろされる。
こうするのは、何度目だろう。
「おはようございます、シロ様」
ここは現実の世界だ。さっきまで夢で話していたように思うが、目覚めのあいさつが必要だろう。
「嗚呼、おはよう。九十九」
九十九にあいさつされ、シロはようやく返してくれた。
なにから話そうか。
九十九は考えた。
「まず……ありがとうございました。きちんと教えてくれて……」
シロに隠しごとをされるのが嫌だ。そんな子供っぽい不信感を抱いていたこともあったのを思い出す。あのときとは心持ちが違うとはいえ、やはり教えてもらえると九十九だって嬉しい。
「ときどき、お見えになっていたのは天之御中主神様で、よかったんですよね?」
「気まぐれにな」
天之御中主神の話をするとシロは複雑な表情をした。やはり、気分はよくないようだ。
「普段から意識の下にはいるが、基本的には傍観しているだけだ。害はないが……気まぐれに出しゃばるのだ……まあ、儂であることには変わりないのだが。乗っ取られたような気がして好かぬ」
たしかに、シロの言う通り天之御中主神が表に出るときは、乗っ取られているとも言える気がした。シロとはまったく異質の存在になる。同一であるはずなのに。
「ところで……シロ様はどうして、わたしに知られたくなかったんですか?」
シロのことを知った。
そのうえで気になったのだ。
「天之御中主神様と融合しているのは、他の巫女も知っていたんですよね? じゃあ、なにが知られたくなかったんですか?」
「なに、と……」
「はい、なんですか?」
九十九の質問にシロは戸惑っているようだった。
「だから……儂のせいで巫女を縛っておる。身勝手な理由だ」
「それは夢の中でも聞きましたけど、ズレている気がします。だって、変です。縛っているなんて言い方は好きじゃありませんけど、それなら、いっそ教えてくれたほうがいいじゃないですか。巫女はいなくてもシロ様は生きていけます。だったら、自由にするために全部話したほうが、シロ様もそんなくだらないことで悩まなくていいんじゃないですか?」
「く、くだらな……!?」
九十九の言っていることは間違っているのだろうか。むずかしいだろうか。
「月子さんには悪いですけど、シロ様のお守りをする義理はわたしたちにないわけで」
「お守り……だと……九十九よ。言い方がいつにもなくあんまりではないか?」
「話をそらさないでくださいってば」
「だって、その言い方は儂が傷つくぞ!」
シロの駄々は、とりあえず無視だ。
九十九は気を取りなおした。
「縛っているという言い方をするのなら、黙っているほうが不誠実です。その点においては、シロ様が悪いと思います……だから、どうして黙っていたのか気になるんです」
九十九はとても真面目だった。
夢の中では聞かなかったことである。
どうしても、シロの口から聞いてみたかったのだ。
「それは……湯築の巫女は皆月子の神気をよく受け継いでいる。儂は……結局のところ、お前たちを離したくなかったのだと思う」
シロは九十九から目をそらしながら言葉を繋げていく。ときどき、辿々しくて淀んでしまうが、それでも話してくれようとしていた。
「月子が忘れられなかった。いつか月子にまた会えるのではないかと期待していたのだ」
巫女たちが受け継ぐ神気や血筋。その中に見える月子の面影が懐かしくて、愛しくて。なによりも大切だった。
命まで懸けて、摂理まで曲げて……シロがそうまでして救おうとした女性だ。亡くなったからと言って、簡単に忘れられるものでもなかった。
「九十九が生まれたときは、儂も驚いた」
「月子さんの神気に近しかったからですか?」
「……そうだ」
ずっとシロは変わらなかったのだ。
神の一柱となる前、神使として月子に甘えていたころと、シロはなにも変わっていなかった。今もずっと、彼は月子を探していたのだ。
「だが、同時に儂が見ていたのは幻だと気づいた」
「幻?」
「儂は勘違いしていたのだ」
シロは自分の表情を隠すように、右手を顔に当てた。少しでも九十九から逃れようとしているかのようだった。
「月子は帰ってこない。いくら待っても……神気が近しかろうと、面影があろうと、心根が似ていようと……九十九は月子ではないからな」
神々は本質を重視する。
どれだけ形が変わっていようと――似ていようと、その本質を見抜けば惑わされることはない。それにずっと気づけなかったシロは、選択を間違えたときのままだったのかもしれない。
「わたしが月子さんにはなれなくて、がっかりしましたか?」
「落胆……落胆か。そうだな」
シロの顔がよく見えなくて、九十九は不安になる。
九十九はシロを落胆させてしまった。月子ではないから。
「儂は月子を二度失った。もうこれ以上の苦痛はないと思っておった」
シロの声が震えている。
怯えたように、苦しそうで、消えてしまいそう。
九十九は顔をよく見ようと、シロの右手に触れた。意外とすんなりと顔を隠していた手はおろされ、琥珀色の瞳と目があう。
「九十九は月子ではない。だのに、また失ってしまう」
「え……」
意味を聞き返そうとしたときには、九十九の身体はすっぽりとシロの腕の中におさまっていた。苦しくて息ができなくなるほど抱きしめられて、なにがなんだかわからない。
「また置いて逝かれるのは、嫌だ」
人は永遠に生きられない。
老いて、いずれは死んでしまう。
神様のシロと同じ年月を生きることは不可能だった。
「儂は……九十九を離したくないのだ。九十九にだけは見放されたくない」
月子ではなく、九十九を。
背骨が軋むほど抱きしめられて、九十九はなにを言われているのか呑み込んでいく。
九十九は何人もいた巫女の一人だ。
自分だけが愛されたいなんて、わがままな感情である。
想いを告げるなど迷惑だ。
そう思ってきた。
思ってきたのに……。
「し、シロ様……苦しい」
思えば、シロはずっと九十九から離れなかった。
妙なわがままを言って九十九を困らせたり、過剰なスキンシップをしたり。甘い言葉を囁くこともあった。
あれって全部……本心だった?
