7.信じてくれて
記念すべき100話目です。
特になにもありません!!
そろそろ外が暗くなりはじめる時間だと思う。
各々に団子を丸める作業も落ち着き、九十九は時計を確認した。結界の外では陽が沈み、虫の声が響いていることだろう。お客様たちを結界の外へ誘導するには、いい頃合いだ。
部屋の隅に視線を向けると、黒い影のような存在があった。部屋の中に伊波礼毘古の傀儡はいなさそうだ。
伊波礼毘古に近づくと、影がこちらを見あげた。影だけを見ると、小柄な子供のものに見えてしまう。
「お団子食べませんか?」
「…………」
傀儡がいないと言葉を発せられないのだろうか。九十九は困ってしまい、周りを見回す。
「……気ヅカイ……感謝……」
影の口から片言のような言葉が漏れる。どうやら、意思の疎通は可能らしい。九十九はホッとしながら、手に持っていた串団子を差し出した。
シロと一緒に作った自分の串団子だった。
小さめに丸めた団子の上に、たっぷりとあんこが載っている。
手渡すと、影は表情のわからない顔で串団子を眺めていた。
「……アリガトウ……ゴザイマス……我ガ主ノ……巫女」
影の口が開き、串団子が吸い込まれるように消える。食べてくれていることを確認して、九十九はホッとした。
「伊波礼毘古様は、本当にお月見に参加しなくていいんですか?」
「……ハイ……」
伊波礼毘古はコクリとうなずいた。意見は変わらないようだ。
「シロ様がいらっしゃらないからですか?」
団子を作り終えると、シロはさっさといなくなっていた。
きっと、団子を持ってどこかの部屋でお酒を飲んでいるのだ。元々、その約束だったし、前座のお団子会はシロに少しでも参加してほしくて急遽企画したものだ。ひと時でも楽しんでもらえたなら、それでいいと思う。
「……ハイ……」
「伊波礼毘古様の傀儡……いや、傀儡って呼んでいいのかわかりませんけど、大きいほうはシロ様のところですか?」
「……結構デス……」
伊波礼毘古はコクコクとうなずいた。
伊波礼毘古は人々が作りあげた架空の人物であり、虚像。それ故に、元となった人物の存在は忘れ去られている。
だが、彼はたしかに伊波礼毘古であった。
その事実だけが、影としての彼を存在させているのだと思う。
他のお客様たちとは明らかに成り立ちが違う。
「伊波礼毘古様。やっぱり、一緒に外へ出ませんか?」
九十九は部屋の角に体育座りする伊波礼毘古に手を差し伸べた。
うしろでは、すでにお客様たちが月を見ようと庭へ移動している。今日は結界を特別に縮小し、庭に出れば直接、外と繋がっていた。
「外は塀に囲まれています。このお姿で外に出ても、湯築屋の者以外に見つかることもないです」
「……シカシ……」
「シロ様のほうは気にしなくていいですよ。お客様に楽しんでもらえるほうが、きっと喜ぶと思います」
差し伸べた手を伊波礼毘古はジッと見ていた。
動く気配はない。
「……ヤハリ……湯築ノ……巫女ダ……」
「?」
伊波礼毘古の言っている意味はよくわからなかった。しかし、影が薄っすらと笑ったような気がしたのは、勘違いではないと思う。
九十九の手に、伊波礼毘古がスッと手を重ねた。
「じゃあ、お連れしますね。今日は晴れの予報です。よく月を見ることができますよ」
九十九は伊波礼毘古の手を引いて立ちあがらせた。伊波礼毘古は九十九に導かれるまま、湯築屋の庭へと歩く。
まるで、子供の手を引いて歩いているようだ。
この人は、かつての日本を統一し、建国へ導いた偉人だというのに。
その功績のほとんどが創作だとしても、きっと、彼は存在した。九十九がおもてなしをするべきお客様であり、敬意を払うべき人物だ。
「……月……」
湯築屋の庭へ出ると、大きな月が見おろしていた。
満月に照らされた空は明るく、濃い藍の色に染まっている。月は青白い銀色のような優しい輝きを放っていた。
綺麗。
単純にそう思った。
同時に、「まるで、シロ様みたいだなぁ」と考えてしまう。
何故、そう思ってしまったのかわからないが、なんとなく、九十九にとって月はシロと似ているような気がした。
――夏目漱石はI love you.を『月が綺麗ですね』と訳したそうですね。
ふと、最近聞いたようなフレーズが頭に浮かんだ。
たぶん、授業中だったかな。
あのときは、つい「こんなロマンチックな告白はシロ様の口から出ないんだろうなぁ」と自分に置き換えて考えてしまった。
「月……まん丸ですね」
月が綺麗と言いかけて、九十九は言葉を改める。
あれは、あくまでも「そういう逸話がある」というだけのことだ。別に九十九が月を見て綺麗という感想を述べることが悪いわけではない。その言葉を聞いたからと言って、そう受け取る人なんて今の日本人にたくさんいるとも思えなかった。
それでも、隣にいるのがシロではないと思うと、どうしても口にすることができない。
