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手紙・a

『手紙・a』少し未来。

 彼は、表情を浮かべず、ゆっくりと手を伸ばした。自分自身を()らすような、しかしもうそれ以上の速度が出せないような、苦しげな伸ばしかただった。日の当たる棚は、もう目線のしたにある。あのころは、ずっと大きく見えていたのに。父の視線は、だいたいこのあたりだったと記憶している。彼はわずかに顔をゆがませ、そして引き出しを開けた。もう、なんども読み返した、だから本当は置いていこうと、思っていた。でも。まっしろな封筒を掴みあげると、そっと中身を取り出した。

 いいか、俺がいなくなっても、ちゃんとご飯はたべるんだぞ。お前、だれに似たのか知らないが、野菜くらいちゃんと食べろ。葉物、特に葉物だ、いいな。俺は今から、ちょっと用事をすませてくる。お前は家で洗い物の続きとかすませておいてくれ、でも危険だと思ったら、かならず、まっさきに逃げること。ま、お前は俺と違って、銃の腕はいいから心配はないか。そうそう。お前は幸せになってくれ。これは俺がお前に持っててほしいことだ。今みたいな大ざっぱな生き方で、それはそれで良いと思うけど、でも、できれば自分なりの生き方をみつけてほしい。お前はここに与えられた命だから。成人までみてやることが出来そうになくて、ほんとにすまない。本当は……もっと、側にいたかったな。もし、俺が戻ってこなかったら、母さんを、頼む。

 

 白い用紙を、そっと握り込む。

 途中から、字がひどく乱れていた。もとからそう綺麗な字を書く人ではなかったが、それでも母よりはずっと丁寧な字を書く男だった。たぶん、彼はもう戻ってこられないことに気づいていたから、慌ててこれを書いたのだ。母は何も残さなかったが、彼女は父とは違い、負ける戦だと思わないでいようとする人だったからだろう。でも、どちらももう死んだ。唇をひきむすび、青年は中途までしか読まなかった手紙を荷物につっこむ。

「だから、こんな名前は、いらないと、言ったんだ……!」

 吐き捨てて、ふと目を上げる。壁際の時計が、静かに約束の時を刻んでいた。そろそろだ。鞄一つを携えて、そっと、懐かしい空気を吸い込んだ。さよならだ。日差しでぬくもった床板が、軽くきしんだ。足を止め、振り返りそうになる。でもやめておいた。ため息をつき、歩き出す。正規に任命をうけるにあたって、一時身辺整理のため戻ってきていたのだ、もともと長くとどまるつもりはない。それでも、ここにはもう何もないと分かっていても、離れがたかった。青年の胸元で、銀のクロスが揺れる。それは彼の信仰の証ではなく、形見という名の贈り物だった。手紙と共に残された、机の上の、望郷だった。

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