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10.取り引きです

※書籍版の設定を使用して書いています。web版のみの方は、ご了承ください※





 シロのおかげで、田道間守の橘を堕神に届けられた。

 晃太の手術までは、堕神は生き延び、柿の実が食べられるだろう。おタマ様の話では、晃太の母親が毎日、柿の実を収穫して病院へ持って行っているらしい。

 手術は来週だ。

 ちょうど、道後の秋祭りと重なる。

 いつもにぎわう道後のアーケード商店街は、祭りに向けての準備を進めていた。毎年、伊佐爾波神社から六体、湯神社から二体の神輿が宮出しされ、道後温泉駅前広場で鉢合わせ(・・・・)を行う。

 鉢合わせとは、神輿と神輿を衝突させるのだ。

 神輿が壊れるのも厭わず、担ぎ手たちが神輿をぶつけ、押しあうのである。担ぎ手も観衆もボルテージがあがるため、警察も待機しているくらいだ。

 道後以外にも、松山市内各所で行われる神輿の鉢合わせは「喧嘩神輿」と言われ、日本国内でも有数の激しい祭りである。

 穏やかで、のんびりしていると評される愛媛の県民性とは真逆だ。

 しかし、やはり、県民は祭りが好きであった。そして、湯築屋に訪れる神様たちも、同じである。

 祭りは庶民のガス抜きとして発展した歴史を持つが、神事だ。

 神様をもてなすための行事である。


「九十九ちゃん、どうしたの?」


 学校帰り。

 アーケード街の入り口から、伊佐爾波神社をながめていた九十九に、小夜子が声をかけた。


「シロ様のこと、考えてたの?」

「な……! なんで、そうなるの!?」

「だって、九十九ちゃん、シロ様のこと考えはじめると、ぼんやりするでしょ。そうじゃなかったら、お客様のことかなって」

「お客様のことだよ!」


 どうして、その二択でシロを選択されたのだろう。九十九は頭を抱えた。小夜子は、たまにこうやって、九十九をからかうのだ。

 しかし、お客様について悩んでいたというのも……少しばかり違う。


「ねえ、小夜子ちゃん……堕神って、話したりできないのかな……?」

「え?」


 九十九は今まで、二柱の堕神に出会った。

 五色浜の堕神、柿の木の堕神。

 どちらも、言葉を交わせるような状態ではなかった。通じない――否、ただただ静かだと感じたのだ。

 堕神だって、元は神様である。

 人間の信仰があり、たしかに、存在していた。それなのに、名前を忘れられた途端に、ただ消えていく存在になる。

 彼らがどんなに人間に恵みを与えた神であっても、だ。

 天照や須佐之男命のような日本神話に語られるほどの神々でも、万一、誰も覚えていなくなったら、消えるのだという。


「そんなのって……ちょっと寂しい」


 神を崇めなくなったのも、忘れてしまったのも、人の都合だというのに。

 そうやって成り立つ共存関係なのだと言われても、九十九には易々と納得できなかった。

 九十九には、分けて考えられないのだ。彼らを区別することなど、できない。


「九十九ちゃん、本当に神様たちが好きなんだね」


 眼鏡の下で小夜子が柔らかく微笑んだ。


「私は……堕神なんて、嫌いよ。だって、蝶姫を苦しめたもの」

「あ、えっと……ごめん」


 五色浜に憑いた堕神は、小夜子の友人である鬼の蝶姫を利用したのだ。それが原因で、蝶姫は力を削がれ、湯築屋で湯治していた。

 小夜子にとっては、堕神は敵だ。九十九の失言だった。


「でも、九十九ちゃんは好き。九十九ちゃんが大好きなお客様たちのことも……私、九十九ちゃんがお招きするなら、その方もお客様だと思うよ」


 九十九がなにを考えていたのか、小夜子には見えていたのだろうか。言いたかったことを先に言われてしまった気分だった。


「九十九ちゃんの好きにしていいと思う。反対する人なんて、いないよ」


 小夜子の言葉は優しい。それなのに、力強くて頼もしく思えた。


「ありがとう、小夜子ちゃん」


 だから、九十九は元気よく返答できた。

 ちょうど、湯築屋の暖簾の前。九十九は宿の門を見あげたあとに、敷居を跨ぐ。

 暖簾を潜った向こう側は、結界で別の世界だ。

 昼間だというのに、月も星もない藍色の空が広がっている。庭の木々には赤々と色づく紅葉が茂っており、くるくると落ち葉が池に落ちていく。

 暖かな色彩のガス灯だけではなく、今日は、提灯の光が浮いていた。吊すものなどなく、文字通り、浮いている。シロの結界が見せる幻影は、物理的な法則を無視することが往々にしてああった。


「おかえりなさいませ、若女将」


 帰宅した九十九を迎えたのは、お客様であるはずの天照だった。丸みのある愛くるしい少女の顔に、蜜のような甘い笑みを浮かべている。油断すれば、沼に引きずり込まれそうな魔性の色香を感じた。


「天照様」

「呼ばれるような気がしましたので」


 九十九がなにかを言う前に、天照は歩み寄ってくる。一歩ずつが軽く、浮遊するような調子だ。

 手に持っているのは、見覚えのある銅鏡である。

 それを、九十九は知っている。


「これ」


 天照が差し出したのは、八咫鏡やたのかがみである。以前に、五色浜で堕神を、鏡の中へ移し、湯築屋へ連れてきたことがあった。そのときと、同じものだ。

 九十九は鏡を受け取ろうと、両手を出す。

 しかし、天照はスッと鏡を引っ込めた。

 九十九は直感的に、見返りを求められているのだと気づく。


「えっと……」

「なんでもいいですよ」


 この場合の「なんでもいい」は、むずかしい。

 神様は、ときどき、九十九たちを試すのだ。

 本当になんでもいいのかもしれないが、相手がなにを差し出すかはかっている。言葉一つひとつ、九十九はいつも試されているような気がした。特に、天照はその傾向が強いように感じる。