「若女将、月見酒でもいかがかしら?」
伊波礼毘古の手を引いてぼんやりと月を眺めていると、天照がお酒のビンを持って笑っていた。悪気はまったくないという態度だが、表情がニンマリとしている。
「天照様。わたし、未成年ですよ」
「あら、そうでしたわ。今の日本では、若女将はお酒を飲めないのですよね」
「天照様、前にジュースだって言いながら、わたしにお酒飲ませましたよね」
「ふふふ」
「ふふふ、じゃないですよ」
確信犯だ。九十九はため息をついた。
「まったく、この国も生きづらくなりましたわね……あなたも、そう思わなくて?」
天照に同意を求められたのは九十九ではなく、伊波礼毘古だった。
「……ソレハ……ワカリマセン……」
伊波礼毘古は天照にそう返して、再び月を見あげてしまった。
天照はつまらなさそうに口を尖らせる。
伊波礼毘古は影のように、感情の読み取れない顔のままだ。もしかすると、なにか表情があるのかもしれないが、少なくとも九十九にはわからなかった。
「……既ニ神々ノ時代ハ……終ワッタ……我ハ……人民ヲ……信ジルノミ……」
伊波礼毘古の言葉に九十九はハッと息を呑んだ。
――神々の時代は終わった。
それはお客様たちが感じていながら、決して口にしない言葉だった。
どのお客様もみんな理解している。
神々は人々の信仰の対象として存在していた。信仰がなくなれば、堕神としていずれ消える存在となっていく。その増加に危機感を覚える神様もいた。
しかし、神様の時代は終わったと断言するお客様は今までいなかった。
それは、自分たちの存在や軌跡を否定する行為だから。
「なるほど、あなたらしいですわね」
伊波礼毘古の言葉に天照は微笑みで返した。
蜜のように甘く絡めとるような魔性の笑みではない。
まるで、我が子を慈しむ母のような優しい瞳であった。
天照にとって天皇家は自分の子孫。それは創作であると後の研究家は結論づけているが、九十九にはそれこそが真実なのだと感じられた。
いや、天照はきっと、九十九にも同じ顔を見せる瞬間がある。そんな気がした。
天照の本質は太陽神。
人や土地に恵みを与え、豊かさを育む母なる輝きの女神。
天照にとって、統治者たる伊波礼毘古も、人民たる九十九も等しく同じである。
「本当に。これだから、人というものは愉しいのですわ……もっともっと、輝いてくださいまし」
九十九の考えを肯定するように、天照は二人に視線を向けて言った。
少女の見目でありながら、母親に褒められたようなこそばゆさがある。まるで、頭をなでられているような心地であった。
「ふふ。まあ、若女将。お飲みなさいな」
九十九がこそばゆい気分でいると、天照が再び手に持っていたビンと、紙コップを示す。
「お酒ではありませんから」
安心して、と天照は九十九の手にビンの中身を注いでくれた。
注がれた飲み物は淡いピンクで透き通っている。ほのかに香るのは、甘酸っぱくて濃厚な桃のような匂い。しかし、桃ではない。
「これ、山桃ですね」
「はい、山桃のジュースですわ。全国ツアーで高知へ行ったときに見つけまして、ついつい買い込んでしまったのです。もちろん、お酒もありましてよ。未成年などと硬いことは言わず」
「お酒は結構です。お仕事中ですから」
「まあ、残念」
てっきり、お酒だと思って警戒していたが、これなら飲めそうだ。九十九はありがたく頂戴することにする。
天照は満足して、ビンを抱えたまま他のお客様のもとへと歩いていく。
「ありがとうございます、伊波礼毘古様」
改めて、九十九は隣に立った伊波礼毘古に声をかけた。
伊波礼毘古は不思議そうに、九十九を黙って見あげている。
「人を信じてくださって」
今、人が豊かさを手に入れ、発展しているのは長い長い歴史を歩んできた成果だ。幾度となく失敗し、いや、今も失敗しながら進んでいる。
それは神々の恩寵を否定するものではない。けれども、自分たちが獲得した豊かさ故に、神々の根源たる信仰心が薄れているのも事実ではある。
それを驕っていると評する神もいた。
悲しいことだが、九十九は否定する言葉を持ちあわせていない。それも事実であると思える側面はたしかにある。
だがらこそ、伊波礼毘古が「信じる」と言ったことは嬉しかった。
人を信じてくれると、神である伊波礼毘古の口からきけたことが、九十九には嬉しいのだ。
まだ神様は人を見放さないでいてくれる。
共に歩んでいける存在なのだと、信じることができた。
「…………」
伊波礼毘古はなにも言わない。
なにも言わないままだが、きっと、笑ってくれている。そう信じて、九十九も微笑みを返した。
見あげると、まん丸の月も笑っているようだ。
ここにシロ様もいればいいのに。
そう思ったことだけは、九十九はずっと口にしなかった。




