3.みんなそれぞれ
「いやもう、ゆづは大げさなんよね。そういえば、高校の合格発表のときも、こんなんやったよね!」
コップの水を飲み干して、京はバシバシとテーブルを叩いた。
ダンッと叩きつけるように置きながら笑う様には見覚えがある。大ジョッキでビールを飲んで酔っ払ったお客様が、似たような仕草をしていた。「ぷはー」まで入れれば完璧だろう。
要するに、それくらい気分がいいということだ。
三人と一匹で、打ち上げと称してランチに寄ったカフェ。
京は実に開放感のある笑みを浮かべていた。たぶん、九十九も似たようなものだろう。今、とても気持ちがいい。清々しい。まるで、背中に羽が生えたようだ。
受験が終わり、試験の結果が出た。九十九も京も、二人とも晴れて春から大学生である。小夜子と将崇も、それぞれ自分のやりたい道のために専門学校へ行く。
胸のつかえがとれた。
春からの生活だって不安だ。大学は私服で通学だから、毎日の洋服が心配。友達ができるか心配。講義についていけるか心配。
京とは同じ大学だが、進学する学科が異なる。湯築屋があるのでサークル活動をするか悩ましいが、恐らく別々だろう。
九十九と京は幼稚園から一緒だが、いつだって相手にあわせたことはない。高校受験も、たまたま志望校が同じになったので驚いた。
「もうね、バイト先決めとるんよねぇ。大学生になったら、応募するつもりなんよ」
京は明るい大学生活に思いを馳せて笑う。道後のお洒落なカフェでアルバイトをするつもりのようだ。
「ゆづは、実家のバイトやろ?」
「うん」
アルバイトというか、若女将だ。
本当は別のお店でも働いてみたい気持ちもあった。九十九はずっと湯築屋で働いている。他の仕事にも興味がないと言えば嘘だった。
ちなみに、春から将崇が正式に湯築屋のアルバイトになる。
以前から手伝いに来てくれていたが、本格的に料理をしたいらしい。厨房の幸一を手伝ってくれる予定だ。
「新しい生活かぁ……」
九十九はなんとなく口にしてみた。
それを聞いていた小夜子と将崇にも、考えるところがあったようだ。それぞれに息をついた。
「まあ、なんとかなる」
言い切ったのは将崇だった。
「俺は爺様のいる里で育ったからな。松山に来たころは見たことがないものばかりだったんだ。すぐに帰ってやろうと思ったけど……まあ、その。今は一応……楽しくないわけではないからな!」
将崇は化け狸である。転校してくる前は狸の里で暮らしていた。なんだかんだと一悶着あったが、現在は学生生活を満喫している。
新しい生活というものを、この中で一番強く体感しただろう。そんな彼にとっては、高校から大学へあがる変化など些細なものかもしれない――いや、違う。
将崇は人間の高校生活を通して、自分がやりたい将来を見つけた。それは明らかな彼自身の変化だ。
「将崇君は頼もしいね」
お世辞のつもりはなく、九十九は心からそう思った。
将崇はたくましい。わからないながらに、人間の生活に馴染もうと努力している。そんな将崇を九十九はまぶしくも思えるのだ。
「里って、言い方すごくない? 刑部の実家って、どんだけ山奥なん?」
将崇の正体を知らない京だけが細かい言い回しに疑問符をつけている。将崇は「え、えっと……里は、里だ……!」と、しどろもどろだった。
「ふうん……ゆづや朝倉は気にならんのや?」
そう問われて、内心どきりとした。
この中で、将崇の正体を知らないのは京だけである。
いくら将崇の変化が完璧であっても、会話をしていると一般的にズレていると思われることは多々あった。誤魔化したり、九十九や小夜子がフォローするが、どうしてもむずかしい。さすがの京でも、薄々変だと感じているかもしれない。
京だけ……仲間はずれ。
そういった思いが九十九の胸にのしかかった。
「お待たせしました、ランチセットです」
そんな会話を遮るように、ランチが運ばれてきた。
このランチを食べるのが楽しみだった京は、目を輝かせている。将崇の「里」のことなど、すっかり頭から抜け落ちている様子だった。
京は基本的に細かいことは気にしないタイプだ。
考えすぎだったか。
九十九はホッと胸をなでおろした。
「一回食べてみたかったんよね! めっちゃ美味しそう!」
京が叫んだ通り、ランチは美味しそうだ。今日は合格祝いの打ち上げランチなので、いつもよりも奮発した。
石挽豆腐のランチである。
ふわふわの豆腐がご飯の上にかかっていた。豆乳のスープや付け合わせも魅力的だが、まずはメインの石挽豆腐に引き寄せられる。
