③-9
037
WWUは魔術的均衡を保つ組織である。そしてWWUが管理・監視しなくてはならない魔術的存在がある。
一つ、魔体の所持者。二つ、魔具の所持者。三つ、魔女及びその工房。四つ、指定使い魔と呼ばれる巨大もしくは特異な力を持つ使い魔。
それらは強大な力を持つがためWWUに管理・監視されなければならない。その情報はWWUで最優先で処理される。
「……」
早矢子は資料に目を通し、リコイルが持ってきたコーヒーを一息に飲み干した。
「じゃあみんな逝ってくる」
そう言い、フラフラの足取りで情報部を後にした。その背中に心配や畏怖の視線を受けながら。
「あの人いつ寝てるんだ?」「俺は三徹したが一回も仮眠室行ってないぞ」「ウソ!?私あんたが来るまでずっとあの人と働いていたけど!?」
情報部の職員たちのざわめきを聞き、リコイルは肩をすくめた。
「敵わないね」
リコイルはそう言いながら、自室へと歩を進めた。
早矢子が煌びやかなWWUのオフィスを行く。行先は上であるが通常のエレベーターとは反対方向に進む。
向かう先は契約魔術師、白頭巾が二人体制で構えるもう一つのエレベーター。早矢子が近づくとすぐさま白頭巾が要件を確認する。
そのエレベーターは一階と最上階のみを繋ぐものである。そして最上階とはWWU最高術者代行の執務室である。
早矢子は白頭巾と2,3の質疑を終え、エレベーターの前に通された。
「ああ、同乗者がいます」
白頭巾の言葉に早矢子は少し面食らった。最上階の執務室。そこに行く人間は限られてる。誰が…と思うや否。
「ハーコ、お久」
早矢子の視界に女性が現れた。紺のスーツに身を包み、その胸元にはしかとウィッチャーの証、両翼のバッジがあった。
やや高めの身長と日系ながら彫りの深い顔、そしてその全身から醸される自信や覇気というものが目に見えるほどの雰囲気。
「あ…」
早矢子は声を出し損ねた。それは疲労のせいではなく自分の憧れの存在が急に目の前に現れたからである。
そう、彼女はスーリア紛争終戦の立役者。WWUの有するウィッチャーの一人。
「奈桐先輩!」
井藤奈桐であった。早矢子は奈桐に飛びついた。身長差もあり、早矢子の顔は奈桐の豊満な胸に埋まっていた。
「先輩、ちょー会いたかったです!」
「またちょっと痩せたんじゃない?少しは食べて寝なよ」
「じゃあ今度ランチ行きましょう!」
「良いけどさ」
早矢子のテンションの変動に白頭巾は少し動揺しながらも、二人をエレベーターに促した。
二人がエレベーターに乗り、それが静かに動き出した。
「もう仕事復帰ですか!?」
「うん、精密検査は良好だったからね、補佐の二人はまだベッドの上だけど」
「無駄に健康な我が身が恨めしいわぁ」
「それにしても休みは貰わないといけないですよ」
「…ハーコがそれ言うか」
「そりゃ現場と事務では全く話が違いますよ、現場の人間はいつも最高のパフォーマンスを発揮しないと…」
早矢子の話に熱が入り始め、奈桐はそれを見て、微笑んだ。そして、僅かな振動ののち扉が開いた。
その先には短い廊下があり、突き当たりには両開きの扉がある。奈桐はそれを軽くノックすると返事も待たずに中に入った。
早矢子も恐る恐るそれに続いて執務室に入る。部屋の様相は豪華、という感じではなかった。必要最低限のものがあるだけ、趣向としては木製の家具が多いことぐらいであった。
落ち着いた部屋の雰囲気それに見合った男が鎮座していた。ブロンドの男であった。スーツを身にまとっているが、それでも筋肉質なのが見て取れた。深い彫りと青い目。それが奈桐と早矢子に向けられた。
「お疲れ様です、魔術局長代行」
奈桐と早矢子は姿勢を正した。軍隊ではないが故敬礼はないが、それでも敬意は払う、それに値する人間であるからだ。
そして、大総統代行と呼ばれた人間、ウィル・グレイラッドは首肯でそれに応える。
「奈桐、スーリアの一件ご苦労だった」
ウィルの言葉はただの労りの言葉であった。ただそれだけ、しかし、奈桐はふいに思い出してしまった。
強風が止まない枯れた土地、砂埃が肌に纏わりつく感覚、耳に障る泣き声。すえた臭いが今もリアルに鼻孔を通ったような気がした。今もまだ心がそこにあるかのように思えた。
悲劇が飽和していた。泣き叫ぶ声が耳にこびり付いていた。戦火が、銃撃が、粉塵が、爆撃が、魔術が、全てが人を追いやっていた。
悲劇が飽和していた。人の意志が統一され、悲しみだけが積み上げられた。それは奇跡的なまでに大きなエネルギーであった。
「…いえ、あれはウィッチャーがいかなければならないものでした」
奈桐の返答をウィルはジッと見つめていた。その返答の間、そこに奈桐の毒とも呼ぶべき感情の蓄積限界を感じていた。
「…だろうな、まあここに呼び出したのもお前の無事を確かめるためだけだ、報告書のことについてはもう思い出す必要はない」
「暫く休暇を出す、好きに休め」
「はい、ありがたいです」
「それで月島の方は何用だ?」
ウィルが早矢子の方に視線を向け、早矢子もそれに応え、手元の資料を渡した。ウィルの顔色が徐々に強張っていった。そして、こめかみに指を当てて早矢子と目を合わせた。
早矢子もまたウィルと同じく渋い表情であった。
「血筋という因縁はやはり根深いな…」
「…なんですか?」
ウィルの視線を感じ、奈桐がそう言った。
「君が決めていい、休暇か、それとも仕事か、だ」
はてな顔の奈桐にウィルは資料を見せた。そして、早矢子とウィルとは逆に奈桐の顔はどんどんと喜びの表情に変わっていった。
「…血筋とか、そういうんじゃないですよ」
奈桐は微笑み、資料をデスクに置いた。
「まあ休暇は返上します、向こうでの仕事を片したら、そのまま休ませてもらいたいですけど」
「じゃあ今日出発しますね、すぐに補佐を選出します」
奈桐はそう言って、すぐにでも部屋を飛び出しそうな顔をしていた。先ほどとよりも精気の溢れた顔つきをしていた。
「…それはいいが、嬉しそうだな」
「はい!」
奈桐は踵を返し、扉を開けた。
「私、家族大好きですから!」




