7.恋みくじに未来を問う
※申し訳ありませんが、設定は書籍版準拠となっておりweb版序盤と食い違います※
「九十九」
「はいっ」
伊佐爾波神社の石段に辿り着いていた。
百五十五段という長い石段を前に、シロが手を差し出している。
「のぼりにくかろう?」
「あ……はい」
出された手に、自分の手を重ねた。
傀儡の手は冷たいけれど、なんとなく、温かさがある。
「なんか、今日のシロ様……」
ちょっと気が利いてる?
そう言いそうになって、やめた。絶対に調子に乗るに決まっている。九十九には、オチは見えていた。
「あ、須佐之男命様」
石段を半分ほどのぼると、ちょっとした広場がある。伊佐爾波神社の社の一つ素鵞社の前に、須佐之男命がたたずんでいた。
須佐之男命は秋祭りから珍しく長期滞在していたが、お正月が過ぎれば、お帰りになると言っていたと思う。
「おうよ! 初詣してやがるんですかー?」
須佐之男命はあいかわらずの、軽い口調で片手をあげた。
素鵞社は須佐之男命と、妻の櫛名田比売を祀った社である。
伊佐爾波神社の祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、宗像三女神である。それらの他に、境内の摂末社には、各々別の神様が祀られている。
素鵞社も伊佐爾波神社の摂末社であった。
「はい、初詣です。うちは毎年、伊佐爾波神社なんです」
「そうか、そうか。まあ、上の連中も、あんたらに毎年顔出してもらえたら、喜びやがりますよ」
「ありがとうございます。須佐之男命様も、どうですか?」
「んー……いいや。俺が行ったって、迷惑されるだろうよ。一応、神だし」
たしかに、神様が初詣はおかしいか。
シロは傀儡を使っているし、ノーカウントだろう。
「一応なんて……須佐之男命様は立派な天津神ですよ」
「俺、その辺の立ち位置が微妙なんですけどね」
須佐之男命は天照と共に生まれた天津神だが、高天原を追放されている。古事記では、八岐大蛇を退治するなど数々の試練を乗り越える様が描かれ、天照と対になる主人公的な役割を与えられていた。
いわゆる、国津神と呼ばれる神々は、地上に降りた須佐之男命に連なっていると考えられている。
須佐之男命が「微妙」と言っているのは、高天原を追放されたことに由来するのだろう。彼を天津神とするか、国津神とするか、見解がわかれるところである。
「今でも、姉上様を怒らせてしまいやがりますし」
天照と須佐之男命のやりとりは、異様と言えば異様であった。
二人とも、互いを好きなのはわかるが、絶妙に歯車があっていない。シロは天照が須佐之男命に「甘い」と言っていたが、どことなく、どう接すればいいのかわからないのではないか、とも思えた。
須佐之男命のほうも、なんとか天照に好かれようとしているが、やり方がわからない。そんな風に見えた。
不器用すぎる。
もどかしいと感じる距離感であった。
「本当に、天照様がお好きなんですね」
九十九はふんわりと笑った。
「好きっていうか……」
「そういうの、たぶん、はっきり伝えないと駄目ですよ」
言いながら、九十九は自分の言葉に違和感を覚えていた。
はっきりと、伝えないと駄目。
前にも、八雲から言われたような気がする……。
今、九十九が須佐之男命に向けている言葉は、そのまますべて自分に返ってきていた。まるで、山びこのようで、息苦しくなる。
「んー……まあ、今にはじまった話じゃあねぇしなぁ」
須佐之男命は頭のうしろで手を組み、空に視線を遣った。
「まあ……細かいことを気にしやがってるだけなんでしょうがね。俺も姉上様も、別天津神でもねぇし、考えても一緒でしょうかね?」
須佐之男命は視線を空から戻しながら、笑う。
しかし、戻ってきた視線がとらえていたのは、話し相手である九十九ではないようだった。
少しうしろに立つシロの傀儡に向けられている。
「別天津神……?」
湯築屋には来ないお客様たちだ。
日本神話の天地開闢、いわゆる、天地創造の際に登場する神様たちである。独神で性別がなく、他の神々のように連なる系譜を持たない。だが、古事記での影響力は薄く、これ以降、彼らについて語る神話はほとんどない。
別天津神と、天照や須佐之男命を区別するような言い方に、九十九は違和感を覚えていた。
「行くぞ、九十九」
シロのほうをふり返る。
だが、シロは九十九の手を引く。
まるで、話を無理やり区切るようであった。
「え……はい」
九十九は戸惑いながらも、シロについて再び石段をのぼりはじめる。
途中で須佐之男命のほうを見るが、もうそこに彼の姿はなくなっていた。
「九十九ちゃーん! 早くー!」
石段の上では、先に行って待っていた小夜子が手をふっていた。碧や八雲も、待っててくれているだろう。
白い息を切らしながら石段をのぼりきる。
「はあ、疲れた」
「お疲れ様。ほら、見て」
小夜子にうながされて、九十九は自分が今のぼってきた石段をふり返った。
「わあ……!」
思わず、声が漏れる。
眼下に伸びる長い石段。さらに、その延長線上に、なだらかな坂が続いていた。その線のような道を中心に、道後の街が広がっている。
空は日の出の茜に染まり、道後に光が降り注いでいた。
街が輝いている。
いつも暮らしている街が、まるで生きているかのように思えた。
「石段のぼった甲斐があったね」
「うん!」
九十九と小夜子は、互いに笑いあい、参道を歩く。
ふと、九十九はシロのほうを見遣る。
傀儡の表情は乏しくて、なにを考えているのかわかりにくい。
「シロ様」
「なんだ?」
「綺麗ですね」
「ん? 今更、儂の美しさに惚れなおしたか?」
「そっちじゃないですよ。景色が綺麗ですねって言ったんです」
指摘されて、シロはようやく、景色に視線を向けていた。
同じ場所にいたのに、シロは同じものを見ていない。価値観がズレているとはいえ、なんとなく、寂しい気もした。
「嗚呼、そうだな」
「気がない返事ですね」
「見る必要もなかったからな」
「……そういうところ」
これだから、神様って。
九十九はシロと、こんな風にたくさんのものを見たい。
同じものを見て、同じように美しいと言えたら素敵だ。
もっと、もっと、シロと――。
『お前がいれば、我は、それでよいからな』
え?
