①-4
004
月島学園2年生徒全員が契約を終え、生徒たちはすぐに帰された。浮かれる者もいくらかはいたが、まだ緊張感を残す生徒がほとんどであった。
それは翌日の行事が関係しているのだが。
『遅くないか?もっと飛ばせるだろう?』
今日知り合ったばかりの使い魔に野次を飛ばされ、自転車のペダルに力を込める。
背負ったリュックは軽く、自転車の調子もよかったが、身体はどろりとした疲労感に包まれていた。魔力が少ないというのに二回も契約魔術を使ったのが原因であった。
初夏の暑さもあり、額には玉のような汗が浮かぶ。
自転車は学校を出て、丘を一つ越え、道がなだらかになったところでY字路に差し掛かった。右に行けば自宅へ向かえるが自分はハンドルを切り、左に曲がった。
Y字路の左道、そこには人気のない森林があり、アスファルトとむき出しの土の境目に自転車を止め、森に入った。
藪と小虫をかき分け、見えてくるのは岩肌の山であった。急こう配で登ることもできないこちら側には人気は全くない。
『なんだ?甚六の家はこんな森ん中なのかぁ?』
ジークの軽口を無視し、辺りを見渡す。
自分は気になることはすぐにでも解決したい性質である。自覚はあるが歯止めは効かないこの性質はときに厄介でもあると思う。
心臓から血潮が湧き上がってくるイメージ。
「-------リリィ」
なるべく平静を装って、そう唱えた。体内の魔力が削られ、それを対価に自分の体中から光の粒が現れ、そして少女が形を成した。
「------------」
降魔の階の最奥で見たときと寸分変わらない、金髪の少女が現れる。その表情は契約を終えたときと同様、諦観の意を感じるものだった。
『おいおいおい、生徒がかってに魔術使っていいのか?』
「だからこんなところまで来たんだろ?」
自分の返答にジークの漏れた笑い声が聞こえた。
何故彼女の目に宿る感情が諦観だとわかるのか、それは一重に自分の目とそっくりであったからだ。
「君に声が聞こえている前提で話す」
壁と形容されたその学友たちとの隔たりを前にして自分が感じた感情、それは目に宿っていたと思う。その表情が綾部を心配させ、古海を呆れさせたと思う。
そして、そういった顔持ちはたっぷり一年間見てきた。自分の顔を見ずに生活するなんてのは不可能だからだ。だからすぐに彼女の表情は諦観を表しているのだと理解できた。
「主従関係を強要する気はない、だから嫌なら言葉にするかそれか首を振るかして伝えてくれ、そうすればすぐに契約は解除する」
努めて優しくそう告げるが、少女はなんの反応も示さなかった。
聞こえてない、そう思えた。
『ふむ』
ジークの唸りとともに起動魔術を解こうとする。しかし、それよりも前にリリィは片腕を上げた。その掌は自分の方に向いていた。
そして、その掌に魔力が集まっていくが見えた。
「……!!!」
それは人間が扱える魔力を超えた大きな力、それが形を成し、輝かしいうねりとなり放たれた。
形容するのなら小さな稲妻であった。手から放たれたそれは甚六の頬を掠め、その後ろの木を穿った。
「起動魔術…!」
そう、これもまた起動魔術であった。名を呼び、召喚すること、そして召喚されし使い魔が扱う魔術の中で最も弱い力、それを主人の詠唱なしで使えることも起動魔術と呼ぶのだ。
使い魔は扱える魔術系統というものがある。それは多様であり、戦闘に用いるもの、医療に用いるもの、また生活を支えるものもある。そして、使い魔の魔術は主人である魔術の力量に応じて呪文を主人に捧げ、魔術は派生し、強くなっていくのだ。
そして、今リリィが見せたその魔術系統は電気、その威力は樹木の表皮を焦し、削るほどであった。
が、そんなことはどうでもよかった。起動魔術は呪文なしで使えるものではあるが、それでも魔術師側が意図したときでないと使えないのが常である。それを勝手に発動し、さらには自分に向けて撃ってきたというのは。
頬から香る焦げ臭い香りに戦慄し、すぐさまリリィの召喚を解いた。
『平気か?』
「…なんとかな、思っていた以上に俺には才能がないらしい」
