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005
家に帰ってからはジークの口数は少なかった。父さんは魔術を使った修理屋を営んでいるが、滅多に母さんが帰らないため家事のほとんどは父さんが賄っていた。
父さんと食卓を共にして、学校のことを聞かれるのは辛かった。でも父さんを蔑ろにしたくはないから学校でのことは包み隠さず話す。
「甚六」
父さんと母さんは大事なことを言うとき名前を呼ぶのだ。
「明日のことだけど…きつかったらやめていいんだぞ」
ただ心配から出た言葉であっただろう、だがそれゆえに心の最奥に響いて止まなかった
夕食を終え、風呂に入り、自室にて窓を開けて風を受けていた。部屋の明かりは点けていないため月が映えていた。
まるで今まで彼と話していたのは全て幻だったかのようにジークは喋らなかった。
「なあ、ジーク」
起動魔術として意識しなければ魔術は発動しない。ただ彼の名を呼びたかったのだ。そして返事が欲しかったのだろう。この一日だけではあったが、彼との会話はいやではなかった。だから、このひと時が本物である証拠が欲しかったのかもしれない。
『んん、どうした?』
少し間をおいてジークは眠たげな声で応えた。
「なんだ、寝てたのか」
少しホッとしている自分がいた。彼が先ほどの問答で自分に怒っていたら、失望していたら、そんな不安が少なからずあった。外側からのそういった感情は耐えきれる、だが内側からまでそう思われればきっと耐えきれない、そう自分の心は知っていたのだろう。
『そういえばお前さんのおやじが言っていた明日のこととはなんなんだ?』
窓枠から降り、ベッドに横たわる。
「月島学園の実戦試験だ」
『ほう』
「一対一で生徒同士が戦う」
『ほうほう相手はあの風間とか言うやつか』
「そう、ドべと一位、ドベ2と二位、って言った組み合わせになるんだ」
『厳しい戦いになりそうだな』
厳しい、と表現するジークに苦笑した。その表現は違っている。正しくは無理だ。
「例年通りなら半分も残らずに学園を去るんだ」
『厳しいな』
「他の魔術高校へ回されるんだ、まだいい方さ」
「でも、この高校を出なきゃ俺が憧れた場所には届かない」
明かりの点いていない天井に手を伸ばす。母親は世界を護る魔術師である。それは天井の如くこの手では触れがたいものだった。
「明日だ、明日俺は」
窓の外の月を見上げ、己のうちに語りかける。
「明日俺は、魔術師をやめる」
今度は泣かないと決めていた。だが、目頭が熱くなるのを感じた。
『甚六よ、名前を呼んでくれ』
「ダメだ、父さんに気づかれたらことだ」
そう言い、寝返りを打つ、そのまま寝てしまおうとも考えた。
「もう、考えたくない・・・・周りと比べてたら惨めになるだけだ。もううんざりだよ」
電気のない部屋の暗闇を見つめる。そうしていればそのうち寝れるだろう。
ジークは喋らない、だが、さっきの寝てたというときよりも存在を強く感じる、まるでそこにいるかのように。
『走れば間に合うといったのは嘘じゃない』
ジークの呟きに閉じかけていた目が開いた。それは学校でのジークの何気ない一言であった。
「-----ジーク」
起動魔術として唱えたつもりはなかった、だが、魔術の才の未熟ゆえかジークは現界した。部屋に風が舞い込み、背中越しにジークの存在を感じれた。
『諦めていると言うなら何故あのとき熱くなった』
それは降魔の階での風間との会話を思い起こさせた。
『お前の中にいるのだ、胸中ぐらい察せる』
「あれはただ、あいつに恥をかかされて熱くなっただけだよ」
振り向かず、起き上がらず、ジークと顔を合わせずに話す。
『違う、断じて違う』
強い言葉、そう思った。選んだ言葉が強いということではない、発したジークの意志が強いと感じた。それをまたうらやましいとも感じた。
『あの熱は紛れもなく、怒りだ』
カッとあのときの熱が戻った、耐えきれず飛び起き、ジークの方へと向き直る。それと同時にジークは帯びた刀を逆手に抜き、あのときのように二人の間にかざした。
刃は目前であり、そこには自分の顔が半面のみ写っていた、そしてそこから継ぎ足すように見えるのは病的に白い肌をしているのに強い力を感じさせる顔をした、総髪の男であった。
「・・・・・悔しいよ!バカにされることも、努力が実らなかったことも、それに心が折れて足が止まってしまったことも!」
『・・・・俺もだ、主人を莫迦にされて怒らないはずがない、同じだ』
「・・・・・・!!」
堪えていたものが堰を切るのを感じた、膝を抱え、そこに顔をうずめた。
だが、熱いものは止まらなかった。頬を伝う涙もそうであったが、それ以上に心臓が熱い。それは火のようであった、揺らめき揺蕩うそれが今までの屈辱を思い起こさせた。
拳を痛いほど握った。
爪が肌に食い込み血がにじんでいた。
口の中で目いっぱい歯を噛み締めた。
嗚咽のように言葉が出た。
「まだ、捨てきれないんだ」
そう、捨てれるはずがなかった。幼いときに見た光景を思いだす。母が世界中で戦っていることをニュースで知る、家に母への感謝を伝えにくる人たちがいた。誇らしかった。たまに母が帰るといくつもの冒険譚を聞いた、夢のような物語に心が躍っていた。
そのときから、そのときから胸に灯った夢の灯は一度だって消えてはいなかった。
頬が熱かった。
心臓が熱かった。
拳が熱かった。
「俺は母さんみたいな魔術師のなりたいんだ」
心が熱かった。窓の外の月が映えていた。
消えかけていた、冷めていた、その灯に再び熱を入れたのは紛れもなく。
『刃はここにある』
その言葉に火はより強く燃え上がり、熱はさらに高まっていた。
「俺と、一緒に戦ってくれるか」
ジークの言葉が表情が眩しすぎて顔を伏せ、そう言った。
ジークは返事を言葉にせず、ただ自分の肩に手を置いてくれた。その手は確かに存在し、血の通う、熱をもつ生き物であった。
そして、月下の魔術師の産声を聞くものはジークだけではなかった。井藤甚六の中に佇む彼女もまた。
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