②-9
更新が遅れて申し訳ないです。
019
鍛錬場の受付を済ませ、フェンスに囲まれた鍛錬場の入り口前に立つ。フェンスそのものにはなんら仕掛けはなく外からも目視できる。しかし。
「若草の妖精」
隣にいる教員、若く、端正な顔立ちと穏やかな性格から生徒からの信頼の篤い笹島教員による魔術でそれは一変する。笹島の起動魔術によって呼び出された使い魔“若草の妖精” その姿は草木を身にまとう少女のような姿であり、ゆらめく長い髪はよく見ればその一本一本が蔓であった。そして、この笹島教員の使い魔によってこの鍛錬場は機能している。
「------------------------覆う大深緑」
呪文とともに使い魔は両手をかざす。一拍の間ののち、地面から巨大な木の根たちが湧き出た。それは意志を持つように蠢き、フェンスに絡みつき、そして瞬く間にフェンス全体を覆った。それはただの樹木ではなく、魔力的防護を施された堅牢な自然要塞であった。この中でいくら魔術を使おうとも周りに影響を及ばさず、そして周りからも秘匿できる。この強力な魔術こそ天下の月島学園の教員である証であった。
「最近頑張っているようだね」
すぐに鍛錬場に入ろうとすると、笹島から声を掛けられた。眼鏡の奥の穏和な瞳と目が合う。明るい髪色をしているが、その穏やかな目や表情がそれを派手に見せないのだろう。
「桐島くんと実戦訓練をするんだってね」
「…はい」
「…君には以前失礼なことを言ったね、あれは訂正するよ」
「ただ一つ約束してほしい、風間くんとの戦いのような自分の命を顧みない戦いはもうしないと」
笹島教員の目は真剣であった、その温厚な顔に険を寄せたその表情に少し気圧された。
「分かってます」
「うん、まだ前途ある君には目の前の勝敗ではなく次に繋がる可能性を選んでもらいたいんだ、だから逸らずに鍛錬を続けてほしい」
「………はい」
魔術鍛錬開始から二十分ほど経過した、リリィを召喚し、リリィの呪文を総ざらいで発動し、その性能と精度を確かめ終えた。空中にはまだ電撃の余力が残り、微かにスパークが見える。
「よし」
リリィとの契約からいくらか経ったが、呪文の一つ一つがかなり熟達されてきたのを感じた。しかし、それと同時に呪文の獲得速度が遅いこともわずかに感じていたが。
『よし、俺の番だな』
脳内にジークの声が響く、その声は嬉々としており、それを隠そうとしてはいなかった。
「そうだな、ジーク」
名を呼ぶ、それがそのまま起動魔術となり、ジークが目の前に現れる、リリィよりも確かに現界する、起動魔術“実体化”によるものであった。ジークは地に足を着けており、リリィは漂うように中空に浮いている。そしてその顔は不満げであった。
『さて、なにからやろうか?』
リリィとは対照的に機嫌のよさそうなジークはその白い総髪を結び直し、剣を引き抜いた。基本的に鍛錬はこんな様相であった。リリィが仏調面をしながらも付き合い、そしてジークは明らかに訓練を楽しんでいた。
「魔力が尽きる前にあれを撃っておこう」
ジークからの質問にそう答える。
『ああ、あれか』
あれとは、先ほど新たに手に入れた呪文のことであった。呪文の獲得は手に入れた瞬間にその効能を知ることが出来る、しかし、その知るということは魔術師にとっての魔術知覚によって知るということなのである。そして、甚六は魔術知覚が鋭いとは言い難かった、それゆえ呪文の効能もおぼろげにしか知ることができなかったのだ。
つまり、撃つことによって初めて知るのだ。
「…いいか」
『いいぞ、いつでもだ』
ジークに確認を取る声が少し硬かったように感じた。じっとりとした不安があった、拙い魔術知覚で見た新たな呪文、その概要。それは他の呪文とは一線を画していた。
新たな呪文は撃つことによって初めて知ることができる。
「-------------------」
鍛錬場の外、受付の中で笹島は読書をしていた、現在使われている鍛錬場は二つであり、その両方を植物の魔術で覆っている、その消費魔力は多いものであるが、笹島は気にせずにコーヒーを啜り、読書に勤しんでいた。
“ズン”と巨大で重々しい音を聞くまでは。
「………!!?」
音ともにコーヒーカップが浮かび上がり、数滴の黒いしずくが跳ね上がった。それと同時に“若草の妖精”が展開した“覆う大深緑”が決壊するのを感じた。
笹島は弾けるように受付から飛び出した、そしてすぐに轟音の原因を理解した。第一フェンス、生徒である井藤甚六が鍛錬をしている場所、本来であれば鬱蒼とした巨大な樹木に覆われている箇所には、巨大な風穴が出来ていた。それは樹木とフェンスを突き破り、魔力の残滓を残していた。
「…馬鹿な」
まさしく馬鹿な、という思いであった。自分の出した“覆う大深緑”魔術師として駆け出しの生徒が破れるものではない。ならば、何故?
