5.お正月のためなら、なんでもします!
「三点先取、碧の勝ちだ」
シロの宣言で、勝敗が決した。
途端に、碧が糸の切れたように、フッとその場に座り込む。
大年神も、豪快にその場へ寝そべった。
長期戦を制したのは、碧である。
「碧さん!」
九十九は急いでバスタオルとスポーツドリンクを持って駆けた。大年神のほうへは、須佐之男命が歩み寄っている。
「負けたねぇ!」
大年神が、はっはっはっと声をあげていた。
碧のほうは、ぐったりとして、九十九の腕にもたれている。
「すみません、若女将……四十を過ぎると、さすがに、昔のようにはいきませんね。歩けそうにないです」
「ううん、碧さん。ありがとうございます。こんな無茶をさせてしまって、すみません……でも、大丈夫そうです」
九十九は碧にスマホの画面を見せた。
画面を見て、碧は安心したように笑う。そんな碧を屋内へ戻そうと、駆けつけた八雲が抱えてくれた。
碧は充分に役目をまっとうしてくれた。
ここからは、九十九のターンだ。
「大年神様」
九十九は寝そべる大年神に声をかけた。
「くぅ……やられたねぇ。少し休ませてもらえるかねぇ?」
大年神の体力が回復すれば、九十九に勝ち目はない。
しかし、九十九はニコリと笑った。
「いいですよ、休みましょう」
そして、屋内を示す。
「お蕎麦を用意しております」
ちょうど、小夜子が縁側まで帰ってきていた。手には盆。上には、温かそうな蕎麦の器が並んでいる。
大年神はむくりと顔をあげた。
「蕎麦!」
動けないと言っていた気がするが、大年神の身のこなしは軽かった。丸っこい身体を揺らして、軽快に座敷へあがっていく。
運動直後に食事ができる元気が残っているとは……九十九は苦笑いしてしまう。
「ほら、言ったでしょう? とっちゃんは、蕎麦なら必ず食べやがるって」
そんな九十九に、須佐之男命がこっそりとウインクした。
たしかに、その通りだ。
なにせ、このタイミングで蕎麦を出すのを提案したのは、須佐之男命なのである。
「九十九、松山あげも入っておるぞ」
座敷へは、シロが先に帰っていた。さっきまで、庭に立っていたのに、いつの間に。神気の無駄遣いである。
座敷のテレビでは、歌番組の勝敗について集計が行われているところだ。それを見て、天照が「白! 白! 白!」と興奮した様子で叫んでいた。実は、ずっとテレビにかじりついている。今年は、推し《・・》が出演しているらしい。
人数分の蕎麦が運ばれていた。
醤油ベースの出汁に、蕎麦が沈んでいる。鴨南蛮、焼きネギ、松山あげのシンプルな具であった。
「食べましょう、年越し蕎麦」
九十九が言う前に、大年神はすでに箸を割っていた。両手をあわせて、蕎麦を食べはじめる。
九十九も卓につき、箸をとった。
出汁は鴨でとってある。醤油の尖った塩気は感じず、ふんわりと香る程度だ。その出汁を充分に吸った松山あげを口に含むと……じゅわりとジューシーな甘みを感じた。噛めば噛むほど、内側から出汁が染み出る。これぞ、松山あげの真骨頂であった。
蕎麦はつるつると口の中に入っていく。しっかりとした弾力があり、蕎麦粉の味が薄らと感じられる。
年越し蕎麦は、儀式だ。
来訪神である大年神を迎えるにあたって、身体を清めるためと言われている。
「あああああ! 白ぉぉぉおお!」
天照が歓喜なのか、嘆きなのか、よくわからない声音の絶叫をしていた。正直なところ、彼女の声のせいで、九十九にはテレビの中の勝敗が判別できない。
「はあ……美味しかったねぇ」
大年神が大満足の表情で腹をなでた。
満腹、満腹。そんな様子だ。
「さて……残るは、巫女だねぇ」
年越し蕎麦を食べ終わり、ゲームの続きをしよう。
提案をしたとき、テレビから「ゴーン……ゴーン……」と音がした。
除夜の鐘だ。
もうすぐ、年が明ける。
「えー、大年神様ぁ?」
九十九は蕎麦を食べ終わった箸を器の上に置き、わざとらしく胃の辺りをさすった。
