表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/288

11.神様の美食

 

 

 

「やるわよ」


 鶯色の着物を揺らして客室へ。

 耳元でかんざしが揺れる。

 今は夕食時だ。コマや他の仲居たちも忙しく働いている。

 コマなどの子狐はシロが連れている眷属の類だが、従業員の多くは湯築家に所縁(ゆかり)のある人間だ。ほとんど親戚なので、まさしく家族経営の旅館とも言える。


「失礼致します。お料理をお持ちしました」


 障子を少しだけ開き、中に声をかける。

 中から「良い、入るがいい」という返答を得てから、九十九は自分が通れる分だけ障子を開けた。一旦床に置いていた膳を持ち上げ、敷居を踏まないように室内へと。再び畳の上に膳を置き、障子を閉めた。

 一連の所作は身についている。

 九十九は座椅子に座って待っているお客様に向き直って頭を下げた。


「本日のお料理でございます。ゼウス様、ヘラ様」


 ゆっくりと顔を上げて、ニコリと笑う。


「うむ。いつもながら、丁度良い頃合いである。褒めて遣わそう。今日はどのような料理が楽しめるか……」


 ギリシャ神話の主神、全知全能の天空神ゼウス。

 オリュンポス十二神をはじめとする神々の王であり、天空の支配者である。目の前のお客様は、その名に恥じない威風堂々の顔つきで、まっすぐ九十九を眺めていた。

 見目は壮年の男性で、宿が用意した浴衣から覗く手足は非常に逞しい。


「やはり、この国の酒は美味である。水が美しい国というのは、良いものだな」


 先に晩酌していたゼウスがガラスの杯を持ち上げて笑った。その隣で、妻であるヘラも満足げに微笑んでいる。

 ギリシャから追いかけてきたヘラはゼウスが浮気しないか監視……ではなく、仲良く旅行を楽しんでいるようだ。ゼウスの顔が時々、とても怯えているように見えるのは気のせいである。たぶん。


「そちらのお酒は松山市の隣町、西条の蔵元で造られた日本酒です。甘い口触りと、すっきりとした後味が特徴です。地元の霊峰の名前をつけて、『石鎚(いしづち)』といいます」

「うむ。まさにその通り。ワインのように甘く芳醇でありながら、後味を残さないキレの良さ……米の酒というものも、味わい深い」


 地酒を味わい、ゼウスはしみじみと目を閉じる。


「美味い酒を飲みながら、美しいキモノビジョを堪能する。なんという、至福――おおっと、大丈夫。大丈夫だぞ、ハニー。ワカオカミを称賛しただけで、決して浮気ではない!」

「あら、ダーリン。まだなにも言ってなくてよ?」


 まだなにも言っていないが、ヘラの指が確かにゼウスの脇腹をつねっている現場を目撃してしまい、九十九は苦笑いした。目線も心なしか、ギラギラしている気がする。

 ヘラは嫉妬深い女神でもある。浮気性のゼウスを監視し、愛人に次々と鉄槌を下している。先日も、ゼウスの神気をわずかに感じ取って、九十九を襲撃したくらいだ。

 怒らせないのが吉だろう。


「今日は地元のお酒に合うお料理をご用意しました。冷めないうちにお召し上がりください」


 さておき、夕食だ。

 温かいうちに食べてもらわなければ、せっかくメニューを選んだのに意味がない。


 ――ここでしか味わえない、日本。


 九十九はお膳をテーブルに並べる。

 お客様は神様だ(・・・・・・・)

 最高の食材を使い、最高のおもてなしをする。それが流儀であり、求められている。


 しかし、――。


「この料理は、なんだ?」


 九十九が説明する前に、ゼウスは眉を寄せた。


「ここでしか味わえない、日本の料理でございます」


 膳に乗ったのは輝く宝石のような刺身と、煮物が数品。この辺りは、元々予定されていた和食の定番メニューだ。どれも父・幸一の自信作である。


 ゼウスが凝視しているのは、小さな網の上に乗った茶色の物体だった。

 平べったいそれは、どう見ても形が歪。指の跡が残り、大雑把にしか整えられていなかった。一口サイズに切り目が入れられているが、どう見ても高級食材とは程遠い。


「これは?」

「じゃこ天と言います。小魚を骨と皮ごとすり潰して揚げた練り物です。この辺りの地域では、一般的に食べられているものです」

「ほう」


 そう。ゼウスに提供したのは、愛媛県の郷土料理だ。それも、一般家庭で手軽に食べることができる品。このじゃこ天は幸一の自作であるが、安いものはスーパーでも三枚百円以下で買うことができる安価な品なのだ。


