12.神輿は神様もお好き
笛の音とともに、周囲が騒がしくなってきた。
大勢の担ぎ手によって、神輿が運ばれてくる。いよいよ、喧嘩神輿の本番であった。
九十九はよく見えるように、八咫鏡を胸の前で持つ。銅鏡の面がキラリと光り、心なしか、喜んでいるような気がした。
「ほお」
シロが感嘆の声をあげる。
喧嘩神輿は神輿と神輿をぶつけて押しあう。文字通りの喧嘩であった。
その準備のために神輿同士が充分な距離をとったまま、「わっしょいわっしょい!」と声をあげている。司会者がマイクで、神輿の紹介をはじめた。
神輿の上に乗る神輿乗りが扇動し、担ぎ手の熱気があがっていく。担ぎ手は二百人を超えると言われている。昔は無秩序に喧嘩が行われていたが、今は統制がとれており、スポーツの側面が強い。
神輿の担ぎ手たちが向かいあい、互いに煽っていた。
口汚い言葉も聞こえるが、祭り気質の若者らしい。普段は穏やかな気質の県民が豹変する瞬間だと、揶揄されることもある。
「よいな。よいな。やはり、祭りはよいな!」
シロはパアッと表情を明るくしながら、祭りの様子を見ていた。傀儡の表情は本人と比べると幾分か乏しくなるが、充分に嬉しそうだ。きっと、湯築屋にいる本人は、尻尾をベシベシと揺らしていることだろう。
やはり、神様は祭りが大好きのようだ。
周囲に見えるお客様たちも、みんな楽しそうに見えた。
「九十九も楽しいか? 祭りは好きか?」
「そりゃあ……好きですよ。みんなと一緒に盛り上がれるのは、楽しいです」
「そうか! よかった!」
以前は、このようなことを聞いてくれただろうか。
シロが九十九の意見を聞き、自分と一緒で「よかった」と口にするなど、あまり記憶がない。
気のせいだろうか。考えすぎだろうか。
それでも、九十九は嬉しいと思った。
「シロ様と一緒だから……」
ポツンと小さすぎるつぶやきは、担ぎ手たちの雄叫びに掻き消された。シロには聞こえていないようだ。
「おおっ!」
距離をとっていた神輿と神輿が、全力で近づいていく。
担ぎ手たちは全速力だ。神輿が壊れることなど厭わず、勢いよくぶつかっていく。
神輿の上で、神輿乗りがふり落とされそうになっている。それほどの衝撃なのだと、傍目にも伝わってきた。
激しくぶつかるほど、神様が喜ぶとされている。
それが嘘ではないと証明するかのように、シロは目をキラキラと輝かせていた。どこかから、ツバキさんの甲高い「最高ーッッ!」という悲鳴も聞こえる。
ぶつかったあとは、押しあって相手の神輿を沈めていく。そうやって、勝敗を競っているのだ。
九十九は八咫鏡を見おろした。
反応は特にない。
しかし、堕神も神輿を見ているはずだ。
喜んでくれているだろうか。
不安になった。
九十九には、こんなことしかできない。消えていく神様に、なにもすることができないのだ。
無力だった。
「祭りで、そのような顔をするな」
九十九の表情に気づいたのか、シロが肩に手を置いた。あまり体温を感じない、ちょっとだけ無機質な感触。けれども、優しい。
「儂には、九十九がどうしてそのような顔をするのか、わからぬ。堕神は消える。これは摂理だ……だがな、儂は消える瞬間に、そのような顔をする人間を見たくなどないぞ」
「シロ様」
「九十九が最期にもてなした。それだけで、充分ではないか?」
シロは「よくわからない」と言いたげに、だが、必死で九十九にわかりやすい語句を選んでいるようだった。
「堕神は何者にも忘れられた存在だ。だからこそ、最期に弔う者がいるのは恵まれていると思うのだがな……それも、我が妻だ。うらやましい話ではないか」
ややズレている気もするが、その言葉は九十九の胸にスッと落ちていった。
これでいいのだと、認めてくれている気がする。
他でもない。神様のシロから、そう言われると……きっと、そうなのだと思えた。
「…………」
八咫鏡に反応はない。だが、堕神の神気がもうあまり長くないのは、伝わってきた。
『ありがとう』
なにか聞こえた気がして、九十九はハッと辺りを見回す。しかし、みんな次の神輿の鉢合わせに夢中で、誰も九十九を見ていなかった。
見おろすと、八咫鏡から漂っていた神気が消えている。
堕神が消滅したのだと悟って、一瞬、目尻に涙が浮かんだ。
けれども、違う。
今は、泣くときではない。
「またのお越しを……お待ちしております」
九十九は深く頭をさげた。
周りで、そのようなことをしている人などいない。それでも、お客様をお見送りするのと同じように、ていねいに、頭をさげた。