愛媛県産の大豆を石臼ですり潰し、それを絞って豆腐にするのだ。お店の中からも外からも作業の様子が見えるのだが、調理スペースでは重そうな石臼を、男の人がずっと回している。
期待を胸に、まずは一口目。
九十九は、なにもつけないまま豆腐を食べる。
大豆そのものの濃厚な甘みと、ヨーグルトのような滑らかさが舌でとろけた。嫌な苦みや雑味など一切ない。ご飯との相性もよかった。
塩と醤油、柚子七味も用意されているので、少しずつ使って食べ比べる。
塩は豆腐の優しい甘みが引き立って、全然違った印象になった。醤油はそれ自体が甘いタレのようで、ご飯との親和性が高くなる。丼の端に添えられた柚子七味は、柚子の風味と辛味が楽しめて、違う食べ物みたいになった。
「でも、やっぱりそのままが美味しい!」
九十九が笑顔で言った隣で、京は豆腐全体に塩をかけていた。
「いや、塩やろ。豆腐が甘くなるし」
将崇と小夜子も、それぞれ顔を見あわせていた。
「醤油が一番、全体の味が引きしまってると思うぞ」
「私は……柚子七味が面白いって思うよ」
それぞれに違う味の好みを主張して、自分の豆腐を食べている。
三者三様、ではなく、四者四様。みんな好みがきっぱりわかれてしまった。
「一致せんねぇ!」
京が大きめの声で言った。気が悪くなったわけではない。楽しそうに笑いながらランチを食べている。
実際、九十九も楽しかった。
みんな一緒がいい。
けれども、それぞれの個性を感じられるのも、とても面白かった。同じことをしていても、各々に違うのだ。
それは進学先の話だって一緒である。
これから、みんなバラバラになっていくけれど、寂しくなんてない。きっと、それぞれの場所で、それぞれの出会いをする。そして、そこで出会った人たちだって、みんな一緒ではない。
同じ学校、同じ学科で学んだって、みんな違うのだ。現に同じクラスだった九十九たちは、みんな違う。
「でもさ、それでいいよね」
九十九はお豆腐をそのままパクリと食べる。
みんなも同じように、好きな食べ方をした。一口の大きさも違うし、食べる速度も違う。しかし、全然気にならない。
「美味しいね」
噛みしめながら出た言葉はシンプルだった。
きっと、大丈夫。
しかし。
「だけど……寂しくなるね」
ポロリとこぼれ落ちるような言葉だった。
みんなは大丈夫。新しい生活になっても、やっていける。
それはわかっていた。
だけど、これも正直な言葉である。
九十九の一言で、みんなが黙って箸を置いた。
シンと静まって、なんだか気まずい。こういう空気を作りたかったわけではないので、申し訳なくなってくる。
「ごめんね! こんな話なんてしたくなかったよね――」
「ほうよ。寂しくなるけん、みんなで卒業旅行しようや!」
突然、前のめりに身を乗り出したのは京だった。京は机をバシバシと叩き、スマホを操作しはじめる。
「卒業……旅行……?」
その発想がなかった。みんな同じ気持ちだろう。
「卒業旅行にしては近場かもしれんけど、大洲とか八幡浜とか手軽やない? ゆづは近いほうがええやろ? 朝倉も実家、向こうやったよね?」
京は自信満々の笑みで問う。どや顔とは、こうするのだ。と、お手本を示しているようだった。
しかしながら、京の言う通りである。九十九は長い間、旅館を離れたくない。旅行と言っても、県内のほうが助かる。
「でも、どこがいいかな?」
スマホで検索をしながら、小夜子がにこりと笑う。
「バスもいいけど、JRで行けば速いね。海辺を走るから景色が綺麗だよ」
検索結果に写真がいくつも出てきた。たしかに、海岸線を電車で移動するほうが楽しそうだ。
大洲もいいが、八幡浜まで足を伸ばしてもいいかもしれない。悩ましかった。
「俺は……この、どーや市場っていうのに行きたいぞ……いや、別に行きたくなんか! 魚になんて興味ないからな!」
「刑部さぁ。そこ、ツンデレ入れるとこじゃなくない? 素直に料理人になりたいから、市場で魚が見たいって言えばええやんけ。今は行き先決めよるんやし?」
「つ、ツンデレってなんだよ!?」
「刑部みたいなヤツんこと」
「なんだと!?」
京にいじられて、将崇が顔を真っ赤にしている。九十九も小夜子も、そのやりとりを笑って見ていた。
なんとなく、行き先は八幡浜で決まりそうだ。
そういえば、九十九は旅行なんてあまりしたことがない。修学旅行くらいか。
楽しみだ。
こうやって予定を立てて、期待をふくらませていると、この時点ですでに楽しい。ずっと遊んでいたいと思った。
普段、九十九は旅のおもてなしをする側だ。
なんだか新鮮だった。
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