②-8
018
父に自転車の改造を頼んだ昨夜、ガレージからはおよそ子持ちの男性とは思えない声が響いていた。
趣味が高じて得た修理屋という職業、ほとんどは日用品を修理を仕事としているが、その仕事をこなすのは父の使い魔である、そしてその使い魔のポテンシャルは修理よりも改造に寄っていた。ゆえに久々に行える改造に心躍っていたのだろう。嬉々とした表情の父、止める術はなく、自分はいやな予感とともに眠りについた。
『…すごいな』
登校前、ジークは自転車の前で絞り出すようにそう言った。
全く完全完璧に同意であった。自転車の変速機がウエディングケーキのように盛り上がっていた。そして、タイヤチューブは以前の3倍ほどの厚みになっていた。そして、前輪、後輪で大きさがかなり違っておりかなり前輪が大きく、乗れば搭乗者がのけぞってしまうほどであった。
「ギアは内装10段外装10段の100まであるでしょ?あ、60以下はいかないから、チューブは中身を詰めたからかなり重いと思うし、姿勢とエネルギー伝達もかなり悪くしてある、漕ぐのは一苦労の一品だね」
後ろから響くのは父のモンスターマシーンの説明であった。嬉しそうに説明しているその顔を見ると悪意はないのだな、とため息が出た。
ため息を出し切ると、覚悟して自転車に跨った。跨った時点でかなり身体に負荷が掛かっているのを感じた。
「…じゃ、行ってきます」
前には果てしなく感じる通学路、振り返れば満面の笑みの父。
「いってらっしゃい」
全力中の全力、全ての力を込めてペダルを踏むとノロリと自転車は進んだ。
通学中、終業後、帰宅後、全てにトレーニングの要素を組み込み、苛烈なまでに肉体と心を鍛え上げた。その成果は少しずつであったが、芽生え始めたと感じれた。
「なんかいつもぐったりしてるよね」
桐島との勝負まであと三日となった放課後、言うことを聞かない身体を引きづり、魔術鍛錬場に向かおうと奮闘しているとダンジに声を掛けられた。クラス5人の中で間違いなく人懐っこいダンジはあの一件以来あまり話しかけてくることはなかった。
「すごい疲れた顔してるのに弁当箱はすごい大きいし」
「…あんまり根詰めると逆効果じゃない?」
それでも話しかけてくれるということは嬉しいことであった。
「大丈夫大丈夫、ちょっと足が上がってないだけだから」
「いや、階段下りられてないじゃん」
目の前の階段は一段降りれば身体に激痛が走る地獄の階段と化していた。
「降りてはいる、ただちょっと遅くなるかもだから先行っていいよ」
「鍛錬場いくんでしょそこまで運ぼうか?」
「いーや大丈夫、これもトレーニングのうちだ、それに野郎に運ばれるなんてまっぴらだね」
「そうか、じゃあマジで先行くからね、ヤバくなったらメールでも頂戴よ」
ダンジはそう言うとすらすらと階段を降りて行った。最初はただのおしゃべり程度にしか思っていなかったが、そのコミュニティ能力は伊達ではなく、ちゃんと人に気を配れる気のいい奴であった。
「…さて、と」
あと数段残っている階段をそーっと降りてみる。
『なあなあ甚六よ、早く鍛錬をしようぞ』
「俺だってそうだって、これが全速力だっつの」
『ふむぅ、もっと鍛えにゃならんな』
鍛えた結果がこれだよ、と言いたかったがジークとくだらない言いあいをしている場合ではない、一刻も早く鍛錬場に向かわねば。
「…」
逸る思いとは裏腹にそーっと階段を降りる。手すりに捕まり慎重に一段一段降りていく、そしてやっとの思いで着いた一階の踊り場には綾部が手持無沙汰で待っていた。
「…どうした?綾部」
手すりに捕まり、よっこらよっこらと階段を降りる姿を見られ、羞恥はあったがそれを表に出さずに綾部に声を掛けた。
「あの、五反田くんが、教えてくれて」
「…何をだ?」
「その井藤君が、頑張って階段降りてること」
「…」
微妙に羞恥が表情に漏れた気がするが、すぐに顔を引き締める。
「それで、これ渡そうと思って」
