2.予告
コマから宅配便を受けとって天照の部屋へ向かった。特殊な業務ではない。毎日の決まった仕事の一つである。
「天照様。お荷物をお持ちしました」
部屋の前で呼びかけると、いつものように少しだけ扉が開く。九十九は荷物を脇に置き、覚えたてのダンスを披露しようと立ちあがる。
今日は女性アイドルグループの最新曲の振り付けを覚えてきたのだ。初めて披露するが、とても自信はある。九十九は張り切って最初のポーズを決めた。
「ありがとうございます、若女将」
だが、次の瞬間、部屋の中から声がする。九十九は急に動きを止めようと踏ん張った。しかし、バランスを崩してうしろの壁にもたれてしまう。危なかった。もう少しで転倒していた。
「天照様、どうしたんですか!」
いつもと違うので、つい聞いてしまう。
すると、部屋の中から出てきた天照が九十九を見あげた。表情は穏やかで、いつもと変わりない。花の蜜のような甘い可憐さと、魔性めいた強かさがある。その顔は「たまには普段と違うことがしたかったのです」とも、「実は別のおねがいがあるのです」とも言いそうだと感じた。
実際はどちらでもなかった。
「さぞ、お疲れになるでしょうから」
「?」
天照の言わんとすることがわからず、九十九は眉を寄せた。「お疲れのようですから」と体調を労った言葉ではない。未来形だ。
九十九がこれから疲れるのだと言っている。
なにか困難が迫っているとでも言いたいのだろうか。
だとすれば、それはなんだろう。
今の九十九にはわからないことだった。
「どういう意味でしょうか?」
「それを、わたくしの口から語ることはできません」
「そうですか……」
一瞬、「シロ様のことですか?」と聞きそうになった。
しかし、やめる。
今の天照に聞いても、肯定も否定もしない。だが、それこそが最大の「肯定」であるとも九十九は感じていた。
ややっぱり、宇迦之御魂神様のご来館とも関係してる……のかな?
九十九は疑問を胸のうちに留めた。それなのに、天照の顔をそれさえも肯定しているような気がする。
彼女はなにも語らない。
しかし、そのこと自体が答えを示している。大変に矛盾するが、天照らしいとも思ってしまった。
「一つだけ」
天照は宅配便の荷物を部屋に引き入れながら、九十九に笑いかけた。
「わたくしは、あんなものは些事だと思うのですよ。物事には本質がありますから。それが変わっていないのであれば、大した問題ではございませんもの……でも、それはあなたたちとは違う価値観による判断です」
少女のような見目の女神が発した声は優しく、穏やかだ。まるですべてを抱擁する母親のように、九十九を見ている。
「それでも……あなたなら、わかっていただけると思っておりますよ」
まったくわからない。それなのに、なんとなく「きっと、そうだろう」と思えた。
不思議だ。
天照と話すときは多かれ少なかれ、いつもそうだった。
心の奥底をのぞかれている感覚。人間ではない神聖な存在に対する畏怖を抱かされる。そして、妙な心地よさと安心感。可憐であり、魔性でもある蜜のような誘惑を感じるかと思えば、慈悲深い母のような穏やかさ。
様々な側面を持っている。神様はみんなそうだった。
けれども、天照はそう思っていない。
天照は、ただ天照であるだけなのだ。他の何者でもない。それが本質だと言わんばかりに、様々な顔を見せながらも本人は何一つブレなかった。
神様という存在について考えさせられる。
「では、健闘を祈りますわ」
天照はそう言って、扉を閉めた。
「はい、ありがとうございます」
なにが起こるのだろう。わからない。だが、天照はただ「なにかが起こる」ということを教えてくれたのかもしれない。もしかすると、それが彼女の役割だったのではないか。
九十九はくるりと踵を返す。
なにがあっても大丈夫。
きっと、天照はそう九十九に告げたかったのだ。
「いやぁぁぁああ! ああああああ、なんですかッ! これはッ! 尊い! 尊いですわッ! 最ッッッ高!」
背を向けた天照の客室から黄色い絶叫が聞こえてきたのは……とりあえず、聞かないふりをしておいた。大方、注文していた推しアイドルのグッズを開封して興奮しているのだろう。
……神様にも、いろいろあるのだ。