「まずは、揚げたてをそのまま召し上がってみてください」

「うむ……」


 見た目が地味なせいか、ゼウスの返事は重かった。少しガッカリ。そんな雰囲気だ。

 ゼウスは半信半疑の様子で箸をとり、じゃこ天を一切れ口に運ぶ。


「む……」


 ゼウスが眉を寄せた。

 しかし、じゃこ天を咀嚼する口の動きは止まらない。


 しばらく黙っていたが、やがて、自然な動作で日本酒の杯に手が伸びていく。

 酒を一口、グイッと飲み込み。


「……これはまだ食したことがない味だ……! 以前に食べたカマボコと言うものに近い気もするが……魚の旨みが詰まっておる。プリッとした食感も面白みがあって良いが、歯ごたえもあって良いな。しかし、ふわりと柔らかい。なによりも……日本酒が進む! 驚くほど、酒が美味い!」


 ゼウスは興奮した様子でじゃこ天を口に運び、日本酒を堪能した。

 気に入ってもらえたようで、九十九はほっと肩を撫で下ろす。


「じゃこ天は、炙ると更に美味しくなります」


 九十九は言いながら、じゃこ天の乗った小さな網に火をつけた。

 ジリジリと音を立てて、じゃこ天の表面が軽く炙られる。


「お好みで、大根おろしと一緒にお召し上がりください」

「炙ると、また……カリッとした食感に香ばしさまで上乗せされ……こんなものが不味いわけがない。大根おろしとの相性も良い。これが本当に庶民の食べ物なのか?」

「はい。一般的に食べられていますよ」


 ゼウスは信じ難いと言いたげに目を見開いて、じゃこ天を咀嚼している。


「お刺身は鯛と甘エビ、ヒラメです。茶碗蒸し、若竹煮、きんぴら、山菜のお浸し、鯛めしと……」

「タイメシ? 若女将よ、タイメシとはタキコミゴハンではなかったのか? 昨日も食したはずだが……しかも、タイは米に入っておらぬではないか」


 ゼウスが不思議そうに首を傾げる。ヘラの方も、同じ認識だったようで、紹介された「鯛めし」を見つめている。

 丼に盛られた白いご飯と、薄造りの鯛。出汁の中に浮かんだ生卵。そして、薬味が少々。

 ゼウスが昨日食べた「鯛の炊き込みご飯」とは違った品が並んでいた。


「こちらの鯛めしは、ひゅうが飯という郷土料理なのです。特に鯛を使うものは、宇和島風鯛めしと呼びます。食べ方をご説明しますね」

「ウワジマフウ?」

「愛媛の土地です」


 ゼウスが食いついたのを認めて、九十九はニヤリと笑う。しかし、表情は飽くまで涼やかに。


「まず、こちらの生卵を出汁と一緒に混ぜまして、そこに鯛のお刺身を加えます」


 九十九が動作を交えながら説明すると、ゼウスがその通りに卵をかき混ぜる。ヘラも同じように真似をした。

 溶いた卵が透き通るような鯛の刺身が絡まりつくと、喉が鳴る音が聞こえた。

 醤油が利いた出汁の匂いがふわりと鼻腔へあがり、食欲を刺激する。とろとろと、薄い鯛が卵の中を泳いでいるようだ。


「お好みで薬味もどうぞ」


 そのまま食べてしまいそうになっているゼウスを制するように、九十九は薬味を示した。ゼウスは苦手なワサビを避けて、ネギと海苔をたっぷりと入れた。ヘラの方は逆に、ワサビをたっぷり溶かしている。


「出来上がりましたら、ご飯にかけて召し上がってください。お匙を使うと、綺麗に食べられますよ」


 炊き立ての白いご飯が出汁と卵でザブザブに浸る。

 その上で、卵を纏った鯛が輝いていた。

 一般的な鯛めしは鯛の炊き込みご飯だが、宇和島風鯛めしは違う。この出汁と卵でザブザブになった丼を掻き込んで食べるのだ。


「美味い! 癖のない生魚の食感も良いが、卵と汁の味わいが実に絶妙。飲むように掻き込めるせいか、手が止まらなくなるな……」


 新鮮な卵や魚が味わえるのは、現代社会の成せる業だ。特に、この地域は内海から獲れる新鮮な魚が多く流通している。魚を売りにする飲食店は数多い。

 欧州では生食の魚はあまり出回らないので、尚更、美味しく感じるのだろう。


「炙ったジャコテンも実に美味。外側がこんがりして、更に酒が美味くなる」

「お気に召して頂いて、嬉しいです」


 九十九は選んだ甲斐があったと素直に喜んだ。

 しかし、ここで終わりではない。


「ゼウス様」


 満足そうに鯛めしを掻き込むゼウスに、九十九は追加の笑みを送った。


「更なる美食を堪能したければ、明日、わたしと一緒に『お出かけ』しましょう!」


 シン、と静まり返った。

 あれ? おかしいこと言ったかな?