綾部はそう言って、小さ目のタッパーを手渡してきた。中にはレモンのはちみつ漬けが山盛りに入っていた。
「井藤くん、頑張ってるから、疲れが取れるものって思って」
そう言いながら綾部は二つ目のタッパーをバックから取り出し、一個めの上に重ねた。
「井藤くんに巻き込んでごめんなんて謝ってもたぶん怒ると思ったから」
目を合わせずに綾部はついに三個目のタッパーを取り出す、例によりレモンのはちみつ漬けである。
「だから、せめて、応援をって思って」
綾部はいつも垂れ気味の目と眉を少し上げ、やる気に満ちた表情で見つめてきた。
「頑張ってね、井藤君」
綾部は小さくガッツポーズを作ると、小走りで去って行った。
「…」
手元にはずしりと重い大量のレモンが残っていた。
『よほど疲れていたと見えたんだな』
『いやただあの子が抜けてるだけじゃないの?』
「両方だろ」
綾部が見えなくなるまでタッパー三つを抱え、立ち尽くしていると物陰から人影が見えた。
「いやぁ、いいねぇ、同級生の手作り」
ダンジであった、その表情は先ほど気のいい奴と評したのを取り消したいほど下世話な顔をしていた。
「帰ったんじゃないのか」
「帰ろうと思ったら面白いものが見れそうだから残ったのだ」
「そうか」
とりあえずタッパーを開け、輪切りレモンを一つ摘まむ。
「おいしい?」
「そりゃな」
「食べ切れそうか?」
「どうだろうな」
「一個くれよ」
「…いいけど」
とりあえずダンジと二人、レモンを消費しながら下駄箱へ向かう。自分の鈍さに合わせて歩いてくれるダンジは下世話だけどいい奴であった。
「照れくさいからあんま一回しか言わないけどさ」
上履きをしまってる最中、ダンジが声のトーンを下げてそう言った。
「俺も綾部とおんなじ気持ちだぜ」
「………あ?」
かなり考えたが言っている意味は分からなかった。まさかこいつもレモンのはちみつ漬けを作っているということなのか。
「だ・か・ら!僕もお前を応援してるって話だよ!前はやめろなんて言っちゃった身でこんなこと言うのも恥ずかしいけどさ」
「俺やたぶん綾部さんとか甚六くんもギリギリでここに残れたわけだろ?でも風間くんや桐島さんは残るべくして残ったエリートだ、だからエリートの二人にはへこへこしなきゃって思ってたさ」
「だから甚六くんに怒られてガツンときた、目が覚めたんだ。でもそれでも僕に立ち向かう勇気はない、ビビリだから、でもさ」
「でもさ、応援はする。君の言葉で目が覚めて君に共感したんだ、応援ぐらいさせてくれ、もちろんいやだったら言えよ、すぐやめるから」
「だから、負けて桐島のやつのパシリになっても、僕も手伝うよ」
「…ッフ」
最後の最後、ダンジの弱気な言葉に思わず吹き出してしまった。
「なんで俺が負ける前提なんだよ」
「いや、勝って欲しいよ、でもさ、負ける可能性の方が---------」
「絶対勝つよ」
思わず出た強い言葉だった、その強さはダンジの言葉を止めるほどだった。
「……何?その自信?」
「自信なんてないさ、ただ絶対勝つってそう思っただけだ」
「え?それを自信って言うんじゃない?」
疲労困憊だったはずの肉体に活力が湧いてきていた。それは甘酸っぱい果実のおかげだろうか、友の励ましの言葉のおかげだろうか。
いずれにせよ活力は胸の奥からどんどんと溢れ、それは桐島への闘争心になって行った。
『ふむ、いい気力だ』
ジークの呟きとともに頭の中に新たな呪文が刻まれた。鍛錬を始めてから何回か経験した閃きのような感覚、それは呪文を新たに手に入れる感覚であった。しかし、今回の閃きはまるで閃光のようであった。閃光は強く鋭く頭を貫き、その呪文の強さを物語っているようであった。
「早く、桐島と勝負してぇな」
そう言って、レモンを齧る。肉体の疲労はどこかへ消え失せ、軽い身体でズンと前に進んだ。校舎の外はすでに日が傾いていた、すぐにでも鍛錬場に向かいたい気分であった。
「…甚六くんってさ」
追って下駄箱から出てきたダンジが眉をハの字に曲げていた。
「意外と天然だよね」
「それはないな」