12.神様とデートします
天気は快晴。予報でも、雨の気配はない。
絶好の「お出かけ日和」である。
デートではない。お出かけである。
スニーカーに足を滑らせ、踵をトントン。動きに合わせて、うなじでポニーテールがピョンピョン。
「つーちゃん、いってらっしゃい」
玄関で支度をしている九十九に声がかけられる。
ピッタリと身体にフィットするレザーパンツに、ライダース。フルフェイスのヘルメットを抱えた登季子が、ニカッと白い歯を見せて笑っていた。
「お母さんも、いってらっしゃい。ツーリング?」
「まあね。あんまり滞在期間とれないから、久々に県内見ておこうと思ってさ」
登季子が湯築屋に滞在する時間は、いつも短い。
主にシロのせいなのだが、次の営業の予定が詰まっているらしい。今度は、どんなお客様を連れてくるのやら。
「つーちゃん。今度一緒に、ベガスにでも行かない?」
「あはは。カジノに神様っているの?」
「そこそこ集まってくるわよ! 割と穴場の狩り場ね!」
へー、神様もギャンブルするんだぁ。九十九は曖昧に笑ってみる。流石に未成年の九十九では、カジノで楽しめそうにはない。
「お客様のおもてなし、今回も頑張ってくれてるのね。えらいぞ! つーちゃん!」
登季子は歯を見せて笑いながら、九十九の頭をポンッと撫でた。
「満足してもらえるか、わからないけどね」
「大丈夫だよ。あたしの娘なんだから!」
なんの根拠にもならないが、登季子からそう言われると嬉しくなった。
いつも明るくて大らかで、とても優しい。登季子の言葉には、不思議と元気になれる力があった。
「じゃあ、いってくるね」
「がんばってきな」
登季子は九十九の背をパンッと叩いて送り出してくれた。九十九は背中に温かみを感じながら、玄関から外へと踏み出した。
「お待たせしました!」
勢いよく飛び出す。
振り返ったのは、威風堂々と腕組みをしたギリシャ神話の天空神ゼウスだ。隣には、ゼウスの腕に身を寄せるヘラの姿もあった。
二人とも何故か「週休七日」と日本語で書いたTシャツを着ている。
常々思うが、ゼウスは日本語の意味を理解してTシャツを購入しているのだろうか?
「うむ、ワカオカミ。大して待ってはおらぬ」
今日は所謂、「お出かけ」だ。
――更なる美食を堪能したければ、明日、わたしと一緒に『お出かけ』しましょう!
九十九の誘いに、ゼウスは二つ返事で了承した……最初は多少の誤解を与えたが、概ね、二つ返事だ。
その目に宿るのは期待と好奇心。
「宿の料理人を超える料理人がいる、ということか?」
お出かけ先に興味津々のゼウスに対して、九十九はフワリと笑みで返す。
「うちの板長の腕は、ゼウス様の知るところです。職人の腕の話ではないのです」
意味がわからない。そう言いたげに、ゼウスは顎を撫でていた。そして、試すように九十九を眺めている。
「では、参りましょう」
九十九はニコリと笑って、宿屋の外へと歩く。
だが、そのすぐ隣に、フッと風のように現れる影があった。
「せっかく、九十九と『デート』できると思っておったのに……くっ……今度、二人でデートしよう」
鴉の羽根のような艶やかな黒髪。陶器のように白く滑らかな肌。
簡素なシャツとブラックジーンズという出で立ちであっても美しい。マネキンのような乱れのない造形の青年が九十九の隣を歩いていた。
シロが旅館の外へ行くために作った人形だ。
シロは湯築屋に張った結界のために、外へ出ることはない。代わりに、自分の意識を移した人形を外へ送るのだ。現代風に言うと、遠隔操作だろうか。
敵意を向けることがないと言っても、お客様は神様だ。今回のように、人の住む世界に巫女だけの付き添いで出かけることは、あまり好ましくない。なにかが起こる可能性もあるし、逆鱗に触れないとも限らない。
神には神を。
極力、シロの目が届くところにいた方が無難である。
