2.鳥籠の巫女
「嫌じゃ嫌じゃ! 儂もついて行く!」
「そんなこと言ったって……今日は友達もいるんです。シロ様は黙って引き籠っててください」
「人形を使うから大丈夫だ。案ずるな」
「その人形も無駄に美形で誤解を招きやすいから、大人しくしてって言ってるんです!」
「誤解? そんな誤解など与えぬくらいイチャイチャすればいいのだろう?」
「それが駄目なんですってば!」
京と一緒に五色浜へ行くと知れた瞬間に、これだ。
神様のくせに地団駄踏んで尻尾をモフモフ揺らすシロを、九十九は横目でシラ~っと見つめた。
どうせ、結界の外へは出られないのだから、大人しくしていればいいのに。
「だいたい無駄にとは、何事。無駄ではない。儂は精錬された美の結晶であろう」
「自分で言いますか。自分で言っちゃいますか!?」
「だって、九十九も認めておろう?」
おもむろに、シロの顔がすぐ傍まで迫った。
「ひぇっ」
形の良い唇は思いのほか厚みがあり。漏れる吐息が九十九の唇にかかる。
不敵に笑みを描いた琥珀の瞳に、九十九は一歩二歩と尻込みした。
「このまま接吻せぬのが惜しいと思っておろう?」
「思って……ないれふ……」
「嘘を申せ」
「うう……」
気の抜けた声で答えてしまいながら、九十九はシロの胸部をグイグイと押し戻そうとした。だが、無駄な抵抗である。小娘である九十九の細腕では、シロを振り切れない。
「のう、九十九。儂は心配なのだ」
「な、なんですか……?」
シロから必死で目を反らすと、額から汗がタラタラ垂れる。
「お前には儂の加護がついておる。巫女の濃い神気だ。それが他の輩を刺激する……わかっておろう?」
確かに。
天照は、九十九の神気を「甘い」と評した。浮気性のゼウスはあてにならないとしても、九十九に惹かれる素振りがあった。ヘラは九十九の神気を感じ、嫉妬を燃やした。
自分の神気について思い当たる節はある。
小、中学校は旅館から近い学校に通った。けれども、高校は少しばかり距離がある。
つまり、シロの縄張りの外なのだ。
ここ最近で自分の神気が他の神を刺激すると自覚するようになったのも、そのことが大きく影響しているのかもしれない。
「あそこは辞めておけ。アレは御せぬ鬼だ」
背筋がゾッとした。
首筋に指が這う。首筋から、顎。顎から、唇。
なぞるように触れられて、九十九の身体から力が抜けていった。
「んぅ……」
熱にうなされたように、身体が脱力していく。身体の奥が、ドキドキと脈打って……熱くて……。
「……あの」
シロが首を傾げて、悪びれもなく九十九の顔を覗く。
「ドサクサに紛れて、神気吸うの辞めてくれます!?」
手元で揺れていた銀色の尻尾を、グイッと掴む。すると、余裕を持っていたシロの背筋がビクンッと跳ねた。
「や、やめッ! 九十九、尻尾は辞めよ!」
「ええい! 知りませんッ!」
ガッシリと尻尾を掴んだまま強く引っ張ると、「あうっ」と情けない声を上げて、シロが仰け反る。その隙を見逃さず、九十九はシロの後ろを取った。
「シロ様もその辺の悪鬼も変わりませんって! この駄目夫!」
「な、なぬっ!? そんな、九十九。儂は……」
「言い訳無用です。じゃあ、行ってきます!」
そう言い捨てて、九十九は旅館の玄関へ向かう。
うなじでポニーテールがクルンと跳ねて、桃色のワンピースが翻る。床をドンドコ踏み鳴らしていなければ、可愛らしく着飾った「娘さん」だろう。
「あ、若女将。いってらっしゃいませ」
庭に水を撒いていたコマが愛らしくクスリと笑う。
同じ狐なのに、主と眷属でこうも違うとは。ぴょこぴょこ歩くコマの仕草に癒されながら、九十九も笑顔を向けた。
「いってきます。コマ」
「お気をつけて……って、白夜命様、どうされました!? お顔が死んでますよっ!?」
「九十九ぉぉぉおおお!!」