「まずいぞ」
何故、その答えは代償であった。実力以上の魔術、それを撃つことは不可能ではない。呪文の中には存在するのだ。分不相応であっても実力を補う代償を払えば撃てるものが。
それゆえの笹島の動揺であった、代償を払う、それは能力が足りなければ足りないほどに代償は重くなる。
生徒である甚六が教員の魔術を破る、それは代償が危険な域に達している可能性を大いに秘めていた。
すぐさま“覆う大深緑”を解き、鍛錬場の中に突入する。粉塵立ち込めるその中で目を凝らし、甚六を探す。
「…探る緑化」
笹島の詠唱により、鍛錬場内に草木が一斉に育つ、それは“覆う大深緑”のような力強さはない、その術は探知のための魔術なのだ。
「……」
探知の結果、甚六はすぐに見つかった。鍛錬場中央、立ち上る砂埃に塗れながら、胸を押さえうずくまり、倒れていた。
その姿はまるで無防備な赤子のようであった。
目は閉じているが、意識は戻っていた。身体が異常に重たかった。その原因は近頃の過剰な鍛錬のせいだけではなかった、心臓の鼓動が遅い気がする、落ち着いているというわけではなく、鼓動そのものが弱っているようであった。魔力の生成のイメージは人それぞれであるが、自分の場合は心臓から溢れてくるイメージだ。
自身の魔力が限界まで枯渇しているのを感じていた。
「………」
ゆっくりと目を開ける、白い天井は見覚えがあった、自分の周りに引かれているカーテンにも見覚えがあった。
「………」
が、自分の横にいる人物は前の記憶とは違った。どっかりとしたダルマ頭の学園長ではなく、すらりとした眼鏡の優男、月島学園の教師、笹島教員であった。
「目が覚めたかい?」
いつもの笹島よりも少し険のある声であった。
「症状事態はただの貧血だそうだ」
そして、その理由も分かっていた。
「自分が何をしたか覚えているかい?」
「…新術の練習を行いました」
「…成る程、それに振り回されてそうなったわけだね」
「それは拾った方の使い魔の魔術だね?」
笹島の強い視線に思わず視線を逸らしそうになった。布団の中で手を握りしめた。
「…魔術師は皆強い使い魔を欲する、それは自然なことだ、でもね自身の力量に合わない力は身を滅ぼす、使い魔は使役するもの、振り回されるものではない」
「…」
笹島の声色は優しくも厳しさを感じれた、そして何も言えなかったのは彼の言葉になんの間違いもなかったからだろう。
「強すぎる使い魔は身を滅ぼす、魔術師の間では有名な格言だ、手に入れた力を手放すことは苦痛を伴うが、君の未来に繋がるものだ、わかるね」
「…月島学園では学園長と教師2名の意志があれば生徒の使い魔の契約を解くことができる」
「…………」
「もう一度、もう一度同じことを繰り返せば今言ったことを実際に行う、いいね」
予断を許さない笹島の表情に神妙にうなずく。それに満足したのか笹島は本をたたみ立ち上がった。
「魔力がすべて吸い尽くされていた、そしておそらく足りない分を体力で補われたんだ、凶悪な術だ、君が本当に力をつけたと実感できたときにこそその術を使うんだ、いいね」
忠告を残し、笹島は保健室を去った。残された想いは複雑であったが。
『課題を受けてしまったな』
一人ではない、という安心感が混乱を防いでいた。
「いずれ解決しないといけない問題だ、それが少し早まっただけだろ」
一人ではないからやるべきことがしっかりと見えていた。
魔力はまだ不十分に感じたが、体力の方はすでに戻っていた。日頃の訓練の賜物であった。ベッドから降り、外を眺める、試験のときと同じ綺麗な夕焼けが見えた。
甚六の見た夕日は契約を成した使い魔にも共有されている。リリィはその夕焼けを強く見つめていた。その胸中はどういったものだったか。
リリィは夢想する、契約主にその本心は語らないがしかし、その心は人間と全く変わらない複雑なものであった。
『………』
リリィは夢想する。その胸中はどういったものであったか。
笹島教員は実は①-7で登場しています。