1.お客様になりませんか?
遅くなりました。
第2章の更新をします。
短編版にはない書き下ろしのエピソードです。
生まれてきたことに感謝を。
生を歩むことへの歓びを。
自分という存在へ祝福を。
……いいえ、うそ。嫌いです。
うそです。うそ。うそ、なんです。うそ……全部、うそ。うそ。うそ、うそ、うそ、うそ、うそ、うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそ……みぃんな。
「娘よ」
ザッ、と音がする。
後ろで、誰かが砂を踏みしめたのだと気づいた。
「此処で、なにをしておる。よもや妾の前で、探し物なぞしておらぬだろうな?」
ザザ……ザザ……。
波音が遠くなり、近くなり。浜を鳴らして流れていく。
目の前に現れたのは、世にも麗しい美姫であった。
真夜中であるにもかかわらず、ほんのりと光って見えるのは着物が美しいからだろうか。蝶の模様が煌びやかだ。十二単というのか。教科書で見た意匠の着物であった。
ただ、顔だけは見ることは叶わない。
能に使用する般若の面を被っており、表情もわからなかった。
それでも、娘はその姫が美しいと感じてしまう。
「私……」
ゆっくりと、口を開いた。
「――を、探しています」
波音に言葉が打ち消される。
だが、姫は娘の言葉を聞き取ったのか、能面の下で笑った気がした。
「そうか」
姫は静かに言うと、そのまま娘の傍らに蹲った。
寂しい。
否、哀しげな。
儚さを漂わせる横顔を見て、娘は視線を砂浜に移した。
「妾も、其れを探しておるのじゃ」
ザザ……ザザ……。
波音に、砂が攫われる。
真っ赤な蟹が、岩間を通り過ぎた。
† † † † † † †
「1192年、鎌倉幕府。まあ、こうやって年号だけ喋ると、すぐ眠くなるよな……なあ? 湯築?」
「ふみゅ……?」
授業中、唐突に指名されて湯築九十九は重たい頭を上げた。
額には制服の痕がクッキリとつき、口の端からは涎が少々。典型的な居眠りからの目覚めに、日本史の先生が「はあっ」と息をついた。
「源平合戦は愛媛県にも所縁のある史実だ。先生はここを出題するのが大好きなので、しっかり勉強しておくように。レポートの宿題も出すぞ」
「はあ!? まじでー!?」
レポートという単語に、教室から抗議の声があがる。
日本史教師は眼鏡の下でニヤリと笑いながら、親指をグッと立てる謎のポーズをとった。実に意味不明なので、更なる不満が飛び交うが、ここでチャイムが鳴って時間切れ。
「ゆず、また寝てたん?」
「ふぁ……ごめん……」
京が九十九の頬をつねりながら、呆れ顔をする。
居眠りの言い訳をするならば、学校が終わった後に旅館の仕事をするというライフスタイルのせいである。女子高生と若女将の両立は難しい。
高校へ進学しないという選択肢もあっただろう。
けれども、九十九はその道を選ばなかった。
理由は特にない。
これから、湯築屋を継ぐと決まっているし、結婚相手もいる。いや、正確には既婚である。他に将来やりたいこともなければ、現状が嫌なわけでもない。
ただ、なんだか。
高校へ行かないと、自分が完全に特殊なのだと認めてしまう気がしたのだ。
「しっかし、あれだ。日本史の宿題、結構メンドイな」
先ほど配られたプリントをペラペラと指で持ち上げながら、京が嘆息する。
「愛媛に残る平家伝説を取材しなさい、とか。現地取材ですかねぇ?」
「有名なのは八幡浜の平家谷かなぁ……あそこのお客様、ちょっと苦手なんだよね」
「は? おきゃくさま?」
「んん」
うっかり滑らせた口を塞ぎながら、九十九は愛想笑いする。
「なんでもないよ。へへっ……」
「変なの……でも、八幡浜なんて行くのメンドイな」
「逆方向だと屋島とか」
「ほほう……どれどれ、覚えのない地名だが……って、香川やーん! 愛媛やけん! 愛媛!」
「なんか、京って関西人っぽいよね。ノリが」
「知るか! おちょくるな! ってゆーか、君いつも思うけど授業中寝てるくせに歴史得意だな!?」
「まあ、商売柄」
「旅館って、そんな知識要るの!?」
菅原道真などのように、神格化する偉人は少なくない。畏怖や信仰の対象となれば、その人は「神」であり、湯築屋の「お客様」となることも多かった。教科書もそれなりに役立つ。
歴代天皇やローマ皇帝など、神として祀られる風習があると高確率だ。他にも、神へは至らなくとも鬼や妖の類となることもあり、そういったお客様も少なくはない。
