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お客様が「神様」でして ~道後の若女将は女子高生!~(web版)  作者: 田井ノエル
十二.神様からの助言は、わかりにくい!
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7.神様からのメッセージ

 

 

 

 準備は万端だ。

 付け焼き刃ではあるが、きっと大丈夫である。

 九十九はキリッと姿勢を正した。


「道真様!」


 意気込んで、客室で待っているお客様を呼んだ。道真は待ち構えていたかのように、すぐに障子を開いて出てきてくれる。手には湯籠をさげており、すぐに浴場へ行ける状態であった。


「待っていたよ。すぐに行こうか」

「はい。ご案内いたします。男湯は他のお客様がご利用中でしたので、個室の浴室を使えるようにしました」


 九十九は他のお客様と同様、道真をご案内する。

 今から男湯に細工をするわけにはいかなかったので、今回は露天風呂つきの客室を利用することにした。

 湯築屋は飛び込みのお客様が多いため、客室はすべて、すぐに使用できるようにしている。すでに湯を張り、準備をしていた。


「楽しみだね」

「入っていただければ、きっと、気に入ります」

「そうかい」


 用意したのは、五光の間だ。いわゆる湯築屋のVIPルームである。明治や大正を思わせるレトロな調度品を置き、露天風呂がついていた。その部屋の露天風呂に、道真を案内する。


「ほお。柚子ゆずかね」


 部屋に入った瞬間、匂いが漂っていた。道真は口角を持ちあげながら、嬉しそうに笑う。表情に奥ゆかしい品があり、どこか雅だ。やはり、彼は神様だが、平安時代を生きた貴族でもあると実感する。


「柚子風呂にしました」


 九十九は露天風呂を示す。

 二階のため、湯築屋の庭を見おろすことが可能だ。雪がふり、寒椿が咲く景色は風情がある。浴槽はひのきで、華美ではない上品なたたずまいであった。

 湯船にプカプカと浮いているのは、柚子の実だ。

 柚子の香りには気分を落ち着かせるリラックス効果がある。また、集中力を高める効能もあり、ゆっくりと詩を詠みたいという道真の希望に添っていると考えた。

 そして、身体を温めるため、疲労回復や安眠効果も期待できる。


「熱燗もご用意していますよ」


 幸一の選んでくれた日本酒だ。「梅錦うめにしき」である。

 愛媛県東予とうよの日本酒である。純米吟醸酒一筋は、燗酒コンテストで金賞を受賞した日本酒であり、道真の注文にはピッタリらしい。

 九十九はまだ未成年でお酒が飲めないが、いつかは自分の舌で味を確かめたいものだ。

 そういえば、結婚の儀で飲んだ御神酒は、どんな味だったのだろう。などと、考えてしまう。まったく覚えていない。


「どうしたのかね、若女将?」

「雑念です! すみません、なんでもありません!」


 余計な想像までしてしまい、九十九は首を横にブンブンとふる。

 ウエディングドレスなど考えていない。ケーキの上に、可愛いマジパンの人形が載っているとか、ブーケトスでは結婚に興味もないくせに京が前に出そうとか、お色直しに和装が着たいとか……そんなことは考えていない。でも、神前結婚式もいいなぁ……そもそも、神様と結婚するのだけど。というジョークはどうでもいい。つまらない。