今、なんか……。
九十九はよくわからない焦燥感に駆られる。胸の奥がざわざわと震えるように、なにかがわいてくる。
これがなんなのか、九十九には正体がわからない。
わからなかったが……怖くてたまらなかった。
「シロ、様……?」
思わず、名を呼んだ。
すると、シロは不思議そうに首を傾げる。
「どうした? 九十九?」
キョトンとした面持ちで、シロが瞬きした。
特に変わった様子もなく、九十九を手招きする。
「行くぞ。早く詣るのだろう?」
「え……はい」
今のは、気のせい?
九十九はもやもやしたまま、先に進んだ。
伊佐爾波神社の社殿は鮮やかな丹塗りで彩られており、美しい。細かな彫刻が施された極彩色の海老虹梁や、金箔のはられた円柱など、豪華な風情であった。
いくつも並んだ丹塗りの柱を見ると、日常から離れた異空間のように感じられる。
伊佐爾波神社は延喜式にも記された古くからの神社だ。日本に三例しかない整った八幡造りであり、国の重要文化財に指定されている。
「…………」
初詣の間、九十九は何度もシロを確認してしまう。
だが、特に変化はないようだった。
いつも通りだ。
なにもない。
「ねえ、九十九ちゃん。おみくじ引こうよ」
小夜子にうながされて、九十九もおみくじ箱の前に立った。
「恋みくじ、当たるんだって……きっと、いいことが書いてるよ」
浮かない顔でもしていたのだろうか。小夜子は、九十九に耳打ちしてくれた。なにをさせたいのだろう。小夜子は、ときどき、妙な気をつかってくれる。
お金を入れて、おみくじを引く間も、九十九は先ほどのことを考えていた。
あれは……シロではなかった。
前にも、見たことがある。
シロと似ているが、まったく異なる神気。
存在そのものは同じような――しかし、まったく異なる誰か。
あれは、誰なのだろう。
「え……?」
九十九は、引いたおみくじを開く。
小夜子も、隣で同じようにしていた。
「見て、九十九ちゃん。大吉! すごい具体的……B型で魚座の男の子がいいんだって。九十九ちゃんは、なにか書いてた?」
小夜子が嬉しそうにおみくじを見せてくれた。そこには、小夜子の言う通りの内容が書いている。
しかし――。
「え?」
九十九のおみくじをのぞき込んだ小夜子が表情を曇らせた。困った顔で、九十九を見ている。
九十九も、同じ顔をしているだろう。
「なにも、書いてない……?」
おみくじには、なにも書いていなかった。
真っ白な縦長の紙だけが、手の中にある。
印刷ミスだろうか。こんなにたくさんのおみくじがあるのだ。ミスで白紙が入っている可能性もある。
「九十九、どうだったのだ? 美形で頼れる賢い旦那様に甘えろと書いていたのであろう?」
いつもの調子でシロが近づいてきたので、九十九は慌てて白紙のおみくじをクシャリと丸めた。
「そんなの、一言も書いてませんでしたよ。駄目な夫に気をつけなさいって、書いてました!」
「それは、おかしい。儂はこんなに完璧なのに」
「それ、冗談ですよね?」
「儂はいつだって、真面目だぞ」
九十九は話しながら、身体のうしろでおみくじを。ぎゅっと丸める。
小さく小さく丸めて、誰にもわからないようにした。
自分でも、よくわからなかったが、シロには見られたくなかったのだ。
そのおみくじは……まるで、シロとの未来を否定された気分だったから。
シロに見られると、その瞬間から、なにもかも消えてしまう。
根拠もないのに、そんな恐怖に怯えていた。
第11章終わりです。
次回の更新は、大変申し訳ありませんが4月か5月頃を予定しております。
章ごとに細切れではなく、だいたい1冊分をバサッと更新するつもりです。
道後温泉湯築屋4巻は12月12日頃双葉文庫で発売予定です。
今回は書き下ろし2章分(90ページ超)となっております。
ちょっと書き下ろしが多くて迷ったのですが……2巻書き下ろしの「女将のたしなみ」の続きのような構成になっている仕様上、かなり長めですが書き下ろしとして収録しました。
また、12月22日(日)にTSUTAYAエミフルMASAKI店様でのサイン会を予定しております。
詳細は活動報告やツイッターをご参照ください。




