5.ステイ!
晴れてよかった。
心からそう思いながら、九十九は路面電車からおりる。まだ肌寒いけれど、春先のいい陽気だ。
目の前にあるのはJR松山駅。
松山市には「松山」を冠する駅が二つある。「松山駅」と「松山市駅」だ。同じ駅名に見えるが、場所はだいたい一駅分も離れている。歩いて移動しようと思うと十分はかかるので、間違えないのが大事だ。
松山駅はJRが運営している。一方の松山市駅は伊予鉄道が運営する私営鉄道の駅だ。
伊予灘ものがたりは、JRなのでこちらから乗る。
「九十九、九十九」
いい天気だなぁ……と感慨にふけっている九十九の足元に、真っ白い犬がすり寄ってくる。もふもふとした尻尾を左右に激しくふりながら、舌を出してこちらを見あげていた。
だが、九十九はシレッと視線をそらす。
「九十九ぉ!」
「黙ってくださいよ。誰かに聞かれたら、どうするんですか!」
「わん!」
「犬ですか……今は犬でしたね」
無視しようとしたのに、激しく声をかけられてしまった。おまけに前足ですがってくる。
シロの使い魔だ。いつも、いろんな動物の姿になって九十九を見守って……いや、ストーカーしてくる。
今回もついてくると思ったが、こんなに鬱陶しく話しかけられるとは予想していなかった。いつもより激しい。
「今日はお友達との旅行なんです」
「きゃぅん」
強めに言うと、シロの使い魔はあからさまに項垂れる。
「う……」
中身はどうあれ、見た目はもっふもふの白犬だ……こんな風にしょんぼりされると、良心が少しも痛まない九十九ではなかった。
やりにくい。非常に、やりにくい。
使い魔の容姿を笠に着るなど、卑怯である。
「ゆづー! 遅い!」
松山駅の正面から、京が手をふっている。小夜子や将崇も、すでに到着していた。つまり、九十九が一番最後である。
九十九はシロの使い魔が気になりつつ、みんなのところへ歩く。
「ごめん」
謝りながら合流すると、小夜子がにっこりと笑ってくれる。
「九十九ちゃん、大丈夫だよ。今、集合時間ピッタリだから……みんなが早くついちゃっただけ」
「でも、待たせちゃったし」
実は旅行など滅多にしないため、なにを持っていけばいいのかわからなかった。一泊二日なのに、真剣に悩んだと思う。
洋服はお洒落にしたい。でも、たくさん歩くかもしれないから、靴はスニーカーで……だったら、カジュアルなほうがいい。でもでも、スカートも穿きたい。キュロットならいいかな?
などと迷っているうちに夜が更けてしまった。起きたら、予定よりもほんのちょっぴり寝過ごしていて、この時間だ。
それでも時間通りだったのは間違いない。小夜子の言う通り、みんなが早く来てしまっただけのようだ。
「別に楽しみだったとか、思ってないからな! お前らなんて、ついでだ!」
将崇が腕を組みながら強めに主張する。
「刑部ぇ……だから、その無駄ツンデレはいらないから。素直に、みんなで旅行するのが楽しみすぎて一時間も前に到着しましたって言えばええんよ?」
「な……バラすなって言っただろッ!?」
「素直じゃないからですぅ」
「お、お前だって! 俺と同じくらいの時間だっただろう!」
京と将崇が仲よく言いあっているのを聞いて、九十九は瞬きする。
「京もそんなに早く来てたの?」
意外だった。
学校での京は、いつも遅刻ギリギリだ。面倒くさがりで、適当な性格だった。負けず嫌いで一途なところもあるが、待ち合わせの類で早めに来るなんてあまりない。何事にも遅刻することはないが、たいていギリギリを攻めてくる。
京は軽く目を泳がせて、頭のうしろで両手を組んだ。
「別にいいやん……うち、九十九と旅行なんて初めてやけん。修学旅行とは、なんか違うやろ?」
「あ……」
九十九と京はずっと同じ学校だった。当然、修学旅行は同じ場所へ行ったのだが……たしかに、個人での旅行なんて初めてだ。
それは九十九にとってだけではない。
京にとっても、「九十九と一緒の旅行」が初めてなのだ。
たとえ県内で一泊二日の小旅行だったとしても。
「ごめんね、京」
以前、京に怒られたことがあった。
九十九は旅館の仕事ばかりで、京とあまり遊んでくれない。それで拗ねて喧嘩してしまった。
あのときは、お客様だった天宇受売命が取り持ってくれた。本当に感謝している。
それから九十九は時間の使い方を見直すようになったのだ。できるだけ自分の時間、そして、京との時間を大事にしてきたつもりである。
あれは単なる京のわがままだと、九十九は思っていない。
もっと、今しかできないことを大切にしよう。そういう気持ちを九十九に思い出させてくれた。今までおざなりにしていたものを、京に教えてもらったのだ。
そう思っている。
「わたしも楽しみにしてたから、嬉しい」
「うん、わかれば……ええんよ」
京は照れくさそうに笑いながら、「じゃあ、ホーム行くで。列車の写真も撮りたいし!」と宣言する。九十九も穏やかな気持ちで、京について歩く。
「すみません。ペットは……」
改札を通ろうとすると、おもむろに呼び止められた。
足元を見ると、シロの使い魔が当然のように歩いている。
「わんっ!」
「…………」
尻尾を左右にふりまくる姿は、まさに湯築屋に留守番しているシロを想起させる。可愛くて憎めない見目だが、確実にあの駄目夫の面影が見えた。
「いえ、知らない犬です」
心を無にしながら九十九が言い切ると、使い魔はがっくりと頭を項垂れた。同乗できないのだから仕方がない。我慢してもらおう。
どうせ、別の動物になって追いかけてくるはずだ。遠足や修学旅行のときもそうだった。だから、大丈夫。
しょんぼりとしながら、シロの使い魔が引き返していくので騙されそうになるが、中身はシロである。問題ない。
「ねえ、ロゴ可愛い!」
駅の中には、伊予灘ものがたりのシンボルロゴを用いた看板や飾りがいろんな場所に設置してあった。
ロゴは伊予灘の海に沈む夕日をイメージしている。茜と黄金の色合いがレトロモダンで可愛らしい。
列車が来る前から、京はスマホでずっと写真を撮っていた。
「なあなあ、ゆづ見てや。ゴミ箱まで伊予灘ものがたり仕様やん!」
「うん、そうだね」
「あ、こっちも!」
「京、電車来る前からはしゃぎすぎ」