そう言い、笑おうとしたが、緊張からか笑うことは叶わなかった。
しばらく小岩に腰掛け、気持ちを落ち着かせていた。さきほどのリリィの行動は少なからずショックはあった。
使い魔は魔術師の意志の強さで御すもの。それが出来ていないということは、それがどういうことかじくじくと感じられた。幼いころ夢見た魔術師という職業、そこへ向かおうとする意志がもう尽きていることが今証明されたのだ。
「 」
ふいに学校であった様々なことが思い起こされた。夢を目指し努力したこと、夢に届かないと知って涙したこと、その悔しさが薄れ諦めがついたこと、侮蔑や嘲笑に鈍感になっていったこと。
夕暮れが訪れる。暖かい橙が眼球を差す。そのせいか流れる涙は止めらることはなかった。
『甚六、なぜ泣く』
「諦めがついたからだ」
ジークの問いにそれだけ答えると、ジークは次の言葉を待っているようだった。
それを口に出すことは。
「俺は魔術師になれない」
それを口に出すことは想像していたよりもずっと。
『甚六』
名前を呼ばれた。
『俺の名前を呼んでくれないか?』
少し迷った、だが、迷う必要もないと気づき、名前を呼ぶ。
「ジーク」
体内の魔力が抜けていくを感じた。そして、目の前に着流しの黒斑の羽織を着た白総髪の大男が現れる。
『こうして面と向き合うのは今朝ぶりだな』
蒼白なのに精気に溢れた顔、それは堂と構えられた気配であり、表情であり、立ち仕草が彼をそう見せるのだろう。しかし理由はそれだけではない。
「……お前」
『うむ、どうやらそうらしいな』
そう言い、ジークは自分の体を改めていた。ジークからは使い魔が召喚され、現界しているときに発する光が全くなかった、それこそまるでそこにいるように。
『実体化、どうやら俺の起動魔術はそれらしいな、これはいいぞ自分で戦えるってのはわかりやすくていい』
ジークはそう言い、愉快そうに笑った。
「頼むから俺を襲わないでくれよ」
冗談交じりにそう言う。こういうときは話せることに感謝した。実体化した意思疎通のできない自分より強い使い魔など恐怖の存在でしかないのだから。
実際自分の冗談をジークは笑って了承してくれた。
しばらくジークが実体化した自分の体の動きを確かめていると、ふいに口を開いた。
『甚六よ、本当に諦めるのか?』
「……」
ジークの言葉がやけに大きく聞こえた。返事はしなかった。ジークはそれを見て、林の方へ歩いて行った。
『俺を見ていてくれ』
ジークはそう言い、腰を落とした。羽織が風に煽られ、腰に帯びた大太刀に手が伸びた。そして風の止んだその一瞬ジークは追い切れない速度で刀を引き抜き、横に薙いだ。
流水の如く刃は鞘に戻り、ジークの前にあった3本の樹木は音を立てて倒れた。
倒木の激しい音で森にいた鳥たちが羽ばたいていった。
『甚六よ、刃はここにあるぞ』
服を正し、こちらへ歩み寄ってくる。小岩に腰掛けている自分はジークを見上げると丁度空が映る。鮮明な夕日にジークの白髪が染まる。
それに見とれている隙にジークが再び刃を鞘から解き放った。そのまま斬りつけられると思った。その音を聞いて自分は死ぬのかもと思った。
「……」
目を瞑ってしまっていた。恐る恐る目を開けると大きな刃は自分の目前で地面に突き立てられていた。刃は水に濡れているように美しく、穢れ一つなかった。
『諦めた奴がそんな顔をするのか?』
刃に自分の顔が写っていた。母ゆずりと真っ黒な髪の毛が目にかかりそうであった。その目から涙の跡が続いていた。あまり感情を感じないと言われてきた表情である、口元は一文字に結ばれている。その表情はどうであろう。その刃にどう写っていたのだろう。
「帰ろう、父さんが心配する」
起動魔術を解き、ジークを光球へと還す。ジークはその状態でも喋れたが彼はなにも語らなかった。
立てかけていある自転車に速足で乗り込む。感情をぶつけるようにペダルを漕いだ。
「……」
その表情はどうであろう。その刃にどう写ったのだろう。
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