「食べてすぐの運動は、身体に悪いんですよ?」
「な……」
九十九がぐったりとしながら言うものだから、大年神はどうすればいいのかわからないようだった。
「それに、もう年が明けてしまいます。これ以上は、ゲーム《・・・》ではなく、お正月遊び《・・・・・》ですよね」
この段階になって、大年神は九十九がなにを言いたいのか悟った様子だった。
そして、今までのゲームが、どのような意味を持っているかも。
「お正月遊びは、お正月を迎えないと……やれませんよね」
お客様に対して、このような意地の悪い言い方をしたのは、初めてだ。
「な、ならば……稲荷神! ゲームしないかねぇ?」
「儂はせぬ。これから、松山あげのおかわりをもらいに行くからな」
大年神にすがられるが、シロは顔色一つ変えず、袖にした。作戦通りだが、たぶん、松山あげのおかわりも本心なのだろう。
「……嵌めたねぇ?」
「なんのことでしょうか」
大年神に勝てる可能性があるのは、最初から碧だけである。
しかし、そもそも、勝ちに行く必要がないのではないか。
この可能性に賭けた作戦である。
大年神がゲームを楽しむだけ楽しんで、続きはお正月を迎えてから行うという提案を持ちかけるのだ。
まず、開始時間を遅めに設定した。
そして、まずは小夜子とのゲームで碧が大年神の動きを細かにチェックする。それをもとに立ち回る算段だった。
ここで碧のプレイが鍵をにぎる。
できるだけ、ぎりぎりまで時間を引き延ばしつつ、必ず大年神に勝つ。
これが勝利条件となった。
そのため、碧は一時間近い激闘を演じなければならない。間には、長めの休憩を入れ、できるだけ時間を稼いだ。ゲームのあとの年越し蕎麦も、その一環である。
除夜の鐘が鳴るまで。
碧に大変な負担のかかる作戦だったが、快く引き受けてくれた。
神様を相手に、見事完遂した碧は間違いなく功労者だ。
「ぐぬぅ……」
大年神は低くうなりながら、あぐらをかく。
「まあ」
だが、やがて、気の抜けた息をついた。
いつものおっとりとした大年神である。
「こんなに楽しいゲームは、久しぶりだったねぇ……それに、ワシの完敗だよねぇ、これは」
一杯食わされた。
そんな口調で、大年神は立ちあがる。
「満足したねぇ。これだけ楽しませてもらったからねぇ……仕事くらいはしないとねぇ?」
いつの間にか、縁側の外に大きな譲り葉が現れていた。大年神が乗って、家々を回るための乗り物だ。
「手間をかけさせるな。疾く、ゆけ」
シロは大年神の神気の制限をなくしたのだろう。ちょっとわずらわしそうに、「しっしっ」と手で払っていた。いくらなんでも、お客様にその態度はない。九十九は、無言でシロの手を、ピッと叩き落としておく。
「帰ってきたら、続きをしてくれねぇ」
「はい」
大年神はぴょんっと軽く譲り葉に飛び乗った。
最後に、座敷の隅で休んでいる碧をふり返る。
「おまえさんの得物が板でよかったよ。いやあ、大した若造だねぇ!」
須佐之男命も、「碧には神剣を持たせると危ない」と言っていた。やはり、相手をしていた大年神も、そのように感じていたのか。
碧は神気が使えない従業員だ。
幼いころは難儀したと聞いている。
しかし、今では神すら認める人間だ。
「では、よいお年を」
のんびりとした笑い声を残して、大年神は飛んでいく。巨大な譲り葉がプロペラのように回って、その上に大年神が乗っている。いつ見ても、目が回りそうだった。
「あ」
九十九はあわてて時計を確認した。
時刻は、二十三時五十九分。
あと十秒ほどで、年越しであった。
九十九が姿勢を正すと、小夜子やコマも正座する。数秒の間だけ、なにもない、静まりかえる時間があった。
「あけましておめでとうございます!」
示しあわせてなどいなかった。
けれども、日付が変わると、みんなで一斉に頭をさげる。
いっぱいいっぱい、笑いあいながら新年のあいさつをした。