「ふむ。なるほど……注文通りだね」


 道真は満足そうに、ふんわりと優美な笑みを描いた。

 それを確認できて、九十九は嬉しい。

 道真を満足させれば、大学合格を約束してくれる。そんな約束のためではない。むしろ、それは、今の九十九には関係ない。九十九は受験生だが、今は湯築屋の若女将だ。

 単純に、お客様のお役に立ててよかった。

 働いていると、受験の疲れや不安も忘れてしまう。不思議だった。夢中になっているからかもしれない。

 心から、この仕事が好きだと思えた。


「若女将、ちょっと話していかないかね」

「え?」


 これからお風呂を満喫する道真の邪魔をしてはいけない。そう、退室しようとした九十九を、当の道真が呼び止めた。

 一瞬、目を離した隙に、道真はすでに湯の中だ。着物は部屋のすみに畳んで置いてある。

 神様は不思議だ。いろいろな物理法則を無視してしまう。慣れはしたが、理解はできない。


「そこに座っているだけでいいから、話し相手になってほしい」

「は、はあ……」


 珍しいタイプの注文だ。九十九はよくわからないまま、入浴している道真の姿が見えない位置に正座した。お客様が入浴中だと思うと、ちょっと気まずい。というより、やりにくかった。


「気にするな。稲荷神も、そこらで見ているよ」

「な……」


 二人きりではないから安心しろという調子で、道真が笑った。忘れがちだったが、九十九は急いで周囲を見回す。おそらく、霊体化して見ているのだろう。だが、姿は現さなかった。このまま、そっと見ているつもりなのだ。

 忘れがちだが、シロはたいてい九十九のことを見ている。ストーカーとも言うが……好意的に見れば、見守ってくれているので安心できた。もう一周回って、慣れてしまったので、なにも言うまいといった心境だ。


「私はね……加護が嫌いなのだよ」


 道真の言葉に、九十九は身じろぎした。


「私とて、天才だが最初から神ではなかった。人であったからこそ、人々が祈る心も理解はしている。だがね、人であったからこそ、自分がどれだけの積み重ねをしてきたかという誇りもある」


 道真には学問の才があり、幼少時より和歌などで才能を発揮していた。いわゆる神童、天才である。やがて、成長すると学問の最上位である文章博士もんじょうはかせとなったほどだ。政治面でも、着実に実績を重ね、宇多うた天皇の側近にもなっている。

 それだけの功績を残すには、天賦の才だけでは片づけられない。並々ならぬ本人の努力も必要であっただろう。

 才能だけで登りつめる人間などいない。そこには、他者には見えない苦労を背負っているはずだ。


「まあ、どれだけ才能があろうと、努力を積もうと、無意味になることもあるがね」


 結果的に道長は政敵の策略にかかり、身に覚えのない罪で九州の太宰府へ左遷された。その無念が怨念となったとも言われている。


「それでも、私は無意味とも思わぬ。こうして、神となれたのも、私が天才ゆえ。凡人の君らでは、決して至れぬ高みというわけだ」

「はい……誰にでもできることではないと思います」

「いやね、別に私は奢ったり、自慢したりしているわけではないのだよ。ただ、凡人が私のようになるのは無理だと言っている。言葉通りに受けとってほしい」


 言葉通りと言われても、意味がわかりかねた。

 九十九が真意を理解していないと気づき、道真は頭をかいていた。どうやら、充分に説明したつもりだったらしい。

 なんとなく、道真は言葉が足りていない。


「天才なのも困りものだ。凡人を理解できない」

「す、すみません……」

「いいよ。もう少し噛み砕こう……君らがいくら足掻いても、私には至れないのだ。人には器というものがある。それぞれに、おさまりのよい器を持っているのだよ。大きさも形も、ちぐはぐだ」

「器……」


 器が大きいとか、小さいとか、そういう慣用句はある。それに近いとは思うが、きっと、もう少し違う意味だと思った。


「私は学問の天才だが、凡人とつきあうのは苦手だ。それはきっと、君のほうがいい器を持っている領域だろうよ」


 道真は両手を使って、ていねいに湯をすくった。湯は道真の手におさまったまま、こぼれない。


「天賦の才能は違うのだ。だから、他者と比べても意味はないのだよ。己にあった手段と、必要なだけの積み重ねがある。そこを間違えては困るね。誰もが同じ土俵にいると思ったら、それは大間違いだ」


