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10.お客様のご期待に添えましょう




 愛媛県といえば、みかん。

 全国的なイメージは、そのようなところだろう。

 しかしながら、愛媛県は瀬戸内海に面した漁業の盛んな県でもある。マダイやブリ、ヒラメなど新鮮な魚を食べるのに苦労はしない。


「ここでしか味わえない日本って、なんだろう?」


 お客様――ゼウス神からの注文に、九十九は頭を悩ませる。

 客室から下げた膳には、空っぽの食器が並んでいた。どの料理も完食しており、不満など感じられない。実際、お客様からは文句も出ていなかった。


 けれども、お客様から「満足している」という言葉は聞いていない。

 新鮮な魚を使った海鮮料理も、温かいご飯とみそ汁の朝ごはんも、実に日本らしいだろう。今日は釜で炊いた鯛めしをメインにした和食の膳だった。日本への観光を目的に訪れたお客様のご期待に添えるものであることは、間違いない。


 でも、――。


「つーちゃんは、本当に真面目だね」


 厨房に入ると、優しい声をかけられる。

 ふんわりと香る出汁の匂い。上品な昆布の香りは優しく、九十九の好きな香りの一つだった。

 厨房に立った男性は、そのふんわりした香りを纏うに相応しいと言える。優しい笑顔で振り返り、九十九を迎え入れた。


「お父さん」


 九十九の父である、湯築幸一だ。

 母・登季子と結婚し、婿養子として嫁いできた父は、旅館の食事を支える立派な板前である。元々はフレンチのシェフをしていたが、湯築屋に迎えられるにあたって、和食へ転身した。

 登季子が動物アレルギーでなかったら、きっと許されなかった結婚。そして、九十九も生まれなかったのだと思うと、時折、感慨深くなる。


「つーちゃんは、本当にお客様が好きなんだね」


 幸一はふわりとした表情で笑い、厨房の奥を指さした。


「あー! 海鮮丼」


 用意された丼を見て、九十九は黄色い声を上げた。


 小ぶりの丼茶碗に盛られているのは、熱々の白いご飯。

 その上に乗せられていたのは、タレ漬けにした分厚いアジの刺身である。トッピングは刻んだ青ネギとミョウガ、そして、みかんの皮だ。


「ね、ね? (はな)アジ?」

「うん、そうだよ。お客様にお出ししたアジの残りを使った賄い飯。冷めないうちにお食べ」

「お父さん、ありがとう!」


 豊予海峡で育ったアジとサバは運動量が多く、身がプリッと引き締まっているのが特徴だ。大分県側で水揚げされると「(せき)アジ」、「関サバ」と呼ばれ、ブランドとして出荷される。一方、同じ豊予海峡のアジやサバが愛媛県側で水揚げされたものが「(はな)アジ」、「岬サバ」だ。