「デートって言ったって……シロ様は外に出られないんですから、そもそもデートにならないじゃないですか?」
「気分だけでも! 味わいたいのだ!」
「はあ……」
「儂は九十九が遠くて些か寂しいが、九十九にとったら、儂が傍にいるのと似たようなものであろう。心置きなく、『イチャイチャ』しても良いのだぞ!」
「いや、そうは言われましても……普段から、イチャイチャとかしてないし。したくないし」
「夫婦なのに!」
「世の中の夫婦、そんなにイチャイチャしてませんって」
「ええい、ヘラ殿を見習え!」
冷めた反応の九十九に対して、シロは後ろを歩くお客様夫妻を指さした。
逞しいゼウスの腕に寄り添うヘラ。幸せそうに笑って、時々、夫からのキスを求めている。いかにも外国人らしい振る舞いというか、なんというか。九十九は目のやり場に困ってしまった。
夫であるゼウスの顔が時々、引きつっている点については、無視だ。
「あれを日本人に求められたって……シロ様だって、日本の神様だし」
「嫌だ。あれがいい!」
「子供か!」
駄々を捏ねられても困る。
なんだか、夫というよりも息子でも相手している気分だった。
「さて、ゼウス様」
宿から離れ、第一の目的地で九十九はゼウスを振り返った。
白いワンピースの裾がフワリと舞い、ポニーテールの先がうなじで跳ねる。さり気なく、肩に手を回すシロの腕を払う。
「ここでしか味わえない美味しいものを食べましょう」
九十九はにっこりと笑って、小さな店を示した。
料理屋やレストランといった佇まいではない。小さな店先にカウンターが設置されており、中の様子が丸見えだ。良く言えば客と店の距離が近い。悪く言えば、屋台のような粗末な造り。
看板には、大きく「じゃこ天」と書かれている。
「ワカオカミ? ジャコテンは昨日食べたのでは……」
「いいえ、ゼウス様。じゃこ天ではありません」
そう言って、九十九は店員に注文を告げる。
店の中に座っていた初老の女性がクシャリと笑って、商品を油の中に投入した。ジュッと威勢の良い音が響き、やがて、カラカラと油の揚がる音へと変化する。待つこと数分で、揚げたての商品が小分けの袋に包まれた状態で提供された。
簡素な紙の小分け袋におさまっているのは、こんがりキツネ色に揚がったコロッケのような物体だ。いや、見た目はコロッケかメンチカツ辺りにしか見えない。
「これを……?」
「はい。揚げたてを召し上がってください。あちらに無料の足湯がありますから、休みながら!」
九十九の意図がわからず、ゼウスもヘラも首を傾げている。しかし、半信半疑で九十九について歩き、放生園で提供される無料の足湯へと歩く。
足湯には、既に観光客がおり、靴を脱いで湯に足をつけていた。
九十九は当たり前のように靴を脱ぎ、足湯につかる。そして、これまた自然な流れで買った品物をパクリと口に頬張った。
「このように、人の多い場所で湯につかるなど……」
道後の湯は、湯築屋と同じものだ。同様に神気を癒す力がある。
しかし、ゼウスは人の多い場所は好まないようで、戸惑っている。
「でも、ダーリン。美味しそうですよ」
戸惑うゼウスの隣でヘラが微笑む。
彼女は九十九と同じように靴を脱ぎ、手にした食物にパクリとかぶりついた。その途端、今まで夫にしか興味を示していなかったヘーゼル色の瞳が輝く。
「ワカオカミちゃん、これ美味しいわ!」
初対面は物凄い勢いで襲撃されたが、誤解が解けたあとは「ワカオカミちゃん」と呼ばれている。どうやら、若女将は九十九の名前だと思っているようだ。
「ダーリンも食べましょ! こっち来て!」
自分の隣をパンパン叩きながら、ヘラがゼウスに声をかける。
ヘラに促されて、ゼウスはようやく靴を脱いだ。
そして、手にした揚げ物を見下ろす。
見目は、どう考えても普通のコロッケのようだ。しかし、ヘラの反応はどうも違う。ようやく興味をそそられ、口を開いた。
「ふ、ふぉ……」
熱い!
