3.祭りは神様を変えるんですね!
この時期は、湯築屋の繁忙期だ。
十月は神無月。
出雲に全国の神々が集まるため、他の地では不在となる。と言われているが、これは中世以降の後づけであった。
とはいえ、神無月と呼ばれるのも旧暦の話だ。グレゴリウス暦での十月は、あまり関係ないと思う。
「小夜子ちゃん、ご案内終わった?」
「う、うん……!」
この時期は、とにかくお客様が多い。学校から帰宅してから、九十九はずっとお客様の対応に追われていた。
理由は祭りである。
秋は祭りの季節。愛媛県でも、多くの祭りが開催されていた。
愛媛県は穏やかでのんびりとした県民であると評される。だが、祭りは案外、過激なものが多い。巨大な太鼓台やだんじりが登場したり、石段から神輿を落として破壊する祭りなどがある。
道後温泉街を含む松山市内の祭りと言えば、喧嘩神輿。
神輿と神輿をぶつけて、勝敗を競う鉢合わせが人気を博していた。過激なパフォーマンスを見ようと、集まる県民は多い。
神様も、同じであった。
ことに、道後には湯築屋がある。神様を中心に相手する宿屋など、全国にそうない。神様が集まりやすい条件がそろっているのだ。
もちろん、自分の祭りには参加する神々が多い。しかし、それ以外の日程を湯築屋で過ごし、道後の祭りを堪能するというのは、もはや、彼らにとって恒例行事らしい。
「夕餉の支度しなきゃ……」
「ごめん、小夜子ちゃん。今日はお客様たちが盛りあがっちゃったから、宴会場に皆様お集まりになるって、さっき八雲さんから聞いたの」
九十九が告げると、小夜子は一瞬だけ疲れた表情をする。だが、仕方ないと割り切ったのか、顔を引き締めた。さすがは、湯築屋の従業員である。
急な予定変更など、湯築屋では珍しくない。
一番大変なのは、厨房の幸一だが。
「将崇君にも電話して、手伝ってもらおうっか」
「小夜子ちゃん、最近、躊躇しなくなったよね……」
「九十九ちゃんのおかげだよ」
小夜子は提案するが早いか、早速、将崇に連絡を取りはじめる。
将崇は同級生だが化け狸だ。湯築屋の事情は知っているし、最近、忙しいときは手伝いも頼んでいた。諸々事情があって、シロには嫌われているけれど。
小夜子も最初は、なにをするにも怯えていて、ひかえめな少女だったが……ずいぶんと、たくましくなった。同時に、とても頼りになる。すでに、湯築屋のやり手従業員だった。
仕舞いには、いつも影にひそんでいる、鬼の蝶姫まで呼びはじめている。蝶姫は蝶姫で、顔の見えない能面を貼りつけたまま、小夜子の頼みを聞いていた。
その様子を見て、九十九はつい微笑んでしまう。
「ということで」
九十九も、小夜子を見習うことにした。
「シロ様も手伝ってくださいよ」
宙に向けて話しかける。
もちろん、相手はその辺りで会話を聞いていそうな誰かさん――九十九の夫であり、湯築屋のオーナーでもある稲荷神白夜命だ。
「儂を呼びつけるなど……我が妻は神遣いが荒い」
ふっと風のようなものが吹いたかと思うと、いつの間にか現われる気配。
藤色の着流し、濃紫の羽織が揺れる。絹糸のような白い髪に、頭の上の狐耳。しかし、お尻の尻尾は、ちょっと不機嫌にさがっていた。
「猫の手も借りたいくらいなんです」
「では、猫に頼めばよかろうに」
九十九はため息をつくが、シロは不機嫌を改めなかった。琥珀色の瞳は神秘的で、見つめられるとドキドキしてしまうのに……こういう物言いをされると、ただのわがままを聞いている気分になる。
そんな九十九の気など無視して、シロは懐から出した松山あげをポリポリ食べている。
「いつも思ってますけど、そのまま食べて、むつこくないんですか?」
「別に? そういえば、九十九よ。前から指摘しようと思っていたが」
「はい」
「そのむつこいは方言らしいぞ? 天照が不思議そうにしておった」
「え?」
九十九は思わず眉を寄せる。
確認のため、小夜子のほうを見た。小夜子のほうも、「え?」と怪訝そうな表情になっている。
二人とも、「むつこい」が方言だと思ってもいなかった。
「じゃあ……むつこいって、他になんて言えばいいんですか?」
問いに、シロがニタリと笑った。
普通に腹の立つ顔だ。
たいてい、「むつこい」は味の表現として使用される。
九十九は代用の言葉を思い浮かべるが……。
「脂っこい? 濃い? 甘い? 不味い? しつこい? 胃がむかむかする?」
「でも、九十九ちゃん。美味しいときでも、割と使うよね……むつこい」
「うん……たしかに……」
とりあえず、いろんな意味が思い浮かんでしまう。念のためにスマホで検索をかけると、やはり中四国地方を中心とした方言のようだ。
簡単に「しつこくて、胸焼けする」と説明されているウェブサイトもあり、納得するような、ちょっと違うような。微妙なズレを感じてしまった。
対応する標準語が見つからない。
これは、もやもやする。
「あ……!」
考え込んでいる間に、シロが忍び足でその場から離れようとしていた。九十九はそれを見逃さず、襟首をつかむ。
「シロ様……誤魔化して逃げようとしましたね!」
「逃げるなどと、人聞きが悪い。儂は、新しい松山あげを厨房に取りに行こうとしておるのだ」
「ありがとうございます。夕餉の手伝いに、厨房へ行っていたんですね?」
「我が妻は難聴か」
霊体化して逃げなかったので、少しは手伝う気があるのだろう。そう解釈して、九十九は容赦なくシロの尻尾をつかんで引っ張った。
「九十九ちゃん、シロ様。気が済んだら、早めに来てね」
二人の様子を見ていた小夜子が、眼鏡の下でニコリと笑う。その表情は、「ごゆっくり」と言っているようにも、「早くして」と言っているようにも見える。いや、両方の意味だ。
……本当に、小夜子はたくましくなったものだ。
「はは……シロ様、早く行きますよ!」
少し遊びすぎた。
九十九はシロを引きずりながら歩くのだった。




