③-4
031
「俺は悪に染まる覚悟をした……!」
早朝の桐島宅、甚六は勝手に覚悟を決めていた。
「テストデータを手に入れてみせる…!」
甚六がグッと拳を握った、そしてそんな様子を桐島は。
「アンタ、本気で言ってんの?」
そんな甚六を桐島は。
「本気中の本気だ」
桐島はワクワクを押さえられない顔で見ていた。
桐島涼香は魔術家系であった、貞淑な母に厳しく躾けられてきた。その反動で彼女は冒険だとか、悪巧みだとか、そういったワンパク溢れる行事に憧れを抱いていた。
「し、仕方ないわね、私も手伝えることがあったら手を貸してあげるわ」
桐島は完全に好奇心に支配されていた。そして、ウィッチャーを目指し、純粋に努力を重ねてきた少年、甚六は、悪辣な表情で野望を燃やしていた。
土日が消化された、月島学園の生徒たちはみなこの土日を勉学に費やしたであろう、甚六もまた例外でない。彼もまたほとんどの時間を勉強に注いだ。しかし、情熱という観点で見るのであれば甚六は勉学よりもその隙間時間に練っていたある計画の方に熱を入れていたであろう。
そして、月曜日。甚六が教室に入ると、クラスメイトたちは全員集まっていた。勉強会というイベントがあったからか、クラスの雰囲気は和やかであった。
しかし、甚六はそんな中、神妙な面持ちで集団の中へ歩いていく。そして桐島はそれに気づくと、甚六と同じ表情になった。
「……おはよ、甚六くん」
「ああ」
ダンジとの挨拶もほどほどに甚六と桐島は目と目で通じ合った。桐島がスッと立ち上がると、二人は何も言わずに出て行った。
「…どうしたんだろう?」
その様子を見ていた綾部がそう言った。
「んん、なんか僕らの想像したみたいなことではない気がするけど」
ダンジが意外に的を得たことを言い、そしてその場の人間もそれに妙に納得していた。
結局二人は始業開始のチャイムギリギリで戻ってきていた。そして、二人はまるでスパイのように口を開かなかった。実際二人はスパイ気分で一杯であった。
恐ろしいほど静かに時は流れ、放課後。学友との談笑もほどほどに二人は教室を後にした。
「風間くん、どう思う?」
「見れば分かるだろ、あれはしょうもないことを考えてる顔だろ」
風間はそう言って、帰り支度を始めた。
「他人のことを気にしているとお前らも足元を掬われるぞ」
風間の言葉に綾部とダンジはハッとした。そう、彼らもまたテストを涼しい顔で受けれるほど勉強をしてないのだ。
二人は風間に習い、帰り支度を始めた。
そして、しょうもないことを考えている二人はというと。
「首尾はどうだ…?」
「任せて、抜かりないわ」
ノリノリで校内を歩いていた。そして、その対面から古海がやってきた。二人は緊張を億尾にも出さず澄ました顔を保つ。
「……」
古海は二人を見ながら、首を傾けた。それもそのはずつい最近までいがみ合っていた二人が並んで歩いているのだから。
しかし、そんな事情を知らない桐島は強面の古海から凝視の視線を受け、癖になりつつあるテンパりが始まっていた。
「あ、あの古海先生!」
「…ん、どうした?」
「きょ、今日は戸締りの当番ですよね!頑張ってください!」
「…ああ、ありがとう」
「………………………」
桐島の発言に古海は困惑気味に答え、甚六は桐島の頭をはたかないようんい我慢するので精一杯であった。
古海は少し眉をひそめながらその場を去った。そして、それと同時に。
「バッカ……」
「しょ、しょうがないでしょ!?」
二人の不毛な争いが始まった。
「結局確認できたんだからいいでしょ!?」
「死ぬほど怪しいだろう!!」
「古海気づいてなかったし、いいでしょ!?」
「………そうだな、争っている場合じゃないな、悪かった」
「…私も悪かったわ」
二人は固い握手を交わしていた。共通の目標を持つ者同士のシンパシーであった。
そして、二人はバッグを背負い直すと校舎を後にした。
といっても甚六は家に帰る訳ではない、まだやるべきことが残っているのだ。職員室内の古海教員のPC、そこに眠るテストデータを手に入れるという使命があるのだ。
しかし、それには大きな障害が残っている。それは職員室に常在する教師たちである。彼らは最低でも一人は職員室にいる。そして、その監視の目を逃れ、テストデータを手に入れることは難しい。
ならば、どうするか。答えは“待つ”である。そう、生徒が去り、用務員が去り、校内に人影が見られなくなる時間、夜を待つ。そうするとどうだろう、戸締りの教師を残し、校舎には一人だけの時間が出来る。
そして、古海が学校の戸締りを点検しに、校舎を回るその時、職員室は無人となる。その隙を突く。学校に忍び込み、PCを探る。そういった作戦であった。
勿論、まだ問題はある、戸締りをするのは完全下校時刻の後、学外への門には監視カメラと守衛が見張っている、外へ逃げることは不可。
だが、寮内、寮から学校への道のりには監視は存在しない。だからこそ。
甚六は家に帰らずに再び桐島の部屋を訪れていた。そして、そこに先日のような初々しさも動揺もなく、二人は来る時までの時間を勉強に注いでいた。
そして、ついに時は来た。時刻は8時半を回っていた。そして、戸締りを開始するのが9時からであった。
甚六と桐島は何も言わずに立ち上がる。甚六はバッグから黒のズボンとパーカーを取り出し、すぐさま着替え始める。
桐島は窓を開け、外の様子を確かめ、振り返った。そこには黒ずくめで頷く甚六の姿があった。桐島も応ずるように頷いた。二人は窓外にある雨どいを通じて音もなく外へ脱出した。
全て計画通りであった。が。
「誰かいますの!?」
よく通る、凛とした声が二人を貫いた。二人は咄嗟に茂みの中に飛び込んだが、声の主とおそらくその連れ一人がこちらに歩いてくる音が聞こえた。
(だ、誰だ!?)