揚げたての衣が容赦なく口の中を刺激した。半開きの口から湯気と声が漏れてしまう。
しかし、口の中のものを外には出したくない。
口の中に広がるのは、なんとも不思議な食感であった。
味は昨日食べたじゃこ天。魚の旨みが詰まった濃厚な生地と、プリッとした歯ごたえが絶妙。だが、それに加えて野菜のようなシャキシャキ感と、ジューシーな汁が口の中で混ざり合う。
「これは……魚か!? それとも、肉なのか!?」
味は魚だが、このジューシーさは肉のように感じる。境目のわからない好奇の味に、ゼウスは混乱した。
「これは、じゃこカツです。じゃこ天と同じような魚のすり身に野菜を加えて成形し、パン粉の衣に包んで揚げるんです。野菜の水分がある分、じゃこ天と比べてジューシーで、衣のサクサク食感が楽しめます。所謂、この地の『B級グルメ』です」
「B級……グルメ……?」
「郷土料理ほど堅くない、ジャンクフードのようなものです。新しい世代の料理と言ったところでしょうか」
とにかく、この地でしか味わえないものを。
九十九はにっこりと笑って、じゃこカツを一口。釣られるように、ゼウスも一口。
「一流の食材とおもてなしも、旅の醍醐味です。しかし、旅をするからには『ここでしか味わえない空気』があると思うんです」
魚や肉など、高級食材を集めた夕餉は美味い。
最高の食材を、最高のもてなしで。それこそがプロの美学であり、客に提供すべき形だ。
だが、この状況はなんだろう。
客であるゼウスは雑踏の最中に位置する足湯につかり、落ち着けるわけがない。手にしているものは一個200円もしない安いジャンクフードのようなもの。
けれども、何故だろう。
ゼウスにとって、この上ない美味に感じられた。
大賑わいではないが、寂れているわけではない街の様子。
溶け込むように足湯があり、身体を温めてくれている。
油の滲む紙に包まれた小さなじゃこカツが、不思議なほど美味かった。
この世の贅沢とは程遠く、最上の美食とも程遠い。しかし、今この瞬間、ここで食べるじゃこカツよりも美味いものを、ゼウスは味わったことがない。
「確かに、ワカオカミ」
ゼウスは食べ終わったじゃこカツの紙袋を丸めた。
そして、オリュンポスの神々を纏めるギリシャの主神とは思えない表情で笑う。唇をニカッと持ち上げ、目じりが下がる破顔。
「美味い。注文通りの味である……おかわりを、頂けないだろうか?」
ゼウスの笑みを見て、九十九も笑顔を咲かせた。
「はい! すぐに買ってきますね! あと、坊ちゃん団子もオススメなんです。それから、えっと、ちゅうちゅうゼリーも最高で」
「全て持って参れ。お代は宿賃と一緒に支払う」
「はい!」
九十九は急いで足湯からあがり、靴を履く。駆ける足取りが軽やかで、心も弾む。
振り返ると、足湯に浸かるゼウスがヘラの肩を抱き寄せている。人前だというのに顔と顔が近づいていく様を見て、九十九は慌てて目を反らす。
高揚した気持ちが、別の意味でドキドキと脈打つ鼓動に変わる。
「羨ましいと思ったか?」
九十九の視線に気づいたのか、シロが顔を覗く。
正確には、シロの神気が込められた人形なのだが、整いすぎた顔立ちや声はシロと同じだ。九十九は一瞬で自分の顔が耳まで赤くなるのを感じて、首を横に振った。
「調子に乗らないでくださいっ!」




