4.旅列車
友達と卒業旅行をしたい。
九十九は最初に、経理室で番頭の八雲に相談することにした。小夜子も将崇も湯築屋の戦力である。従業員にうかがいを立てるのが筋だろう。
「九十九。儂も! 儂も! 何故、儂ではなく八雲に相談なのだ! まずは、儂を旅行に誘うべきであろう?」
「そういうことを言うから、シロ様には相談しないんです!」
「どういうことなのだ!」
「見ての通りの、こういうことですけど!」
八雲に対して相談を口にした途端、どこからかシロがわいてきた。シロはいつだって九十九を見ているため、予測はしていたが……いきなり現れて絡まれると、とても面倒くさい。いや、もっと短い言葉を使うなら「ウザい」。
九十九の肩にベタベタと抱きついて、ブラーンブラーンと体重をかけられると、うしろ向きに倒れそうになる。子供か!
「儂も行くのだ!」
「卒業旅行って言ってますよね。それに、シロ様は結界の外に出られないでしょ」
「気分だけ! 気分だけ!」
「どうせ、使い魔でストーカーするくせに」
「遠くから見るのと、膝の上で旅を満喫するのでは大違いなのだ」
「だから、友達も一緒なんですってば」
「儂は九十九の夫なのに」
「友達同士の旅行に、旦那さん連れて行かないですよね?」
「ぐ……」
九十九は大きすぎるため息をついた。
どうしようもない駄目夫だ。なんで、これが九十九の夫なのだろう。神様なのだから、もっと威厳を持ってほしい。
湯築屋に来る神様がみんな威厳があるわけではない。しかし、ちょっとくらい望むのは悪い願望ではないはずだ。
「すみません、八雲さん……やかましくて」
「いえいえ、若女将。いつものことですよ」
九十九は申し訳なく思いながら、八雲に頭をさげる。うしろでシロが「やかましい? 儂のどこが!」と抗議しているが、無視だ。「やかましい=自分」だと察したのだけは褒めてもいいだろう。
「業務はなんとかしますから、行ってきてください」
ひかえめだった九十九に対して、八雲は事もなげに了承してくれた。
「でも、小夜子ちゃんや将崇君も一緒で……」
「碧さんとコマがいれば大丈夫です。幸一君もいますし……あと、シロ様も」
頼もしい。八雲の優しい笑顔が輝いて見えた。
「ありがとうございます……!」
九十九は素直にお礼を言いながら、頭をさげる。シロが足元で転がりながら、「狸は一緒なのに、儂が行けぬのは何故なのだ!」と駄々をこねていた。スーパーでお菓子を買ってもらえなかった子供だろうか。
「シロ様、しっかり八雲さんたちの迷惑にならないように働くんですよ。八雲さん、シロ様をよろしくおねがいします。なんでも言いつけてください」
「どうして、儂だけそういう扱いなのだ。敬おうと思わぬのか」
「こんな五歳児みたいな神様、敬えません」
「五歳児? 儂、うん千年も生きておるのに!」
ああ言えば、こう言う。
九十九はまとわりついてくるシロを引き剥がそうと努力した。
「そういえば、若女将。行き先はお決まりですか?」
八雲が思い出したように質問した。
「八幡浜です。駅弁買ってJRに乗ることにしました」
「八幡浜……伊予灘ものがたりですか?」
「伊予灘ものがたり……あ!」
どうして思いつかなかったのだろう。
すっかり失念していた。
「そっか! 伊予灘ものがたり、ありますよね!」
伊予灘ものがたりは、いわゆる観光列車である。
JR四国が運営している、松山・八幡浜間を往復する旅列車だ。大洲編、双海編、八幡浜編、道後編の四区間がある。
列車は伊予灘の穏やかな海沿いを走り、車内で食事や喫茶が楽しめるようになっていた。料理は地元のレストランから提供されており、季節の食材が中心である。特定の駅や区間では、地元の有志や職員によるおもてなしもあり、大変評価が高かった。
県内だけではなく、県外からも訪れる人がいる。
「少々お待ちを」
八雲はそう言って自分のデスクを探しはじめた。
彼のデスクはよく整理整頓されており、すっきりしている。引き出しを一つ二つ開けると、目当てのものはすぐに出てきた。
「これ、フジの景品で当たったんです」
フジとは、愛媛県松山市に本社を置くスーパーマケットのチェーンだ。中四国に百店舗近く展開している。
愛媛県民ならお馴染みの店であった。店内で流れるオリジナルテーマソングは、県民の身体にしみついている。
フジでときどき景品の抽選があるのは知っている。道後温泉のホテル宿泊券などがよく景品になっているが……。
「八雲さん、これ……」
当たっていたのは、伊予灘ものがたりの乗車券だった。しかも、ファミリープランなので四人まで使える。
「申し訳ないのですが八幡浜までの片道券です。帰りは普通のJRに乗ってください」
「え、いいんですか? わたしたち、乗車券なら自分で買いますよ……!」
「私が一人で使うより、みなさんで利用したほうがいいですよ。浮いたお金で、美味しいものでも食べてください」
「そんな、一人でなんて……碧さんと一緒に小旅行してもいいじゃないですか」
「いえ、碧さんと二人はさすがに恐ろし――いやいや、せっかくだから若女将が使ってください」
八雲は爽やかに笑いながら、九十九にチケットをにぎらせる。
なにか言いかけてやめたような気もしたが……碧については幸一も密かに恐れている話を聞いた。
大晦日に大年神との羽子板対決を見たあとは、将崇も震えている。お客様たちも、「あの仲居頭はすごい」と一目置いているようだ。
うん……触れないでおいてあげよう。
「本当にありがとうございます! 絶対、お土産買ってきますね!」
九十九は素直に、伊予灘ものがたりの乗車券を受けとった。あとで、小夜子や将崇にも知らせよう。京も絶対に喜ぶはずだ。
ささやかな小旅行。
ますます楽しみが増えた。
「四人なのか? 九十九、儂の席は?」
「シロ様……せっかくの旅行気分に水を差さないでいただけますか?」
「辛辣ではないか。近頃は、少しばかり丸くなったと感心しておったのに!」
「それが気のせいだったんですよ。はい。では、お仕事に戻りますよ!」
「儂も行くのだ」
「もう。ついて来るなら、お手伝いしてくださいってば!」
「それとこれとは、別である」
「別じゃありません」
まとわりつくシロを鬱陶しく振り払いながら、九十九は仕事に戻るのだった。