結界の内側に咲く花は季節によって変わる。
初夏は大きな花を開かせる蓮が池に敷き詰められていた。甘い香りが漂う池の横を、九十九は一目散に走り抜ける。
なんとか旅館を出ることができて、九十九は思いっきり背伸びする。
さてさて。
京との待ち合わせは道後の駅前だ。路面電車は五色浜まで直通ではないので、一度、郊外電車に乗り換える必要がある。近場とはいえ、ちょっとした日帰り旅行のような道のりだ。
――白い蟹を見つけたら、教えてね。
小夜子の言葉を、ふと思い出す。
あれは、どういう意味だったのか。
妙な気配や、神気の匂いも気になる。
単に五色浜の伝承を知っていて、冗談で言ったのだろうか。
そうだとすると、あまり笑える冗談とも言えないものだが。
「おっと、遅刻!」
とはいえ、京との約束の時間が迫っている。
それもこれも、シロが邪魔をしたせいだ。ポンコツ駄目夫な神様に対する愚痴を胸に秘めながら、九十九は軽やかに走り出した。
「随分と、入れ込んでおりますねぇ」
九十九の背が見えなくなると、クスクスと笑い声。
床に這いつくばる格好となっているシロを嘲笑うように、声が響く。シロは「はあっ」と息をつきながら、身を起こす。
「笑い事ではない……天照」
「あらまあ。私には、随分と冷たいのですわね。無粋な男は嫌われても仕方がありませんわよ。一応、客人ですのに」
「連泊しすぎて、居候と変わらぬがな。ここを岩戸にしてくれるなよ?」
少女の姿が現れると、シロはいっそう不機嫌そうに眼を細めた。
九十九の前では、あまり作らぬ表情だ。それを見抜いてか、天照はコロコロと声を転がした。
「嗚呼、男神でもありませんでしたね。失礼しました」
「あまり言葉が過ぎると、追い出すぞ」
「それは困ります……居心地良く過ごさせて頂けるのも、別天津神の加護があってのこと」
「……黙らぬか」
天照は意味深に言いながら、少々大袈裟な動作で頭を下げる。それは日本神話の太陽神たる所作ではない。シロは煩わしそうに顔を背けながら、立ち上がる。
「不器用な巫女に苦戦しておりますわね」
「アレは良くも悪くも、今時の娘だからな。そのうち、落ち着くだろうさ。儂らには不自由な世の中になったものよ」
「それはそれで、残念な気もしますが」
「残念?」
怪訝に思って聞き返す。だが、天照はそれ以上言わず、ニコリと笑顔を保ったままだ。
少女の姿をしているが、纏う空気は妖艶。底知れぬ色香と、沼のような魅力を備えた魔性を感じさせた。
云千年とこの国を守護してきた神の顔だ。
「あの巫女が変わってしまうのは、勿体ないというものです。あの甘い神気が魅力だというのに」
「なにが言いたいのか、儂にはわからぬ」
わけがわからない物言いに、シロは息をつく。
白銀の髪の毛を一本抜きとった。
フッと息を吹きかけると、神気の流れが空気の塊となる。
長い白髪が形となる。
『みゃぁ』
真っ白い猫が現れる。
極々微弱な神気を宿した使い魔だ。人形よりも更に行動が制限されるが、外界を見張るには充分だろう。
実は九十九が学校へ行く際は、いつもこの猫を使って見張っている。九十九本人は気づいていないだろうが、あの巫女から目を離した瞬間など、今まで一度もない。
本当は人形を連れて行かせたかったが、今回はこれで我慢してやろう。
「我が巫女は頑固だからな。こちらが上手くやってやらねば」
「ふふ……こうやって、甘やかすのですわね」
「だから、なにが言いたい」
鬱陶しい。
シロは使い魔に「行け」と合図を送る。猫は『みゃお』と一声鳴くと、従順に結界の外へと走った。
「そんなに大事なら、籠に閉じ込めて繋いでしまえばいいのに」
振り返ると、天照の姿はない。
からかうだけからかって、部屋へ帰ってしまったのだろう。
まったく、気まぐれなことだ。