 九十九は思った以上に静かな空気に、首を傾げた。


「ワカオカミよ。それは、所謂、誘惑ということで良いのか?」

「は、へ? ゆ、ゆうわく!?」

「つまり、デートということであろう?」

「え? いやいやいやいやいや!」


 問われて、九十九は顔を真っ赤にしながら否定した。ゼウスは戸惑いながらも、満更でもない様子で九十九に視線を送っている。

 だが、その隣でヘラの黒髪がユラリと波打つ。

 明らかな敵意を向けられて、九十九は背筋が凍った。


「すまぬ。我が妻の言葉が足りなかったことを謝罪しよう」


 軽やかに。

 いつの間にか、奪われるように九十九の身体はゼウスから引き離されていた。

 振り返ると、九十九の腰をしっかりと掴む腕。絹束のような白い髪が揺れ、紫の着流しが目に入った。

 一瞬の隙をついて、シロの腕に抱きかかえられていた。

 お姫様抱っこに持ち替えられる。


「シロ様……!」


 唐突なお姫様抱っこに、九十九はカァッと顔が赤くなってしまう。


「明日、人の世は休日だ。若女将が自ら、この地を案内したいと言っておってな。付き合っては頂けぬか?」

「ほう。なるほど……デートではないのが残念だが、それも良かろう。更なる美食にも興味がある」

「その点は、儂も残念だがな。奥方も連れてWデートというところで落ち着かれよ」


 足りていなかった九十九の言葉を補って、シロが微笑む。


「では、失礼。奥方とくつろがれよ」


 九十九を抱えたまま、シロは身を翻した。

 周囲の景色が揺れて、視界がぼんやりしたと思うと、そこはゼウスの客室ではなかった。

 瞬時に庭の池まで移動していると気づいて、九十九はパチパチと瞬きをする。神気を使ったのだと理解した。

 シロや客の神様が神気を使うたびに、やはり「不思議」だと感じてしまう。なにもかもが日常の出来事であるのに、こればかりは慣れそうにない。


「シ、シロ様……ありがとうございます。でも、あの、その……そろそろ、降ろしてくれますか?」

白足袋(しろたび)が汚れる。このまま儂が抱えていた方が良いと思うぞ?」


 九十九の提案などアッサリ却下して、シロは唇に笑みを浮かべた。

 薄暗い黄昏の景色に漂う桜の花弁が、シロの妖艶さをいっそう引き立てる。


「なにも、こんな退室の仕方しなくても、よかったじゃないですか……な、なんか、恥ずかしい」

「何故だ。夫婦(めおと)なのに」

「その前に、わたしはまだ未成年で! 高校生で! その……!」

「一昔前なら、十五にもなれば立派な女だったぞ」

「い、今は今なの! 昔と一緒にしないでください! 法律だって違うの!」

「最近の女子(おなご)は経験が早いとテレビで言っていたのだがなぁ?」

「個人差! 個人差を主張しますっ! というか、テレビで変なこと覚えすぎです!」


 ああ言えば、こう言う。

 こちらをからかっているのだろう。シロは楽しそうに笑いながら、必死になる九十九の顔を覗き見ている。


「まあ、八つ当たりで神気をぶつけ合って、更地にするよりはマシだろうよ」


 サラリと言いながら、シロは旅館の方へと歩きはじめる。


「もしかして……シロ様、怒ってます?」

「当たり前だ。妻が他の男とデートして、怒らぬはずがない。ヘラ殿と同じ気持ちぞ。もう少しで、狐火でもぶつけてやるところであったが、留まった」

「いやいやいや、デートじゃないですし。説明しましたよね!?」

「九十九とデートと聞いて喜んだ儂の純情は踏みにじられたのだ」

「なんのことですか」


 だいたい相手はギリシャ神話の最高神だ。怒らせて本気で殴り合えば、旅館が更地になるどころの話ではないだろう。


「いや、でも、流石に一方的にやられるんじゃ……格が違うし」

「なにを。相討ちには、持っていけるぞ? 国ごと消し飛ぶだろうが」

「へあ!? やめて!? そこまでするのは、やめてください!? それに、お客様に対してシロ様は不干渉と、湯築屋が出来たときからのお約束です!」

「無論、忘れてはおらぬよ。客である以上、丁重に持て成す。だが、妻を強奪する狼藉者は客とは呼ぶまいよ」

「いや、ホントやめてください。わたしの説明が悪かったですから」


 冗談なのか本気なのか。少なくとも、九十九には冗談であるようには思えず、慌てて声を上げてしまう。

 神様って、格に関わらず強さが一律なのかな?

 シロのせいで、イマイチ力関係を理解出来ない。


 ふと、桜の花弁が目の前に舞い込んでくる。

 九十九が不意に手を伸ばすと、薄紅の花弁は吸い込まれるように手の上へとおさまった。動いたせいか、シロは軽く九十九を抱え直す。

 シロの懐に顔を寄せると、ほのかに甘い香りがくすぐる。

 好物の油揚げの匂いだった。


 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