そのせいか、神話だけではなく日本史や世界史も自然と頭に入っている。
ついでに、近代に多いのは有名なアーティストなどが人々から絶大な信仰を集めて神化する、なんて現象だ。つい最近死んだ有名人が、お客様として湯築屋にやってくるパターンには、最近慣れた。
逆に神として信仰されていたが、誰からも崇拝されなくなる――誰の記憶からも消えてしまえば、その神は神ではなくなる。
堕神と呼ばれ、消滅する存在となるようだ。
「というか、わざわざ行くの? ……まあ、近いところだと、五色浜海岸かな」
「え? 行った方が良いやん? 五色浜って、伊予市の海水浴場あるとこ? あれも平家由来なん?」
「うん、まあね。わたしも会ったことないんだけど」
「会う? 誰と?」
「えーっと、ごめん。噛みました。行ったことない、だよ」
「可愛いヤツめ」
五色浜は松山市の中心から電車で三十分ほどの海岸だ。
合戦から落ちのびた平家の五人の姫が身を投げ、五色の石となった伝承からその名がついた。
赤旗は平氏。白旗は源氏。
五人姉妹であった姫君の長女はある日、赤い蟹を見て平家の旗を連想した。そして、源氏の象徴である白を宿した蟹もいるのではないかと考えた。
――ここへ、白い蟹を連れてくるのじゃ。憎き源氏の蟹を踏み潰してくれる。
だが、姉妹たちが探しても白い蟹は見つからなかった。
悲嘆に暮れた姉妹たちは、次々と入水し――。
「源氏に見立てたカニを潰したかったのはわかるけど、それで自殺しちゃう感性は、うちには理解出来んなぁ。諦めるか、そのうち出てくると楽観しそうなもんだけど」
「それは、京の話でしょ。妹たちが赤い蟹に色をつけて長女に差し出したけれど、見破られて逆上した長女に刺殺されたって紹介する本もあったかなぁ」
「ぐぇ……それはエグいな。平家伝説って、そんなんばっかなの?」
「まあ、歴史的には敗者側だから……会ったことないから、知らないけど」
「そりゃ、会えるわけないやん」
「あ、うん。そうだった」
近場を縄張りにする神や妖は、意外とお客様にはならなかったりする。
理由は単純で、この辺り一帯の温泉に似た効能があるからだ。わざわざ宿屋を利用しなくとも、神気を癒すだけならばどこでも事足りる。近場なので旅行気分を味わえるわけでもなく、ただただ面倒と感じるらしい。
「じゃあ、メンドイけど今度、五色浜行くかい? 近場なら行ってみるのもいい。五色素麺好きだし」
「いいけど……京、五色素麺と五色浜は関係ないよ?」
「え、そうなん!?」
「そうよ。まあ……家のバイトがあって、あんまり暇じゃないし……わたしは行かなくて良いかなーって」
「奴隷ちゃんアピールやめぃ」
「そうじゃないけど」
実際に行かなくとも、シロにでも聞けば近場のことなので教えてくれるというセコイ手段を考えている。
因みに、京の言う五色素麺とは五色に着色された素麺だ。
彩が美しく、贈り物などでも重宝される。こちらは神社の参拝からヒントを得て、素麺に色を付けることを思いつき、商品化された経緯があるので五色浜とは無関係だ。
地元民でも、時々間違える。
「五色浜……? あ、あの……湯築、さん……」
横から声が降ってくる。
振り返ると、見覚えのある顔がこちらを見下ろしていた。
真っ白い肌に地味な分厚い眼鏡。地味で存在感がない、しかし、儚げな表情が印象的な少女だった。
同じクラスの朝倉小夜子。
あまり話したことがない人物から声をかけられて、九十九は一瞬面食らう。京も同じようだ。
「その……白い蟹を見つけたら、教えてね。い、良いところだから、行ってみたらいいよ」
もどもどと、一言。
それだけ言って、小夜子は足早に立ち去った。
「幽霊みたいなヤツ」
「京、失礼よ」
京がポツンと、そう言った。
しかし、それ以上に九十九は、この感覚に覚えがあった。
幽霊。確かに、近い。
けれども、九十九にとっては、もっと馴染みのある――。
「お客様の気配がする……ねえ、京。やっぱり、五色浜行ってみようか?」
淡く儚いが、どうしようもなく荒ぶる神気のような。
しかし、何故だろう。
少し違う気がする――。
なんだか、気になる。
「ゆず……」
「…………」
「君、実家の旅館が潰れそうだからって、クラスメイトを客にして金蔓にしようと考えてるんじゃ……」
「……はひ?」
その後、九十九は不意に漏れた失言に気づくのだった。




