5.神様のみかん
「ごめんね、将崇君。また手伝ってもらっちゃった……」
宴会広間には、お客様の神様たちが集まってカレーライスを食べている。ご飯とルー、福神漬けをセルフサービスで提供すると、どの神様も喜んでくれた。
「べ、別に! 俺が来たいと思ったから、来ただけだからな」
将崇は、小夜子に呼び出されてから、すぐに湯築屋へ来てくれた。道後区内に住んでいるため、家は近所である。
月見のときも、手伝いを頼んでしまったので、少し申し訳ない。
しかしながら、将崇のことは幸一も褒めてくれていた。料理が得意で、厨房での仕事の呑み込みがいいらしい。幸一が個人的に厨房のアルバイトに誘ったが、将崇は「誰が、あんな稲荷神の宿で働くか!」と、断ったようだ。
将崇とシロは表面的には、喧嘩しないが、やはり、仲はそんなによくない。ちょっと残念である。
「師匠が来てくれて、ウチも嬉しいですっ」
足元を歩いていた子狐のコマが、会話を聞いていたようだ。チョンと二本の足で立ったまま、頭をさげる。
将崇はコマの変化の師匠でもあった。彼と一緒にいると、コマも前向きになるので、九十九もいい傾向だと思っている。
「お、おう……弟子の様子を見に来るのも、師匠の役割だからな」
コマにお礼を言われて、将崇は顔を真っ赤にしていた。
口では素直ではないことを言っているが、将崇はすぐに顔に出るタイプだ。きっと、嬉しいのだと思う。最近、なんとなく、九十九も彼との距離感がわかってきた。
「失礼いたします、若女将」
つい雑談していたが、まだ接客中だった。
宴会広間から出てきた大国主命に話しかけられて、九十九はハッと姿勢を正す。
広間のほうでは、宴会でテンションがあがった愛比売命が須佐之男命にカレーの早食い対決を挑んでいた。もちろん、JKツバキちゃんモードである。二柱による早食い対決に、神々は大いに盛りあがり、会場がわいていた。
そんな席から抜けてくるなんて。なにかあったのだろうか。九十九は神妙な面持ちの大国主命を見あげた。
「先日、田道間守氏より妙な話を聞きまして」
「ああ……それなら、わたしも昼間に聞きました。橘のことですか?」
「左様です。一応、隣人ですからね」
大国主命は、少彦名命とともに道後の湯神社にも祀られている。田道間守が祀られる中嶋神社とは敷地が隣であった。
「それで、当方のほうでも、湯神社の境内に気を配ってみたのです……そうしたら、先ほど、相方が気になることを言っておりまして」
「相方……?」
「嗚呼、ここに」
大国主命は真面目な表情のまま、自分の右肩を指さした。九十九はジッと目を凝らしてみる。
パリッと糊の利いたスーツの肩。ぴょこぴょこと跳ねる虫のような粒が見えた。
「少彦名命様、今日はこんなところにいらしたんですね」
「はい。今、『お前、今まで気づいてなかったのかよ!』と、憤慨しておりますが、それはどうでもいいですね」
大国主命は少彦名命とともに、国作りを行った。日本の地に住む人々に技術を教えたり、土地を豊かにしたりする仕事を成したのだ。
道後温泉にも彼らの逸話は残っている。その際も、二柱はともに伝承されてきた。
少彦名命は一寸法師のモデルになったと言われている。とても身体が小さな神様で、普段は大国主命にしか居場所がわからないし、声も聞こえない。
「今しがた、湯神社の境内を何者かが横切ったようです。田道間守氏の橘を盗りに行ったのではないでしょうか?」
「え……?」
大国主命の言葉に、九十九は表情をくもらせた。
「相方は、我々よりも些細な変化に気づきやすい体質です。横切った気配は、小さな生き物だと言っております」
「小さな……?」
「妖かもしれません」
大国主命は言いながら、化け狸である将崇にも視線を向けた。
「さて。当方がこれから出向いて仕置きしてもいいのですが――これは一度、若女将に預けるべき案件かと思い、持ちこませていただきました」
「わたしに?」
どうして、九十九なのだろう。大国主命の意図が読み切れずに、九十九は首を傾げた。
「我々は、我々の理でしか、裁けませんから。これは、相方の提案です。当方は、このまま滅してしまうのが一番よいと思っているのですがね。ほら、カレーも食べたいですし」
「少彦名命様が……わかりました。わたしが行ってみます」
神様は絶大な力を持っている。しかし、その力は必ずしも人に恵みを与えるばかりではない。ときには、災害や試練、天罰となって人の前に立ち塞がる。
だが、彼らの行うことには、必ず意味があると九十九は思うのだ。
特に、今回は少彦名命と大国主命が直接、九十九が行くべきだと言った。そこには絶対に意味がある。
「仕方ないな。俺がエスコートしてやるよ!」
「みゃあ」
九十九が玄関へ向かうと、将崇も声をあげてくれた。
足元を見ると、ちょろちょろと、白い毛並みの猫も歩いている。どうせ、勝手についてくると思っていたが、シロの使い魔だ。
「ありがとう。将崇君、シロ様」
「我が妻に勝手に面倒ごとを……まあよい。田道間守の橘は美味だからな。恩を売っておこう」
「シロ様は、大国主命たちが、わたしに持ち込んだ理由がわかっているんですか?」
「大方」
やはり、神様の思考は、神様にはわかるようだ。
とにかく、九十九は行ってみるしかない。カレー宴会はまだ続いているが、料理はきちんと提供済みだ。仲居頭の碧にも断って、九十九は湯築屋の外に出る。
門を出ると、秋の虫の声が耳についた。
鈴のような音色を乗せた、秋の風。肌寒くて、一瞬、上着を着てくればよかったと後悔する。寒さを察したのか、シロの使い魔が九十九の肩に乗った。もふもふの毛並みが温かくて、ちょっと気持ちが和んだ。
早く行かないと、犯人がどこかへ行ってしまうかもしれない。
九十九は将崇と顔を見あわせて、中嶋神社のほうへ急いだ。
中嶋神社は湯神社の隣だ。
道後温泉本館を見下ろせる小高い丘の上にある。九十九たちは、本館とは反対側の石段を上って、神社を目指した。
「着いたけど……」
石段をあがると、すぐに境内が見えた。中嶋神社は小さな神社だ。周囲を囲む石柱には、奉納した製菓会社の名前が書かれている。
九十九は辺りを見回すが、夜の闇でよく見えない。
「こっちだ」
シロの使い魔が九十九の肩から降りて歩きはじめる。
田道間守の結界。その裂け目に、使い魔の前足が触れた。すると、九十九にもわかるように、空間が大きく歪む。
暗い夜の様相とは違い、結界の中は明るい光に満ちあふれていた。煌めく太陽が常に輝いているようだ。いくつも木が茂っており、林のようになっている。
シロの結界とは性質が違う。
ここは田道間守の庭、いや、温室なのだと思った。
「あ……」
田道間守の橘には強い神気が宿っている。
九十九には、自ずと、どの木がそうなのかわかった。
そして、その木の下で橘の実を咥える影を見て、驚いてしまう。
「……おタマ様……?」
黒い猫――おタマ様は九十九の呼びかけに、ゆっくりと、ふり返った。