シロはずっと、九十九に想いを告げていた。いつからなのか九十九にはわからないが、きっとそうなのだと気づいてしまう。
九十九は生まれてからずっと巫女だった。先代とシロがどのように関わっていたのかも知らない。
あれ?
「シロ様、苦しいから離してください!」
九十九はたまらず叫びながらシロの胸を強く押す。ようやくシロの腕から解放されて、ぜぇぜぇと荒い息を深呼吸で整える。
「あの……シロ様。わたしからも……その、言いたいことが……あるんです」
言っても……いいよね?
九十九は恐る恐る顔をあげる。だが、改まるととてもではないが恥ずかしい。
夢から覚めるときは、すぐにシロへ伝えようと思っていたのに。迷惑でもなんでもいいから、聞いてほしいと思っていたのに。
「なんだ?」
シロが首を傾げた。背中のうしろでは、尻尾が左右にふれている。どうやら、九十九に抱きついている間に気持ちが上向きになったらしい。こういうところは、本当にいつも通りに単純であった。
「わたし、シロ様のことが好きなんです」
もっといい言い方があっただろう。
ここへ来る前に、どうやって伝えようか考えたはずだ。
けれども、出てきた言葉はとてもシンプルだった。
どんなに装飾しても無駄だと思う。
これが一番、伝わってくれると信じていた。
「なにを知ったって変わりません……シロ様を嫌いになったり、見放したりなんてしませんから。ですから、大丈夫ですよ」
安心してください。
ずっと、ここにいます。
そういう気持ちを込めて、九十九はシロの手をにぎる。
夢の中と同じように。
けれども、夢のときよりも近くにシロがいる気がした。
「九十九」
シロの顔が近づく。琥珀色の視線が熱っぽくて、目を背けることができない。顔に息がかかるほど近づくと、心臓の音で耳がどうかしてしまいそうだった。身体中の血液が溶けそうなくらい熱い温度で身体を巡っている気がする。
これ、どうなっちゃんだろう。
このまままかせていたら……わたし、どうなるのかな?
九十九はたまらず目を閉じた。
「あ! 若女将、白夜命様っ! こんなところにいらしたんですね。朝ご飯、できましたよっ!」
コマの声だった。どうやら、朝ご飯ができたので呼びに来たようだ。
その声を聞いた瞬間に、九十九は頭の中が真っ白になる。気がつくと本能的に、肩に触れていたシロの腕をつかんでいた。そして、いつものように大きくひねる。
ここまで流れるような完璧な動作であった。長年、九十九がくり返してきて身体が覚えている。
「いだだだ! つ、九十九ぉ!?」
腕をひねられたシロが呆気なく樹から落ちていくところまで、もはやテンプレートだ。ここまで綺麗に決まると逆に清々しい。
「あ……」
だが、この段になって九十九は我に返った。
やってしまった!
ついつい、いつもみたいに雑な扱いをしてしまった!
後悔したときには、後の祭りだ。樹の下からシロが「九十九ぉぉぉおお!」と拗ねた声で叫んでいた。
なんだかんだと、いつも通りである。
本日、書籍5巻の発売日です。
通販もありますし、電子書籍も同時発売ですので、無理をしない方法でご購入いただければと思います。
また、在宅サイン会イベントの開催も予定されています。
詳細は、こちらのURLでどうぞ。
https://note.com/tainoe/n/n3bcdaa180156
本来、この物語は14章を持ってweb版完結予定でした。
(書籍が終わるわけではありません)
わたしは地方に住んでおりますが、主要都市での緊急事態宣言もあり、この状況がいつまで続くかわかりません。書籍が手に入らない人もいる状況で、予定通りにweb版を完結させて書籍を続けるのは果たして正解か。
もう少し、こちらも続けることにします。
なにとぞ、よろしくおねがいします。