(たぶん、ここの戸締りを任されている、3年の、汐宮先輩よ)
二人分の足音が二人が隠れる茂みの前で止まった。草木の隙間から二人の顔が見えた。
一人は金の絹のような長髪をウェーブさせている少女であった、身長は高いとは言えないが、厳格そうなその表情からか、小さくは見えなかった。
そして、その少女の後ろに従者のように付いているが、長身の黒髪、目元まで髪で隠れており、その表情は読めないが、一本真の通った立ち姿からその性格が想像できた。
(許してくれそうな顔ではないな)
(………汐宮先輩も工藤先輩も洒落は通用しないわよ…!)
汐宮と呼ばれた金髪の少女は茂みの前で仁王立ちしていた。そして。
「…私の気のせいかしら?」
そう言い、茂みに手を伸ばそうとする、しかしそれを工藤と呼ばれた少女が止める。
「私がやりますので」
工藤の髪の隙間から、鋭い眼光が見えた、そして甚六はそれと目があった気がした。甚六が一か八か、茂みから全力疾走で抜け出そうとした瞬間、甚六の横の少女が茂みから飛び出した。
「キャッ!!」
いきなり、茂みからオレンジ頭の人間が登場し、汐宮は一歩飛びき、工藤は何やら憲法のような構えを取った。
が、汐宮は人物の正体が桐島だとわかると、一つ咳払いをして平静に戻った。
「…桐島さん」
「こ、こんばんは」
「はい、こんばんは」
桐島は軍隊さながらの姿勢で汐宮と対峙していた。そして、その姿を甚六は茂みから見て、昼間とのデジャブを感じていた。
「何をしてらっしゃったの?」
「…………む、虫を」
「虫?」
「はい、私は虫が大好きなので、虫を探していました!」
「…道具などはお持ちにならなくて?」
「はい!虫取りの醍醐味は手づかみなので!」
「そ、そうですか」
「先輩方も一緒にどうですか!?」
桐島の珍妙な返答に汐宮は一歩下がった、工藤は下がらずに無表情であったが、少しだけ頬がヒクついていた。
「桐島さん?今はもう校内を歩いていい時間ではなくてよ」
「………虫取りに夢中で時間を忘れていました」
「そ、そう、今回は見逃しますけど、門限というものは蔑ろにするものではありませんよ」
「はい!!」
そう言うと、汐宮と工藤は桐島を連れて、寮に戻って行った。その道中も桐島は怪しまれないように虫の話題を振り、先輩二人を瞠目させていた。
「………」
人の気配が消えたのを確認し、甚六は茂みから出た。そして慎重かつ迅速に校舎に向かう。その目には涙があった。
その涙は、桐島が先輩から“虫を手づかみで捕らえる女”と思われてまで自分を守ってくれたという事実からくるものであった。
「お前の死は無駄にはしない…」
甚六は涙を拭って、それでも進んだ、友の犠牲に意味を見出すために。
『待て、甚六!』
しばらくの間、主人が馬鹿なことをしているなぁと思い、静観を決め込んでいたジークが、言葉を発した。校舎を目の前にした甚六は足を止めた。
『誰かいるぞ』
「…誰だ?」
『わからん、だが向こうも気づいているぞ』
甚六が身を隠す間もなく、その人物が校舎から現れた。甚六はフードを深くかぶり、顔を見られないようにした。
「…誰!?」
強く張りのある声であった。声の主は女学生のようで制服を着ていた。が。
(………誰だ?)
甚六はその少女、黒長髪の少女が誰かわからなかった。それもそのはず、その少女の纏う学生服は月島学園のものではないのだから。