 水揚げされる場所で名前が変わるが、正直なところ違いはない。


 スプーンで丼を軽く混ぜると、ふわっと湯気があがる。

 ツヤツヤの白ご飯に、醤油ベースのタレが染み込んでいる。アジは切れ端だが身が厚く、脂が乗っているのが見てとれる。


「んー。おいしい!」


 口に含むと、ご飯の熱さと刺身の冷たさが絶妙にマッチする。

 アジは脂が乗っているが身が引き締まっており、いくら噛んでも飽きが来ない。ネギとミョウガと一緒に、みかんの爽やかな香りがスッと鼻に抜けていく。

 この甘苦いが爽やかな柑橘が最高なのだ。これが丼の味をいっそう引き立ててくれる。


「つーちゃんは、本当に美味しそうに食べてくれるから、いつも作り甲斐があるよ」

「そうかな? 美味しいものは、美味しいからしょうがないよ」

「そういうところ」

「美味しいものを、美味しく食べれるように調理してくれるお父さんと、それを考えた昔の人に感謝するだけ」

「料理は昔からあるものだけとも限らないよ。B級グルメとか、僕も結構感心させられる」

「焼き豚卵飯! 鯛出汁ラーメン!」

「うん。美味しいよね」


 土地を活かした美味しいものは、たくさんある。

 様々なブランドが開発されている柑橘類もそうだ。豚や鶏も美味しい地物が出回っている。


「この地は美味いものに溢れておる。特に油揚げは至高の逸品」


 海鮮丼をパクパク食べる九十九の隣で、涼しい声が聞こえた。

 いつの間に。

 ギョッとして振り返ると、シロが隣に座っている。


「シロ様、いつからいたんですか?」

「なにを。儂はいつでも、九十九と一緒だ」

「ストーカーみたいなこと言わないでください。というか、ストーカー!」

「照れずとも良い」


 シロは口にポイッと油揚げを放り込みながら、琥珀色の目を細めた。

 お稲荷様と言えば、油揚げ。

 シロも例に漏れず、油揚げを好物として酒のつまみにしていた。松山名産の「松山あげ」だ。サクッとした食感の後にフワッとした軽やかさが特徴で、普通はみそ汁や炊き込みご飯、鍋物などに用いられる。

 シロの場合はサクサクした素の触感を楽しんでいるが、松山あげが出汁を吸うと最高にジューシーでコクのある味わいになるのだ。


「やはり、これを味あわんことには、この地に来た意味はないというもの」

「いや、松山あげ美味しいですけど、別に必須級ってほどじゃないと思いますよ……」

「なに? こんなに、酒と合うのに!」

「お酒と合うかどうかは、わたしにはわからないですけど。そのまま食べても、大して味しないじゃないですか」

「九十九には、この天上の神々を地に降ろすほどの美食が理解出来ぬというのか」

「シロ様は別に天から降りてきてないですよね!?」

「例えだ」


 そんな言い合いをしていると、幸一が笑顔のまま一皿九十九の前に置く。

 今の間に、一品作ってしまったらしい。いつの間に。流石はプロの料理人。


「え、これって」

「そのままでも、結構美味しいよ」


 シロが食べているのと同じ松山あげが皿に乗っていた。ネギと生姜が上に乗り、少し焦げ目がついているので、火で炙ったのだと理解できる。

 そこに、幸一は柚子の皮を擦ってひとふり。ポン酢が入ったビンを横に置いてくれた。


「でも、油揚げ……だし?」


 九十九は疑心暗鬼になりながら、松山あげの炙りを睨む。これ自体に味はなく、本当は煮込み料理に使う。勿論、いなり寿司だってできる。

 けれども、擦りたての柚子の香りが食欲をそそり。


「あ……」


 口に入れた途端、九十九の顔が綻んだ。

 外はカリッカリッのパリッパリッ。中は油揚げらしく、じゅわっとジューシー。松山あげらしいサクッとした軽やかさが活かされて、なんとも言えない触感が味わえた。

 ポン酢をかけると、味をよく吸って、これまた美味。


 あー! たまんない!


 学校と旅館の仕事を終えた身体を癒すには充分であった。


「ほぅら。儂の言う通りであろう?」


 シロが勝ち誇った顔で、九十九を覗き込んだ。さり気なく、九十九の焼き松山あげを奪おうとしていたので、箸で指を弾き飛ばしてやった。


「で、でも、これ焼いてるし。シロ様みたいに、そのまま食べたりしてないし」

「負けず嫌いな九十九も愛らしい」

「うぅ」


 残りの丼を口に掻き込んで、九十九は表情を誤魔化した。

 まあ、美味しいものは美味しい。これは歪めようのない正義であり、真理だ。しょうがない。認めたくないが、完敗のようだった。


 ――ここでしか味わえない日本。


「あ」


 頭の上に、豆電球が灯ったような感覚。


「ねえ、シロ様。お出かけするから手伝ってください! あと、お父さん。明日のメニュー変更できますか!?」


 特になにも考えず、立ち上がりながら宣言した。

 我ながら、名案である。そう疑っていない九十九は、自分の発言によって大いに勘違いしたシロの尻尾が物凄い勢いでフリフリと振られていることに気がつかなかった。


「お出かけとは、九十九。それは所謂、デートというやつか!?」


 後に、シロは大いに落胆することとなる。





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