「これ……」


 九十九は言いながら、自分の制服のポケットを探った。


「八咫鏡を貸してください。この羽根と、交換では足りませんか?」


 差し出したのは、シロの羽根だった。

 田道間守に提供した残りの一枚である。現状、九十九に使い道はわからないが、神様には価値があるらしい。それならば、価値のわかる天照が持っているほうがいい。

 だが、天照は少し考えたあとに、首を横にふった。


「若女将。そんなものをいただいてしまったら、あなたに鏡の所有権を渡さなければいけませんわ。いいえ、それでは足りないかも」

「え……?」


 さすがに、九十九は白い羽根をまじまじと見つめた。田道間守も似たようなことを言っていたが、この羽根に三種の神器以上の価値があるのか。

 神気は感じるが、別段、破格に強いとも思えなかった。お客様の神様たちの持ち物のほうが強そうに感じる。

 なにか秘密でもあるというのだろうか。

 九十九は困ってしまう。差し出せるものなど、ない。


「味見でも、よろしくてよ?」

「へ?」


 天照が唇に弧を描く。赤い舌がわずかに見え、少女の見目に反した艶が強調される。

 九十九の神気を差し出すよう、求められているのだ。

 湯築の巫女で、稲荷神白夜命の妻。九十九の神気は神々、いや、あやかしたちにとっても甘く、極上の代物であると言われていた。シロがいつも使い魔で見守っていなければならないくらい。

 しかし……九十九の神気なら、八咫鏡の貸し出しには釣りあうのかもしれない。なによりも、天照がそれでいいと言っている。


「九十九ちゃん」

「大丈夫」


 心配する小夜子を制して、九十九は天照の前に膝を折った。

 ここはシロの結界だ。天照だって、九十九の神気を吸い尽くすなどという行為には及べないはずだ。ここでは、どのような神であっても、シロの裁量一つで力を制限される。

 大丈夫。

 九十九は、太陽のような天照の瞳を見据えた。


「まあ」


 美しく輝く瞳を細めて、天照は九十九の首筋に耳を近づけた。吐息が耳朶じだに触れ、身体中が熱くなってくる。


「こんなに信用されてしまうと、悪戯できないではありませんか」


 囁く声で言いながら、天照は九十九から離れた。神気を吸われた感覚などない。ただ、頭のうしろで、なにかが引き抜かれた気がする。


「これで充分です」


 天照の手には、九十九のリボンがあった。ポニーテールに触れると、仮止めのゴムだけの状態になっている。

 そういえば、あのリボンにはシロの加護が宿っているのだった。


「本当に味見をしたら、わたくし、追い出されてしまいそうですから」


 天照は可憐に笑いながら、九十九のうしろに視線を移す。程なくして、九十九の肩に誰かの手がのった。


「今から追い出しても、よいのだが?」


 シロだった。ずいぶんと不機嫌そうな顔で、九十九の背後に立っている。薄らと神気の気配が発せられており、いつもよりも明らかに攻撃的だった。


「冗談ですわ」


 天照はクスリと笑って、九十九のリボンを両手で持つ。もらっていくという宣言なのだと思う。シロは「さっさと消えろ」と言いたげに口を曲げ、九十九を自分のほうへ引き寄せた。抱きしめる、というよりも、お気に入りのおもちゃを盗られないようにする子供のようだ。

 天照は、スウッと霧のように消えていく。


「では……返却は、また宅配便でよろしくおねがいします」


 九十九の手には、八咫鏡が残っている。ずしりと重量感があり、両手で扱わないと落としてしまいそうだ。


「九十九」

「はい……」


 責められている気がして、九十九はひかえめにシロを見あげる。


「……まず、儂に相談せぬか?」


 見ると、シロの背では尻尾がシュンと下がっていた。責められているのではなく、拗ねているような態度である。耳もやや元気がない。


「あ……すみません」


 以前に、九十九は天照から八咫鏡を借りている。そのせいか、この件は天照と交渉するのがいいと思ったのだ。

 それに、これは九十九のわがままである。

 シロに頼りすぎるのも間違っていると思うのだ。

 けれども、シロは神様で九十九は巫女である。庇護対象であり、シロはそれを当然だと思っている。

 むずかしい。

 どうしようもなく、むずかしいと九十九は感じた。


「あの……本当に、すみません」

「よい。巫女には、好きにさせる」


 シロは九十九がなにをしようとしているか、気づいているようだった。

 けれども、今、相談しろと言われたばかりだ。九十九は改めて、言葉にしようと思う。


「堕神様に、おもてなしさせてください。わたし、どうしても……他のお客様と違うなんて、思えなくて……」


 シロはそう思わないかもしれないが、九十九にとっては堕神もお客様であった。

 同じ神様だと思っている。

 この言葉は、シロたち神様にとっては不敬だ。怒る神様もいると思う。それでも、シロならわかってくれる――いや、わかろうとしてくれる気がした。


「だから、手伝ってください。シロ様の力もお借りしたいです……危なくなったら、守ってください」


 九十九は非力だ。

 だから、こんな頼み方しかできない。


「よかろう」


 しかし、シロはふわりと笑みを作り。

 たしかにうなずいてくれた。





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