4.神殺しの勢いですかね!?
「だいたい見させていただきました」
宣言は静かだった。
右手に持った羽子板は、本当に木の板なのだろうか。今の碧が持つと、ギラギラと光を放つ妖刀……いや、神殺しの剣にすら見えた。
殺気。
そんな生ぬるいものではない。
覇気であった。
「面白いねぇ」
大年神が顎髭をなで、ニタリと笑った。
非常に好戦的で、獰猛な獣のような気を感じる。獲物を見つけて、舌なめずりしているかのような――。
「ひぃ……」
いつもと違う碧と大年神に圧倒されて、コマが毛を逆立てていた。
九十九も、掌に汗をかいている。
単にゲームを観戦している気分ではない。
これは、神と人との一騎打ち。
「これより、次鋒戦を行う」
正確には、大年神は一人なので、次鋒戦ではないが……シロは気にしていないようだった。
「はじめ」
先手は碧だった。
彼女は手の中でもてあそんでいた羽根を、前に掲げた。
「いきますよ、お客様」
言葉はていねいだが、目はまったく笑っていない。雪は降っていないが、周囲の温度がサーッと下がっていく感覚があった。
だが、大年神も負けてはいない。まるで、氷山で対峙しているような光景になっていた。なぜだろう。二人とも、神気が使えないはずなのに。シロ様、これ本当に神気制限してます?
「九十九ちゃん……龍とか虎が見える気がするの、私が疲れてるのかな……?」
「ううん、小夜子ちゃん。わたしも、まったく同じものが見えてる気がする……」
コマの毛が逆立ち、石像のように固まっていた。怖さが臨界点に達したらしい。ずっと、九十九の手を離さず、にぎっていた。
碧が動く。
羽根を投げ、
「はっ!」
力の限り羽子板をぶつけた。
羽根を突いた音がしたかと思うと、弾丸のようなスピードで大年神の陣地へと吸い込まれていく。
大年神の動きも速かった。
まるで、プロテニスプレイヤーのような動きで、落ちる羽根を打ち返す。
「せいやっ!」
「やぁぁああっ!」
まるで、剣道の仕合である。
けたたましい叫びが響いていた。
小夜子を先鋒にしたのは、理由がある。
碧は武術の達人だ。当然、身体能力も湯築屋の中ではトップである。
羽根突きで大年神に勝つ可能性が一番高いのは、碧だった。
碧が大年神の動きを観察するために、小夜子を先鋒にしたのだ。悪い言い方をすれば、小夜子の勝敗は関係なかった。碧が勝てるように、データを集められれば充分だったのである。
小夜子は、その役目を充分に果たした。
碧と大年神のゲームを見て、そう確信できる。
「あれ、本当に人間なの? ……あれに神剣でも持たれたら、俺でも負けちまうかもしれねぇですねぇ。とっちゃんが互角でやれてるのは、得物が板だからだわ」
思わず、須佐之男命まで苦笑いしていた。一応、彼も鉄や戦の神である。そんな神様でさえ、碧のことを評価している。
幸一が「碧さん、怒ると本当に怖くて」と言っていたのを思い出す。
絶対に怒らせないようにしないと。と、要らぬ決意をしてしまった。
「碧に一点」
長いこと打ちあっていたが、ついに、点数が動いた。
大年神の足元の地面に、羽根がめり込んでいる。強いスピンがかかっていたようだ。ただの木の板だというのに、恐ろしい。
「くう……やりおるねぇ」
大年神は汗を手で軽く拭った。
碧のほうも、珠のような汗がしたたっている。
「お二人とも、水分補給をどうぞ!」
九十九はすかさず、用意していたスポーツドリンクを差し出して駆け寄った。特に、普段、汗をかき慣れていない大年神には必要なことだ。
一緒に、栄養補給のチューブゼリーも渡した。
「ふう……」
大年神は汗を拭って、肩で息をしていた。
神様は神気の影響で、疲れたり、汗をかくことがない。しかし、今はほとんど人間と同じ条件となっている。表情はやや辛そうに見えたが、まだやれそうだ。
「ありがとうございます、若女将」
碧にもタオルを渡す。
珠のような汗がいくつも流れているが、大年神に比べると息があがっていなかった。まだ余裕の様子である。
「いいペースですよ」
九十九はスポーツドリンクを渡しながら、こっそり告げた。
「すみません……碧さんに負担をかけてしまって」
「いいえ、若女将。大丈夫ですよ、まだ余裕です」
碧はスポーツドリンクをクイッとあおる。そして、補食用のエネルギーチャージゼリーを飲むように摂取した。
「久しぶりに、武者震いしております。これが本気の仕合だったら、よかったのに」
本当の笑顔であった。
それなのに、九十九は背筋に悪寒が走り、身体が震えてしまう。まるで、神様を前にしているかのようだ。
九十九がコートからさがると、ゲームは再開する。
「それでは、はじめ」
シロがゆっくりと間を持って取り仕切った。
カンッ
カンッ
カンッ
羽根を打ちあう音が激しく続く。
木で木を打ち返している。テニスのように、ガットが張ってあるわけではなく、跳ね返る力は極めて弱い。
つまり、ほとんど羽子板をふるスイングの力だけで返しているのだ。
それを、まるで卓球のようなスピード感で続けている。おまけにラリーは何十分も続いていた。
「大年神に一点」
今度は大年神に点数が入った。
「ふむぅ……」
大年神は顎をなでて首をひねっていた。
九十九はスポーツドリンクを渡しながら、大年神の様子をうかがう。
「大丈夫ですか?」
「なぁに……若造には、これくらいのハンデがあってちょうどだからねぇ」
大年神が肩を大きく回すと、バキバキと関節が鳴った。
「ゲーマーは、負けず嫌いだからねぇ」
そう言って碧を見る大年神の目は……マジ《・・》であった。
神様が本気で一人の人間を倒しにかかっている。
このような場面は、湯築屋につとめていてもなかなか見られない。否、見たことがなかった。
その後も、壮絶な打ちあいが続く。
お互いに消耗するゲームだ。
一点対一点の同点から、碧が勝って二点対一点に。
その後、大年神が取り返し、再び同点に。
ついに、あと一点を先取したほうが勝ちとなる状況となった。
時刻は二十三時を回っている。まもなく、年が明けてしまう頃合いであった。
だが、勝負は佳境である。
何人も邪魔を許さなかった。
「九十九ちゃん、そろそろ……」
「うん、よろしく」
熾烈なラリーを横に、小夜子がこっそりと立ちあがる。碧と大年神のゲームは長時間にわたっていた。小夜子の体力も充分、回復している。
碧が、こちらを見た気がした。
九十九はゴクリと息を呑む。
「はあっ!」
碧のスマッシュが切れ味を増す。
あれだけの長期戦をこなしたあとで、どこにこのような体力が残っていたのだろう。そう思わせる会心の一撃であった。
「ぬぁにぃ!」
大年神も負けてはいない。碧の一撃をなんとか受ける。
「な、なに!?」
改めて説明する必要はないが……羽根突きは木製の羽子板で、木製の重りがついた羽根を打ち返す遊びだ。
鉄などに比べると、圧倒的に強度が劣る。
大年神の羽子板で打ち返した羽根は、その瞬間に、バラバラに粉砕してしまった。
細かい木くずが散り、カラフルな羽根だけがふわりと舞う。
その場が、しんと静まった。




