淡
「海って大きいんでしょう。 ワタシ、生きてる間に、海で思いっきり泳いでみたい。 海には、ワタシが知らない魚が沢山いるんでしょう? この前、アナタが持ってる図鑑を見てしまったの」
『でもキミは淡水魚なんだから、海に行ったら死んでしまうんだよ? それでも海に行きたいと言うのかい?』
「ええ。 ワタシは海の存在の可能性を知ってしまったの。 ワタシ以外にも沢山の魚がいるなんて、とても素晴らしいことでしょう? だから、ワタシは行きたいの。 どうすればワタシが死なないか、考えるのはアナタの役目」
『キミの意思が固いのはわかったよ。 ボクのところに、もう戻って来られないかもしれないけれど、それでも行くというのなら、ニンゲンたちがよく使う手を使おうか』
「わかってくれてありがとう。 それで、その手って、一体どんな手なのかしら?」
『キミは狭いところは嫌いかな?』
「そうね、好き、と、断言することは出来ないわね」
『じゃあ、キミにはここへ戻ってくるまで、ずっと我慢してもらわなければいけないね。 ボクが考えていた手っていうのはね、キミを、淡水を入れた瓶の中に閉じ込めて海へ流す、ということなんだ。 もちろんキミが嫌なら、ボクは無理には勧めない』
「へぇ、瓶の中で旅をするのね、面白そうじゃない。 それで海についても、生きていられるのね」
『ああ、すぐに死ぬことはないだろうね。 ただ、水の中の酸素がなくなってしまえば、遅かれ早かれ死ぬだろうけど』
「わかったわ」
『じゃあ、ここで一旦お別れだ』
「寂しいかしら?」
『そんなことないさ。 帰ってきたらどんな魚がいたのか教えておくれ』
ボクは、本当は行ってほしくなかった。今までずっと一緒に暮らしてきたのに、ボクをひとりにするなんて。
いつからだろう、魚の言葉がわかるようになってしまったのは。きっとずっと一緒に居たから、知らないうちにわかるようになったんだろう。
そんなことを考えながら、ボクの一番の親友を、彼女が生きるのには狭すぎる瓶にとじ込めた。
数時間かけて一番近い海に着いた。
「ねえ、ここが海なの? 話に聞くよりも大きいのね」
彼女は目を輝かせてそう言っているけれど、彼女と別れるのは凄く寂しかった。ボクの家にはボクと彼女しか居なかったから。
『それじゃあ、気をつけて』
「ありがとう、楽しんでくる」
これが、ボクとキミで交わした、最後の会話だった。