 あ……。

 九十九は両目を見開き、道真の言っている意味を呑み込んだ。

 きっと、理解したと思う。


「凡人どもを、私と同じなどとは考えてはいないよ。見あった努力を積んだ者を、私は評価する。そこへ至れぬのに、神頼みする愚か者とは違う。そして、私はこうも考えているね……努力を積んだ者は、正当な形で報われるべきである」

「正当な、形……」

「だから、私は加護を授けぬ。それは、その者に対する冒涜ぼうとくだよ。加護を与えることで、積み重ねた成果を発揮する機会を奪ってしまう。評価は人にとってのほまれだ。私はいらぬ加護で踏みにじられるのは、屈辱だ」


 受験は競争だ。

 勉強した積み重ねという実力をぶつけ、そして結果が出る。それは誰もがみんな喜べるものではなく、必ず敗者も存在するものだ。

 だからこそ、道真は水を差したくない。

 加護という要素によって得た勝ちをよしとしないのだ。


「私は勝ちもしたが、負けもした。だが、それは私の勝負だ……そこに神が介在したのだとしたら、呪うね」


 実際に怨霊となった逸話のある道真が言うと、笑えない冗談だ。けれども、裏返して本気だとも感じる。


「だから、私は加護の代わりに、気に入った者には、似つかわしい言葉をかけるようにしている。それは夢であったり、偶然流れた映像であったり、本の中の一節であったり、必ずその者の記憶に留まる形で届けるのさ」


 道真は湯船から身を乗り出し、九十九のほうを見た。身体が半分出ている。お客様の裸体から、九十九は慌てて目をそらそうとした。けれども、不思議と視線は道真に釘づけられたままとなる。


「私が直接、言葉をかけた君は特別だよ」

「あ……」


 九十九は表情も身体も固まらせたまま、息を呑んだ。

 これは道真からの贈り物である。

 彼が選び、九十九に直接贈ってくれた言葉なのだ。


「もしかして……最初から、ですか?」


 道真は加護は冒涜だと言い切った。

 それならば、九十九に加護を与えると言ったのは……。


「騙してしまったかな?」


 最初から、そのつもりなどなかった。結果的には、騙したことになるのかもしれない。

 しかし、道真の言葉を受けとった九十九には、首を縦にふることなどできなかった。


「いいえ……元から、お断りするつもりでした」


 加護を受ける気はなかった。

 九十九は受験生だ。合格したい。当たり前である。

 しかし、加護を受けるのは、間違っていると思うのだ。成果は正当に評価されるべきである。これは道真と同じ気持ちであった。


「私は至らぬ者には、言葉をかけぬ。決してな……誇れ」

「そのお言葉をいただけただけで、嬉しいです」


 ほっとした。

 受験をすると決めてから、いつもなにかに追い立てられている気がしたのだ。それで眠る時間を削って勉強してしまった。

 足りない。

 自分には、まだ努力が足りない。

 なにをしていても、胸の奥で黒い焦りしか感じなかった。いつも不安で胸が占められて、圧迫されて……息苦しくて……どうしようもなくなっていた。

 道真から言葉をもらって、それが少しだけほぐれた気がしたのだ。


「ありがとうございます」


 九十九はその場で、深く頭をさげた。


「礼には及ばぬよ。私も楽しませてもらったからね。感謝の言葉なら、そうさね……君を心配して、私のところへ祈願に来た友人にも述べておきなさい。ずっと、自分ではなく、君の心配をしていたからね。居たたまれず、つい出ていってしまったのだ」

「小夜子ちゃんが……?」

「よい友人を持ったね。天才は孤高ゆえ、うらやましい」


 道真は息をつきながらも、満足そうだった。


「さあ、ゆけ。私はもう少し独りで楽しむよ……君は平凡な人間なのだから、身体に障らぬよう、早く寝るがいい。今日は疲れただろう?」

「はい」


 そうだ。今日は疲れた……。

 今更になって、九十九は自分の疲労を自覚する。眠気も強いし、激チャで身体も痛かった。

 早く寝ないと。

 

 

 

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