13.神様の箱庭で
さくら、ちる、ちる。
ひとひら、ひとひら。
ひら、ひらり。
学校などで眺める桜とは違う。
稲荷神白夜命の居わす結界の中でのみ見える幻影。外界から遮断され、四季のない空間は夢のようで……現世に存在する日常とは隔離されている。
月はなく、太陽もない。
昼夜の存在しない世界には、ただ一軒お宿が在るのみ。
結界の主たる稲荷神に赦されし者のみが出入りできる。
けれども、結界の主たる稲荷神は外界へ出ることはできない。
それは契約なのだと、昔教わった。
「九十九よ。花見にでも行かぬか? 外は桜が見頃であろう?」
子犬のようにモフモフと尻尾を振りながら、シロが人懐っこい仕草ですり寄ってくる。
しかし、今は仕事中。これから、お客様方の部屋まで膳を持って行かなくてはいけないのだ。
「駄目です。後にしてください」
九十九はシロを雑にあしらいながら、せっせと廊下を歩く。
まったく、この稲荷神。邪魔しかしないのかしら? と、心の中で悪態をついたのは内緒だ。
「いや、内緒になっておらぬぞ。九十九、今思いっきり口に出しておった」
「すみません。独り言です」
「まったく、九十九は儂に対する敬意が足りぬぞ! もっと夫を立てよ!」
「その考え方、もう古いですよ。ゼウス様にでも、レディーファーストを教えてもらってください。だいたい、お花見って……シロ様、引き籠りでしょう?」
「ぐっ。引き籠りではない。外に出られぬだけだ。天照などと一緒にしてくれるなよ!?」
「まさか。大切なお得意様となんて比べませんよ。天照様は時々外出しているので、シロ様よりマシです」
「結局、儂を莫迦にするのだな!?」
「ウヤマッテマスヨ」
「嘘だ」
全く敬っていないと言えば嘘になるが、少なくとも今この瞬間は面倒くさい駄目夫としか思っていない九十九であった。
だいたい、どうやってお花見なんて。
シロ自身は外に出られないので、結界の中でするしかない。だが、ここにあるのはシロが幻影で作り出した桜のみだ。有難味がない。夏になれば、蓮の花に変わる。
人形を使って疑似的にシロが外出することもできるが……九十九は、あの人形があまり好きではない。顔は似せてあるし、神気も縮小されているがシロそのものだ。
けれども、触れるとやはり人形らしいひんやりとした感触がして、あまり好きではない。
「今時の夫婦はデートを重ねて仲を深めるそうではないか。儂も九十九とデートで仲良くなるのだ」
「仲良くって……もう夫婦ですし、別にいいじゃないですか。いろんな夫婦がいるんです」
「まだ床を供にしておらぬ。もっと仲良くなるのだ」
「それは……まだ早いんです! セクハラですよ!」
ずっと夫婦なのに、一度も床を供にしていない。湯築家の巫女を娶り続けてきたシロからすれば、特異なことだろう。
しかし……。
「なにが不満なのだ」
シロが不思議そうに、いつものようにキョトンと首を傾げる。
その表情を見上げて、九十九は「うっ」と尻込みした。
「だって……」
口を開いたところで、留まる。
「なんとなくです」
適当に流したことがわかったのか、シロは頬を膨らませる。仕草が幼いが、妙に絵になるのは無駄な美顔のせいだ。もうズルい。この顔立ちはズルい。と、九十九は嘆息した。
「妙な巫女だ」
これ以上聞いても意味はないと悟ったのか、シロは諦めて肩をすくめた。
――妙な巫女だ。
シロにとっては、そうだろう。
しかし、九十九にとっては、――。
「びゃっくしゅん!」
壊れかけた雰囲気を、どんでん返しにするくしゃみ。
廊下で鉢合わせた母・登季子がシロを見て、くしゃみが堪え切れなくなったようだ。鶯色の着物の袖で口元を隠しながら、大きなくしゃみを繰り返している。
いつもは、どちらかというとロックな服を着ているが、こうして和服を着ていると、きちんと「女将」に見える。お客様の言葉を借りるなら、まさに「キモノビジョ」だろう。
「ひぇ……っくしゅん! やけにくしゃみが止まらないと思ったら、シロ様いたのかい。もう……っくしゅんっ! くしゃみが、止まらな……いっくしゅん!」
「お母さん、ほんとシロ様が駄目なのね……」
馴染みの光景だが、毎度感心してしまう。
四つ足アレルギーと言うが、子狐のコマは大丈夫だし、近所の猫や犬も平気らしい。つまり、ピンポイントでシロが無理ということだ。
特に尻尾を見ると、くしゃみが止まらないとか。加えると、シロは二足歩行なので四つ足ではない。
「尻尾のモフモフは、シロ様の数少ない美点の一つなのに」
「数少ないだと? 儂には美点しかなかろう」
要らぬところで胸を張りはじめるシロを押し退けて、九十九は嘆息する。
そういうところが、美点を台無しにしているのに。
「はいはい。お母さんが来たから、シロ様はあっち行ってください」
「ぐぬ。またそうやって邪険に扱いおって」
「申し訳ありませんー」
「誠意がない!?」
神様なのでそれなりの敬意は常に払っている(つもりだ)が、誠意は確かにあまりない。九十九はペッペッと、シロを追い払い、登季子の隣に並んだ。シロは渋々と姿を消して退散する。恐らく、拗ねて厨房まで油揚げを取りに行ったのだ。
「ごめんねぇ、つーちゃん。せっかく、シロ様と二人だったのに」
「ううん、いいの。割といつも一緒だし」
鬱陶しい駄目夫を追い払う口実になってよかった、とは言わないことにする。
「つーちゃん」
不意の声に振り返ると、九十九の頭に登季子の掌が乗る。
結髪を崩さないよう、なぞるように撫でられて、九十九は口をぽかんと開ける。登季子はいつもよりも柔らかく笑いながら、髪から頬へと指を滑らせた。
しなやかな黒髪が揺れる。
「なに?」
九十九が首を傾げる。
「いや、なんでもないよ。呼んでみただけ」
指がスッと降りる。
「変なお母さん」
九十九には意図がわからなかった。なにか言いたかったのだろうか。それとも、言葉通りに呼んでみただけなのか。
「あたしも手伝うよ」
「手伝うというか、営業メインだけどお母さん女将だよね?」
「ありゃ、そうだったね! あっはっはっはっ!」
快活に笑って、登季子は着物の袖をまくった。そして、料理を運ぶために厨房へ向かった。九十九も、母について歩く。
「……びゃっくしゅん! もう、シロ様邪魔だよ!」
厨房に入った途端、そんな声が聞こえてくる。厨房で油揚げをつまんでいたシロに反応して、登季子がアレルギーを起こしたのだろうと、容易にわかった。
九十九は見慣れた光景に溜息をつきながら、厨房の暖簾を潜る。
1章はここまでで終了となります。
2章が書きあがり次第、更新再開しますので、まったりとお待ちください。ご要望などございましたら感想、活動報告、twitter等で承りますが、99.99999%性癖のみで書きますので、予めご了承ください。




