7.それはとても嬉しいことです。
――儂の羽根でよいか?
シロの一言で、場はおさまった。
田道間守は、晃太の手術が終わるまでという約束で、おタマ様に橘をわけることになった。田道間守自身は納得いっていないようだったが……シロの申し出が利いているらしい。文句のようなものはなかった。
湯築屋に帰った九十九は、ひとまず、宴会となった広間の片づけをする。
カレー会だったので、通常の宴会と比較すると、すぐに終わった。お客様たちの満足度も高そうで、みんな、笑顔でお部屋に帰ったり、浴場へ行ったりしている。
その間、九十九はもやもやする気持ちを抱えていた。
シロ様の羽根って、なに?
毛じゃなくて、羽根なの?
思い当たるのは――五色浜での出来事だった。
あのとき、堕神から九十九と京を救ったのは、白い羽の生えた誰かだった。
――あのときの話は、やめよ。アレは儂ではない。
シロ様は違うって言ってたけど……。
「九十九」
まるで、返事をされたかのようなタイミングだ。
急にシロが九十九の前に現れていた。あまりに唐突で、九十九は手にしていた盆を落としそうになる。
湯築屋に帰ってから、シロの使い魔は消えてしまった。それから、シロとは顔をあわせていなかったことに、この段で初めて気がつく。
「シロ様……さっきは……」
なんと言えばいいのだろう。
言いたいことが、なぜか纏まらなかった。
「一つ、確認したいのだが」
「え、はい……」
シロは神妙な面持ちで、九十九をのぞきこんだ。
琥珀色の瞳が神秘的で、息を呑む。生き物のような感じがしない。まるで、作り物のガラス細工のような……それなのに、確実に生きている。
いつ見ても、シロは不思議だ。
人間とは違う存在なのだと、いつも痛感した。
「九十九は、儂がなにをしても、許すか?」
「え」
どういう、問いなのだろう。
しかし、九十九の疑問を解消せず、シロは難しい表情を作って、首を傾げてしまう。
「いや、儂ではないのだがな?」
「あの……本当に意味がわからないんですが……?」
「む……そうだな。つまり」
歯切れの悪いシロを見るのは久しぶりだ。
というより、シロも「なにを伝えたいのか」整理できていないような気がした。
「つまり、儂は」
「つまり?」
なにを言われてもいいように、九十九は表情を真剣に作り直してみた。
「つまり……儂は九十九に嫌われたくない」
え?
九十九はパチパチと、目を見開いた。
「えっと……」
「儂は真剣に言っておる」
「それは、わかりましたけど」
こんなことを言われるとは思っていなくて、九十九はどうすればいいのか、わからなかった。
シロが言っている意味は、少しもわからないけれど。
これだけは、言ってもいいと思う。
「わたし、シロ様のことを嫌いになんて……なりませんよ」
顔が赤くなっていると思う。
両手で覆って隠したかったが、シロが表情を崩さないので、九十九は直立したままになってしまう。
「そうか」
シロが笑った。
シロはよく笑う。しかし、このときは、なぜか……いつもより嬉しそうな気がした。その顔を見ている九十九まで、嬉しくなってしまう。
「誰にも見られたくはない――否、九十九にだけ見せたい。あとで、来い」
「は、はい……」
九十九は放心状態になってしまった。
けれども、シロが踵を返した段階で、こちらも聞いておきたいことを思い出す。
「あの、シロ様……どうして、味方してくれたんですか?」
シロは神様だ。
九十九のような人間とは、別の考え方をしている。もちろん、おタマ様とも違うだろう。わかりあえない存在だ。平行線で、交わらない。
何度も痛感させられた。
「何故、か」
シロにとっては、予期していなかった問いのようだ。一瞬、呆けたような顔つきをしながら、顎をなでる。
九十九のほうは気になっていたが、彼は気にしていなかったようだ。
焦点がいつも違う。
「九十九のことを、理解してみたかったのだ」
「え?」
シロが九十九に力を貸してくれるときは、たいてい「九十九がそう望んだから」だ。九十九の希望をかなえるという形で、助けてくれる。
けれども、今回は具合が違った。
「……儂のことを話すと約束したからな」
ああ、そうだった。
そして、九十九は納得した。
これは交換のようなものだと、シロは思っているのだ。
シロは自身のことを九十九に話してくれると言ってくれた。そのときは、もう少し先だが、必ず話すと約束したのだ。
だから、九十九についても理解したい。シロは、そう言っているのだと思う。
「神様って、融通が利かないというか、頑固なところありますよね」
「なんの話だ?」
「ほら、そういうところですよ」
眉間にしわを寄せてしまったシロに、九十九はふわりとした笑みを向けた。
「ぐぬ……儂は、なにか変なことを言ったのか?」
「違いますよ、嬉しかったんです」
心の奥が、ほんのりと温かい。
シロの言葉一つだけで、こんなに温かくなれる。
自分は本当に単純な人間だと思う。でも、それがいいのだとも、思えた。
「あとでうかがいますね。なので、お片づけを済ませましょう」
「うむ。では、儂は――」
「シロ様も、です!」
九十九は、そそくさと退散しようとするシロの尻尾をつかんだ。
通常の宴会よりも楽とはいえ、お皿もたくさんあるのだ。猫の手、いや、神様の手は借りたい。
嫌がるシロの尻尾を引いて、九十九は仕事へと戻った。




